歴史

『三国志』を生き残った「呉」が中国全土を制覇できなかった理由

劉備玄徳、諸葛亮孔明、関羽雲長、張飛翼徳、さらには曹操、夏侯惇、仲達、孫権、周瑜、呂布などなど、『三国志』ファンなら、このうちどの名前を聞いてもワクワクするに違いない。ご存じのように、われわれ日本人が三国志というと、明(一四世紀後半〜一七…

日本が太平洋戦争に突入した本当の契機は「ノモンハン事件」だった

歴史には大きなターニングポイントがいくつも存在し、日本人はその時々で進む道を選んできました。そのなかで、小さな出来事にすぎないように見えるものが、実は大きな失敗のきっかけであることもあります。日本軍がソ連軍に大敗したノモンハン事件もその一…

戦国時代の開始は応仁の乱ではない!? 真の起源とされる2つの事件

武将が知勇を競い合って戦いを繰り広げた戦国時代は、日本史の中でもロマンあふれる時代です。一般的には、戦国時代の始まりは応仁の乱がきっかけだという認識が広まっていますが、最近では新たな見解が示されているようです。歴史研究家の河合敦氏に、戦国…

幕末の京洛で凶剣をふるった四人の人斬りは、どんな最期を迎えたか

尊王攘夷の嵐が吹き荒れた幕末の京都で、人々から「人斬り」と恐れられた暗殺者たちがいた。その中でも特に有名なのが、「幕末の四大刺客」と呼ばれた田中新兵衛、岡田以蔵、河上彦斎、中村半次郎の四人である。彼らがどんな晩年を迎えたのかは、あまり知ら…

明治末期の超能力ブーム「千里眼騒動」の不可解な経緯

一九七〇年代前半、スプーン曲げで一世を風靡したイスラエル出身の自称超能力者、ユリ・ゲラーのことを記憶している人も多いだろう。実は日本でも、明治末期に同様の超能力ブームがあったことをご存じだろうか。透視能力を持つ女と称された御船千鶴子と、当…

武田勝頼は織田信長に敗れた後もなぜ版図を拡大できたのか

甲斐の武田信玄といえば戦国期を代表する武将だが、その偉大な信玄の跡を継いだのが息子の武田勝頼だ。後世の史家の多くはこの勝頼に対し、「無能な後継者」「背伸びしすぎた凡将」……などなどマイナス評価を与えてきたが、実際は近代になり、勝頼への評価は…

江戸無血開城を実現した勝海舟が新政府入りを蹴った意外な事情

勝海舟(1823~1899年、享年77)幕末、微禄の幕臣の子として生まれる。西郷隆盛との会談で江戸城を無血開城に導いた立役者。明治に入ると政府とは距離を置いて旧幕臣の救済に努める。

“士族の商法”にも成功例があった―名産「静岡茶」の意外な由来

日本史上、唯一の革命とも言える明治維新は武士が主導して実現したが、皮肉なことにその後の大変革で一番割を食ったのも武士であった。国民の6%にものぼる人々が突然職を失うという大リストラとなり、自立を促す制度は存在したものの、いわゆる「士族の商…

“ハラキリ”を世界に広める契機となった幕末の「泉州堺事件」とは

明治新政府がスタートしたのは慶応三年だが、実はこの年、当時の日本政府を大いに悩ませた、ある外交問題が起きていたことはあまり知られていない。土佐藩兵とフランス人水兵が銃撃戦を繰り広げた、いわゆる「泉州堺事件」だ。仏兵を銃撃したとされる土佐藩…

エレキテルをつくった“非常の人”平賀源内に待ち受けていた悲劇

平賀源内(1728~1780年、享年52)――江戸中期の元祖マルチ人間。現在の香川県さぬき市の出身。興味の赴おもむくままに様々なことに手を出した。杉田玄白はその墓碑に「非常の人」と刻ませた。

暴漢に襲われた板垣退助はその後の四十年をどう生きたか

板垣退助といえば民権運動指導者として政治活動に一生を捧げた、明治期を代表する政治家の一人。遊説先で暴漢に襲われた際、「板垣死すとも自由は死せず」と一喝した話は有名だ。このとき板垣四十六歳。彼は一命をとりとめ、なんとその後八十三歳まで長寿を…

“命のビザ”を発給し続けた杉原千畝の語られなかった「その後」

杉原千畝(1900~1986年、享年86)―岐阜県美濃市の出身。第二次世界大戦中、リトアニアの領事館に赴任していた彼は、ユダヤ難民を救うため我が身の危険も顧みず、大量のビザを発給する。

天皇になろうとした道鏡、それを阻んだ和気清麻呂の意外な「その後」

和気清麻呂(733~799年、享年67)奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。皇位を狙った妖僧・道鏡の思惑を阻止したことで流罪となる。のちに赦され、実務官僚として重用された。

日本史における最大の裏切り者・小早川秀秋の意外な実力と実像

小早川秀秋(1577?~1602年、享年26)――安土桃山時代の大名。豊臣秀吉の正室高台院の甥。関ヶ原では史上最大の裏切り劇を演じた。関ヶ原後、備前岡山城主になるが、すぐに謎の若死にを遂げる。

