明治維新

西郷隆盛と巡る「江戸無血開城への旅」~②駿府城から洗足池へ【旅する日本史】

歴史は人々の営みによりつくられ、人々の営みは人々の足跡によりつくられる。一つの史実に沿って、歴史上の人物が歩んだ足跡を巡る旅のプランを提案する『旅する日本史』の第二回目。史実の英雄になったつもりで、あるいは参謀役になったつもりで時系列に沿…

西郷隆盛と巡る「江戸無血開城への旅」~①箱根から駿府城へ【旅する日本史】

歴史は人々の営みによりつくられ、人々の営みは人々の足跡によりつくられる。一つの史実に沿って、歴史上の人物が歩んだ足跡を巡る旅のプランを提案する『旅する日本史』の第二回目。史実の英雄になったつもりで、あるいは参謀役になったつもりで時系列に沿…

幕末の京洛で凶剣をふるった四人の人斬りは、どんな最期を迎えたか

尊王攘夷の嵐が吹き荒れた幕末の京都で、人々から「人斬り」と恐れられた暗殺者たちがいた。その中でも特に有名なのが、「幕末の四大刺客」と呼ばれた田中新兵衛、岡田以蔵、河上彦斎、中村半次郎の四人である。彼らがどんな晩年を迎えたのかは、あまり知ら…

江戸無血開城を実現した勝海舟が新政府入りを蹴った意外な事情

勝海舟(1823~1899年、享年77)幕末、微禄の幕臣の子として生まれる。西郷隆盛との会談で江戸城を無血開城に導いた立役者。明治に入ると政府とは距離を置いて旧幕臣の救済に努める。

“士族の商法”にも成功例があった―名産「静岡茶」の意外な由来

日本史上、唯一の革命とも言える明治維新は武士が主導して実現したが、皮肉なことにその後の大変革で一番割を食ったのも武士であった。国民の6%にものぼる人々が突然職を失うという大リストラとなり、自立を促す制度は存在したものの、いわゆる「士族の商…

暴漢に襲われた板垣退助はその後の四十年をどう生きたか

板垣退助といえば民権運動指導者として政治活動に一生を捧げた、明治期を代表する政治家の一人。遊説先で暴漢に襲われた際、「板垣死すとも自由は死せず」と一喝した話は有名だ。このとき板垣四十六歳。彼は一命をとりとめ、なんとその後八十三歳まで長寿を…

箱館戦争終結後、「朝敵」の榎本武揚がなぜ政府の要職に就けたのか

榎本武揚(1836~1908年、享年73)――幕臣の子として生まれる。戊辰戦争では函館で最後まで抵抗を見せるが、降伏。のち赦され明治新政府で外交官を経て、政治家として様々な大臣職を歴任。帆の後半生を送った。退官後は、生活に困っている旧幕府出身…

会津戦争に敗れた松平容保が生涯離さなかった「天皇からの書簡」

日本における唯一の革命とも言える明治維新。政情が一変するときには、どちらの側につくかでその後の運命が大きく変わるが、会津藩主の松平容保は徳川家への忠義をあくまで貫いた。それがために、その後自身と会津藩が過酷な状況に置かれることになったわけ…

秋葉原はもともと「あきばはら」だった!? 日本全国「地名」の由来

意外に広大な日本には、地形や地理の知られざるエピソード、誰もが不思議に感じる疑問がたくさんあります。なかでも「地名」にまつわる話は、歴史や地形に関係する興味深いものばかり!

水戸と彦根、会津と長州……今もひそかに遺恨を抱くライバル都市

明治維新から150年以上。すでに当時の出来事は歴史の1ページにすぎない……かと思いきや、今も当時のわだかまりが残っている“ライバル都市”があります。当時の状況と、現在の和解に向けた動きを見ていきましょう。