史上最悪のパンデミック「スペイン風邪」の発生源に百年後の新説

スペイン風邪の発源地とされたアメリカのファンストン基地
パンデミックはギリシア語の「パン(すべての)」と「デモス(人々)」が語源である。特に第一次世界大戦末期に発生したスペイン風邪は、病死者の数が戦死者と戦没者の合計を上まわるほどの大きな被害を世界中にもたらした。その発生源をめぐって浮上した新説について、歴史作家の島崎晋氏が解説する。

全世界での死者数は4000万人以上

ヨーロッパで「大戦」といえば、第一次世界大戦を指すのが一般的である。勝者か敗者かに関係なく、ヨーロッパ全体に甚大な被害をもたらし、ヨーロッパが世界の覇権を握る時代に終止符を打たせもした。

人的損害だけを見ても、大戦の死者の数は1600万人以上に及んだ。これに民間人の死者を加えれば、その合計は2倍近くになるだろう。

だが、第一次世界大戦の末期と少し時期が重なりながら、それ以上の命を奪う出来事があった。1918年から翌年にかけて世界中を席巻した「スペイン風邪」と名付けられたパンデミックがそれである。全世界での死者数は4000万人とも5000万人ともいわれ、日本だけでも38万人が命を落としている。

スペイン風邪はインフルエンザの変異体でありながら、致死率は通常のインフルエンザの20倍以上に及び、世界中を震撼させた。

感染症の死者といえば、幼児と高齢者が多いと思われがちだが、スペイン風邪の場合、死者の大半は20代から40代で占められた。

この不可思議な現象の答えは至って単純で、1889年以降に生まれた人々はインフルエンザにかかった経験がなく、免疫が皆無だった。それ以前の人々はスペイン風邪より症状が軽度ながら、それと似たインフルエンザを経験していたためにある程度の免疫を有しており、その経験の差が生死を分けたのである。

 当初は“アメリカ発生源説”も有望

ヨーロッパ戦線で蔓延していたスペイン風邪は各国兵士の凱旋に伴い、世界中に拡散した。呼び名のスペイン風邪だが、スペイン発祥というわけではなく、戦時下の検閲で中立国であったスペインでの流行ばかりが報道されたことによっている。

実際の発源地は特定されておらず、当初はフランス軍の塹壕と目されていた。汚物と死体にまみれたそこなら、どんな感染症が発生してもおかしくないと考えられたからである。

だが、大戦終結から10年も経つと、アメリカ中部カンザス州のファンストン基地とする説が有力となった。同州内で起きていたインフルエンザの流行が1918年3月にファンストン基地に及び、歩兵48人が死亡との報告書が野戦病院さながらの冒頭の写真とともに残されており、それらが根拠とされたのである。

労働者によって世界を駆けめぐった?

以来、アメリカ起源説が有力視されてきたわけだが、カナダの歴史学者マーク・ハンフリーズは2020年3月15日付けの『ナショナルジオグラフィック日本版』で新説を紹介している。

ハンフリーズの説は、後方支援のため西部戦線に送られた中国人労働者を感染源とする内容で、根拠として複数の公文書が挙げられている。

要約すると、1917年に万里の長城沿いの村々で呼吸器感染症が流行し、1日あたり数十人の死者が発生。同年末には6週間で500キロも離れたところまで広がった。翌年の報告書には、この病気をインフルエンザとする記述がある。

英仏両国は後方支援の兵士を前線に出すため、中国人労働者をその穴埋めに使おうと計画。アフリカ南まわりだと時間も費用もかかりすぎるため、船でカナダ西海岸のバンクーバーに運び、そこからヨーロッパへ送ることにした。

途中で検疫を実施した際、喉の痛みを訴える者がいたが、カナダ人医師はこれを「怠惰な気質」のせいとし、ひまし油を与えるにとどめた。

かくして1918年1月にイギリス南部に到着した中国人労働者はそこからフランスへと送られたが、フランス北部のノイエル=シュル=メールの病院には、呼吸器疾患により中国人労働者の数百人が死亡したとの記録が残っている。けれども、スペイン風邪がピークに達した同年秋には、逆に中国人労働者の間から症例は報告されなくなった。

ハンフリーズは以上の公文書の記録を総合して、スペイン風邪の中国起源説を提示したのである。定説となるにほど遠い現状だが、ユニークな説ではある。

ちなみに、インドではスペイン風邪による死者が少なくとも1250万人に及んだ。これは戦争協力が独立につながるとの期待から、144万437人もの人々が徴用に応じてヨーロッパに渡り、帰国時にウイルスを持ち込んだためだった。

 

 

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PROFILE
島崎晋

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に、『ウラもオモテもわかる哲学と宗教』(徳間書店)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『古事記で読みとく地名の謎』(廣済堂新書)、『ホモ・サピエンスが日本人になるまでの5つの選択』(青春新書プレイブックス)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)などがある。