小学校の社会科で「踏み絵」が「絵踏み」に変えられた事情

数ある歴史用語の中には、知らないうちに微妙に変わっているものがあります。10年ごとに行われる教科書の学習指導要領の改訂の際、「この言い回し、ちょっと不自然では?」「もっとわかりやすい言葉に変えてはどうだろう?」「では、ちょっと考えてみようか……」などと専門家らが頭をひねり、毎回少しずつ修正されているのです。あなたが今まで当たり前に使っていた用語も、現在の教科書の中ではすでに変わっているかもしれません。新しい言い方、あなたはどれだけ知っていますか?

江戸時代、キリスト教信者を見つけるためのあの行為は?

まずは、「踏絵(ふみえ)」が「絵踏(えぶみ)」に変わった話題から。

「江戸時代は踏絵をして、禁じられていたキリスト教の信者を見つけたんだよ」
「それ、絵踏でしょ!?」
「えっ? え・ぶ・み!?」

古い常識のままだと、こんなふうに子どもから思いがけないダメ出しがあるかもしれません。二文字が逆転しただけなので、現場の教師もうっかり古い方を使ってしまうこともあるそうですが、今の常識は、「踏絵」ではなくて「絵踏」です。

表記変更の理由は簡単。
踏ませる行為を「絵踏」、踏ませる道具(つまり、イエス・キリストや聖母マリアの絵が描かれたもの)を「踏絵」として区別した方が理にかなっているからです。たしかに、「絵を踏む」のだから、その行為自体は「絵踏」が適切なのでしょう。

今の教科書は、「踏ませる行為(絵踏)」と、「踏ませたもの(踏絵)」をきちんと区別して記載しています。微妙な違いを知ったうえで、二つの用語を覚えておくといいでしょう。

昔「踏絵」→今「絵踏」

江戸時代における幕府の直轄地の呼び名は?

江戸幕府の直轄地は、元禄以降、全国に約400万石あったとされ、主要な財源になっていました。
その直轄地の呼び名は、旧教科書では「天領」。

ただし、これは江戸時代から伝わる言葉ではなく、当時は単に「御領」や「御領所」と呼ばれていたそうです。ではいつ「天領」という言葉が生まれたかというと、明治時代に入って幕府の直轄地が天皇家の御領になったときです。となると、ちょっと矛盾が……。「天領」は明治以降の俗称で、江戸時代の幕府直轄地を示す言葉としては適切ではないため、表記の変更が検討されたのです。

そして、新しくなった呼び名が「幕領」。当時使われていた言葉ではないものの、幕府の直轄地だということがストレートに伝わる言葉に落ち着いたというわけです。

昔「天領」→今「幕領」

天草四郎率いる民衆による幕府との戦いの名は?

「天草四郎が率いた一揆? それはもちろん、島原の乱でしょ」
と昭和世代の多くは堂々と答えるかもしれません。ですが、この戦いの名称は今、多くの教科書で「島原・天草一揆」に変わっています。

戦地や戦いの状況を考えれば、たしかに新常識が適切と言えるでしょう。
島原(長崎県)と天草(熊本県)でこの一揆が起こったのは、1637年(寛永14年)のこと。これを仕切った最高指導者がカリスマ性の高いキリシタンの天草四郎(なんと当時16歳)だったことから、宗教戦争のような印象を持たれがちですが、実際は宗教だけが問題だったわけではありません。

背景には、「過剰な弾圧に苦しむキリシタン」と「過剰な年貢の負担に苦しむ農民」という二つの大問題があったのです。この地域の藩主は、年貢を滞納する農民や改宗しないキリシタンに対し、体を傷つけるほどの過酷な罰を与えていました。そのため、「もう、耐えられない!」と不満をつのらせた領民が一致団結し、蜂起したというのが真相。島原と天草の両地域で同時多発的に起こったため、これにふさわしい「島原・天草一揆」に名称が変わったのです。

昔「島原の乱」→今「島原・天草一揆」

応仁元年に発生し、戦国時代の始まりとなった大乱は?

室町時代後期に発生し、戦国時代の幕開けとなった歴史的な大乱といえば「応仁の乱」。今もその常識は変わりませんが、ごく最近になって多くの教科書が「応仁・文明の乱」に次々と名称を切り替えています。

この乱の一つの特徴は長期間続いたこと。応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までのなんと足かけ11年も続き、その期間の大半は文明年間です。そのため、「文明という年号も表記すべき」と考えられるようになったのです。

この戦いのもう一つの特徴は複雑さ。守護大名家の家督争いから、将軍家の跡継ぎ問題、さらには有力大名の細川勝元と山名宗全の主導権争いまで絡んで、全国の大名が東西に分かれて争ったのです。「応仁・文明の乱」とすると、この長期間に及んだ内乱の複雑さが連想しやすいかもしれません。

昔「応仁の乱」→今「応仁・文明の乱」

縄文時代に使われていた土器の名前は?

縄文時代に誕生したのが、縄(撚より紐ひも)を使って縄目模様をつけた土器。土を焼いて固めると器になるというのは、画期的な発明でした。この土器のことを、80年代の教科書までは「縄文式土器」と表記していましたが、今の教科書は「縄文土器」としています。つまり、「式」の一文字がカットされたのです。

同じように「弥生式土器」も「弥生土器」に変わっていますが、これらは歴史学上の表記に合わせた変更です。

「縄文土器」はこの時代の土器の総称で、同じ縄文土器でも、発見された遺跡や文様の特徴などから細かく分類するときは「○□△式」と表現するのが一般的なのです。たった一文字の違いですが、今と昔の微妙な違い、理解しておきましょう。

昔「縄文式土器」→今「縄文土器」

 

 

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現代教育調査班

教育にまつわるさまざまな疑問、不思議について、綿密なリサーチをかけて調査するライター集団。学年や教科を問わず、情報を日々更新している。