名将・野村監督が清原氏に伝えたかったメッセージ

プロ野球界きっての知将・野村克也氏。2020年2月に惜しくも亡くなられましたが、その偉大な足跡とともに、残していった珠玉の名言、格言、ぼやきの数々はまったく色あせることがありません。そんな野村氏が期待をかけていた野球人の一人に清原和博氏がいます。野村監督が清原氏に本当に伝えたかったこととは? 生前の言葉から読み解いていきます。

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清原と野村監督をつなぐ意外な縁

私は頭が大きくて、頭周りが60センチほどある。悩みはヘルメットだった。大きいサイズのヘルメットがないため、サイズの合わない小さいものをむりやりかぶっていた。

しかし、あるときチャンスが訪れた。日米野球だ。1970年、大阪球場でサンフランシスコ・ジャイアンツと対戦したときだ。練習のどさくさに紛れて、彼らのヘルメットをかぶってみた。

やはりメジャーの選手は体も頭もでかい。私にちょうどいいのが一つあった。そこで、用具係に「日米野球が終わったら私にくれ」と約束を取りつけた。

見た目もよかった。それを手にした私は、ジャイアンツの黒を南海のグリーンに塗り直して使った。また、ロッテ(現・千葉ロッテマリーンズ)に移籍したときはロッテのカラーである黒に塗り直した。最後、西武に行ったときは水色に塗り上げて、現役引退まで使い続けたのだ。

この話が清原につながる。清原も頭がでかい。ずっとヘルメットに困っていたらしい。しかし、入団間もないとき、西武の倉庫で眠っていた大きなヘルメットを見つけた。かぶるとちょうどいい。サイズは60センチ。気に入った清原はそれを使い始め、巨人に行ったあとはもちろん、オリックス(オリックス・バファローズ)で引退するまで使い続けたようだ。

そう、私のヘルメットだった。

あの「伝説の走塁」の陰に清原の好プレーあり

清原といえば、もうひとつ記憶に残っているエピソードがある。

「伝説の走塁」をご存じだろうか。1987年の西武対巨人の日本シリーズで、辻発彦(現・埼玉西武ライオンズ監督)が見せた走塁のことだ。意外に知られていないが、実はこの「伝説の走塁」では清原が陰で貢献している。

1987年11月1日。西武が王手をかけていた巨人との日本シリーズ第6戦。西武が2-1とリードして迎えた八回裏。二死一塁から、西武の秋山幸二がセンター前ヒットを放った。

2アウトだけに素早いスタートを切っていた一塁ランナーの辻発彦はグングン加速し、二塁を蹴って三塁へ。さらに三塁も回る──三塁ベースコーチの伊原春樹がグルグル手を回すが、辻はそれにさえ目もくれず、一気にホームを目指した。

センターのウォーレン・クロマティの返球は山なりで確かにお粗末だった。ショートの川相昌弘は本塁突入に気づいてホームに送球したが、キャッチャーの山倉和博はブロックの構えすら取れず、立ったまま返球を待つほかなかった。

山倉のミットにボールが収まったとき、滑り込んだ辻はすでに立ち上がって両手を突き上げていた──。

あれは「伝説の走塁」でもなんでもない

「伝説の走塁」というが、あれは伝説でもなんでもない。事前の準備の成果だった。1996年、西武を戦力外となってヤクルトに移籍してきた辻に、「あのプレーの真相はどうだったのか」と聞いた。辻は涼しげに答えた。

「シリーズ前にみんなでクロマティの守備の映像を見ていたら、あまりにも打球処理とその後の返球が緩慢だったんです。僕は『これなら行ける!』と声に出しました。そうしたら誰かが『あれだったら、シングルの当たりでも二塁打にできるな』といった。普通ならジョークとして笑って終わりでしょうけど、僕らは『そうだ、そうだ』となったんです。どういう場面でやれば効果があるのか、みんなで話し合った。そうしていくうちに、ワンヒットで一塁からホームに帰ってくる、ランナー二塁でセンターフライが上がったらタッチアップでホームまで帰ってくる。そんなプレーを思いついたんです」

体を張ったプレーが伝説を生んだ

ただし、辻の走塁が生まれる前、二回の攻撃でもクロマティと巨人守備陣の隙を突いた走塁を実践したのが清原だ。

一死二塁。ジョージ・ブコビッチがセンターへ大きなフライを打ち上げた。タッチアップで三塁に向かった清原は、三塁を回ったところでいったんストップ。だが伊原コーチが腕を回しているのを見て、改めてホームへ突入した。

クロマティの返球が中継に入ったショートの川相にきちんと返らずに頭上を越え、捕ったのはセカンドの篠塚利夫。そこからサードの原辰徳を経てホームに送球された。ありえないほどお粗末なプレーとなり、山倉のブロックに激突した清原のスライディングはセーフとなった。

このプレーで、清原がいったん止まってしまったのはボーンヘッドと言えるかもしれないが、それも八回の辻の走塁への伏線になっていたのではないか。

巨人の守備陣は計算されたプレーとは気づかず、自らの隙を埋める努力を怠った。それが八回の辻による「伝説の走塁」につながったことは間違いない。

清原に私が願うこと

「伝説の走塁」で西武にダメ押し点が入った。その直後、九回の守りでファーストの清原和博が流した涙もまた印象的だった。

1985年秋のドラフトで、巨人からのドラフト1位指名を信じて待ったが裏切られた。PL学園の同僚だった桑田真澄が指名されて悔し涙を流した清原の、男泣きだった。

そんな男がまた野球を語り、野球に貢献してくれることが、日本野球界の未来をつくるのだ。

「弘法も筆の誤り」という言葉もある。道を踏み外したのは過去のことだ。また清原が野球に恩返ししてくれることを私は願っている。

 

 

PROFILE
野村克也

1935年京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業後、54年にテスト生として南海ホークスに入団。球界を代表する捕手として、戦後初の三冠王、歴代2位の通算657本塁打など数々の大記録を打ち立てる。70年より選手兼監督。その後、ロッテ、西武と移り80年に現役引退。90年にはヤクルトの監督に就任、9年連続Bクラスだったチームを、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。その後、阪神、楽天等で監督を歴任。2020年2月逝去。

※本記事は『番狂わせの起こし方』『私が選んだ プロ野球10大「名プレー」』(青春出版社)から抜粋したものです。

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