「間宮海峡」を発見した間宮林蔵が、その後“密告者”と呼ばれた事情

間宮林蔵(1775~1844年、享年70)――江戸後期の幕府の御庭番、探検家。常陸(茨城県)の貧農の子。間宮海峡を発見したことで有名。幕府隠密として各地の探索やシーボルトの摘発も行った。

箱館戦争終結後、「朝敵」の榎本武揚がなぜ政府の要職に就けたのか

榎本武揚(1836~1908年、享年73)――幕臣の子として生まれる。戊辰戦争では函館で最後まで抵抗を見せるが、降伏。のち赦され明治新政府で外交官を経て、政治家として様々な大臣職を歴任。帆の後半生を送った。退官後は、生活に困っている旧幕府出身…

会津戦争に敗れた松平容保が生涯離さなかった「天皇からの書簡」

日本における唯一の革命とも言える明治維新。政情が一変するときには、どちらの側につくかでその後の運命が大きく変わるが、会津藩主の松平容保は徳川家への忠義をあくまで貫いた。それがために、その後自身と会津藩が過酷な状況に置かれることになったわけ…

“三日天下”は必然―本能寺後の十二日間に光秀が犯した六つの失敗

本能寺の変が失敗に終わったことについては、行動が突発的すぎて人々が納得する「大義」がなかった、秀吉が光秀の予想をはるかに上回る早さで備中から戻ってきた、などの理由が広く知られている。ただし、本能寺後の十二日間の光秀や秀吉の行動を丹念に見て…

室町から江戸まで、四百年間も画壇に君臨した狩野派の生存戦略

室町時代の中期から江戸時代の終わりまで、およそ四百年間にわたってわが国の画壇に君臨し続けた絵師集団が狩野派だ。歴史上、これほど長く活動した絵師集団は、世界中どこにも存在しない。では、なぜ狩野派だけが天下人たちの心をとらえることができたのか…

四国の覇王“長宗我部”の姓が江戸を経て維新後に復活したワケ

戦国期、一時的にせよ四国を統一した大名といえば長宗我部元親。元親の後継者となった四男盛親は関ヶ原の戦い、大坂の陣を経て五人いた男子ともども斬首された。こうして長宗我部氏の家系は途絶えたように見えたが、実は江戸を経て現代にまで生き延びている…

“八百万の神”の祖「日本で最初に生まれた神様」を知っていますか

合格祈願、仕事の成功、病気平癒、縁結び……信心深いわけではなくても、人生の節目などでつい頼りたくなる「神様」。全国各地に神社もあって、神様は日本人にとって身近なはずですが、「最初に生まれた神さまは?」と聞かれると、意外とわからないかもしれま…

楽市楽座は必然!? 信長が織田一族から受け継いだ“経済”という視点

世の中に大変革をもたらした偉人というのは、突然天から舞い降りてきたような印象がある。その最たる人物が、戦国期に天下統一を目指した織田信長だ。その覇業はあと一歩で頓挫したが、実は信長も一代であれほどの活躍を為したわけではない。そこには彼の祖…

鎌倉幕府が滅亡した主因は、日本初「男女平等の分割相続」だった

教科書的な説明では、鎌倉幕府が滅亡した要因は元寇の襲来とされている。しかし、その下地には意外にも鎌倉幕府独自の「相続制度」があったという。当時の状況から見ていこう。

江戸時代に寿司を“発明”した「華屋與兵衛」の知られざるその後

江戸時代末期、当時の江戸の盛り場である両国で誕生したにぎり寿司だが、当時はいわゆる「ご当地グルメ」の一つにすぎなかった。それから二百年近くたった現在、てんぷらやうなぎ料理などと並んで日本を代表する食べ物と言われるまで発展を遂げている。この…

坂本龍馬の暗殺犯を「今井信郎」だと断定できるこれだけの理由

幕末の志士、坂本龍馬暗殺の黒幕ついてはさまざまな説があるが、万人を納得させる決定的な証拠・証言はない。龍馬に敵が多かったこと、混乱した幕末期だったことが理由だが、状況証拠からはある人物が実行犯だと見て間違いないという。その人物とは?

天才絵師・葛飾北斎が90歳で死ぬまで持ち続けた向上心の源泉とは

七十年にも及ぶ画業人生で森羅万象を描ききり、三万点もの作品を残したと言われる葛飾北斎。彼の版画作品は明治になってヨーロッパに大量に移入され、ゴッホやゴーギャン、ルノワール、ガラス工芸家のエミール・ガレ、作曲家のドビュッシーなど、ヨーロッパ…

十九カ国語を操る自然科学の父・南方熊楠はどんな人物だったのか

南方熊楠をご存じだろうか。一般的には植物学者、あるいは民俗学者として知られている。ただし、ほかにも博物学者、細菌学者、生物学者、天文学者、人類学者、考古学者……などにも精通した、まさに「歩く百科事典」だった。さらに十九カ国語の読み書きが自由…

シーボルトの娘が日本初の女医“楠本イネ”になるまでの数奇な運命

西洋医学を学んだ日本人女医第一号は、あのドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトを父に持つ“オランダおいね”こと楠本イネだ。そこに至るまでには、父との生き別れと再会、医学の師とのいざこざ、医師資格の喪失など、さまざまな運命が待ち…

西郷隆盛の肖像画で有名なキヨッソーネは“日本の紙幣の父”だった

明治初期、日本にはさまざまな分野から専門家が招聘されたが、その中に紙幣印刷の技術を日本に伝えたエドアルド・キヨッソーネがいる。日本の紙幣の父であるだけでなく、明治期の著名人の肖像画を数多く残した彼は、故国イタリアに帰ることもなく日本で没し…

『花の慶次』のモデル前田慶次は秀吉すら翻弄する真の自由人だった

戦国史を彩った武将の一人に、前田慶次がいる。近年になって、戦国時代を題材にしたゲームの中で知勇兼備の愛すべきキャラクターとして登場することが多いため、年配の歴史ファンよりむしろ若い世代に人気が高い武将だ。この前田慶次、実際はどのような人物…

「風魔の小次郎」は実在した!? 知られざる「相州乱波」という存在

忍者といえば伊賀忍者と甲賀忍者くらいしか思いつかない人が大半だが、戦国大名の耳目となって暗躍し、最後には名前も残さず歴史の闇に消えていった忍者の一族は日本各地に存在する。なかでも「相州乱波」とも呼ばれた風魔一族、「黒脛巾組」という二つの忍…

栄華を誇った平氏一門が滅亡した「本当のきっかけ」

ライバルの源義朝を討ち破り、武家政権を自らの手で樹立した平清盛。その一門は「平氏にあらざれば人にあらず」とうそぶくほど他を寄せつけない栄華を誇っていた。だが、その権勢も清盛の死後あっけなく瓦解してしまう。その理由とは、どんなものだったのだ…

神風が敗因ではなかった!? 元軍が怖れた九州武士の強さの秘密

モンゴル帝国による二度にわたる襲来を撃退できたのは、台風(いわゆる「神風」)によるところが大きいとされてきた。しかし、実際には一度目の「文永の役」で台風があったことを証明する史料はどこにも存在しないという。だとすれば、元軍はどんな理由で敗…

『麒麟が来る』が2倍楽しくなる! 訪れたい戦国武将ゆかりの城

明智光秀が主役の大河ドラマ『麒麟が来る』では、戦国武将が数多く出てきます。武将たちに思いを馳せるなら、本陣である武将たちのお城に行ってみるのが一番! ドラマがよりリアルに楽しめます。

切腹が“滅びの美学”に昇華したのは備中高松城の水攻めが契機だった

江戸時代、切腹は武士の精神性や潔さを体現する高貴な行為だったが、それ以前は相手に対するいわば“はらいせ行為”だったという。その認識を変化させるきっかけとなった人物が、豊臣秀吉の水攻めで滅ぼされた備中高松城の城主、清水宗治である。そこにはどん…

絶滅の危機を3度乗り越えた太平洋の孤島、イースター島の不思議

独自の文字を持つなど高度な文明を誇っていたイースター島。モアイ像で有名だが、そこには他文明の影響にさらされながらも生き残ってきた、数奇な歴史があった。

行動と情熱の吉田松陰に足りなかった福沢諭吉の「計画性」

情熱で突っ走るタイプとじっくり計画を練り上げるタイプがいる。どちらも一長一短あるように感じるかもしれない。しかし、混迷の時代においてどちらのタイプがその野心を達成できるか、これは歴史から紐解いてみると答えは明らかだ。文明開化目前、西洋で勉…

『学問のすゝめ』を書いたのに……福沢諭吉は勉強嫌いだった!?

経済不況がやってくる、AIに仕事を奪われる……など、先が見えない時代。このようなときこそ歴史から学べることは多い。同じように日本が近代化へ向けて大きく変わろうとしていたとき、旗振り役を担っていたのは福沢諭吉だった。じつは勉強嫌いだったという福…

江戸時代だったら「藤井名人」は不可能!? 知られざる将棋の歴史

2020年7月、藤井聡太氏が渡辺明棋聖を破り、棋聖を奪取したことが大きな話題になりました。これから最高の名誉である「名人位」を目指して戦い続けるわけですが、もし江戸時代に生まれていたら、いくら将棋が強くても名人にはなれなかったかもしれません。…

戦国時代を終わらせた陰の立役者、伊賀忍者と甲賀忍者の行く末

忍者というと、黒ずくめの装束で手裏剣や忍術を使う謎の集団……というイメージを持つ人が多いが、実際は敵の城や屋敷に潜入し情報を盗み取ってくることが主たる役割だったという。したがって、忍者は体術や剣術は言うに及ばず、土地土地の方言や変装術、薬学…

実は信長より六つ年上!? 明智光秀にまつわる出自のミステリー

明智光秀といえば戦国末期の武将で、主君である織田信長を自害に追い込んだご存じ「天下の謀叛人」。主君に刃を向けた本能寺の変の動機は戦国期最大のミステリーだが、実は家系や年齢についても謎の部分が非常に多い。本能寺の変の後、明智一族はどのような…