定年後も「年金+300万円」稼ぎたい人が捨てるべき5つの意識

「60歳からの再雇用では給料が激減する」は一般論

「年金は夫婦で月額24万円ぐらい」
「60歳からの再雇用は、時給1200円程度が普通」
「60歳以上の再就職は、年収300万円に満たないのが普通。高望みは厳禁」

私たちはこうした一般論を信じてしまいがちですが、これらはあくまで平均的な話です。当たり前のことですが、市場価値というのは相対的なものです。希少性とまではいかなくても、採用ニーズさえあれば、何歳になろうが時給1200円や年収200万円台とは比較にならない金額で、新たな職を得ることができます。

具体的には、技術者、設備系、施工系、製造系、生産管理系人材、あるいはドライバーは不足しているので市場価値は高いです。方法さえ知っていれば、年収300万円レベルではない再就職が可能になります。

一方、事務方は貿易実務や財務、経理、総務、人事といった明確な専門性の有無によって明暗が分かれます。

微妙なのは営業系です。特定の海外に精通していたり、国内でも事業経営、営業戦略の立案までできる人材は別として、プレーヤーとしてとなると、新規開拓で億単位の売上増に貢献できそうなスキルや人脈でもない限り、「年収300万円レベルではない再就職」は難しいのが現実です。

自分の可能性を低く見積もってはいけない

「自分はどうやらこの辺りまでだな。50も過ぎたし、今さらスキルアップや人脈拡大のために必死に頑張らなくてもいいや……」

このように、50歳を過ぎてから自分で限界を勝手に決めてしまう人がいます。
組織の中で思うように出世できなかった人には「無力感」が染みついてしまい、「これまでだって大して報われなかったんだから、50過ぎた今から必死に頑張ったところで、自分には大したことできないだろうし……」と、自らを過小評価してしまうのです。

しかし、私がこれまでの30数年間で出会った経営者や、大手・中小企業の管理職から聞いたのは、「誰が昇進するかというのは、実力よりも『時の運』で決まった」といった話ばかりでした。上司の好みや、たまたま所属していた事業部が主流か傍流かということで、昇進するかどうかが決まっていたのです。

長年働いてきて惰性を感じ、いつのまにか『自分の限界はこの辺りだな』と線を引いて、さらなる成長やアップデートの追求、人脈づくりをなんとなく止めてしまう――。こうした意識は、定年後の再雇用でマイナスにしか働かないことは言うまでもないでしょう。

「学歴神話」「学歴コンプレックス」は無用の長物

50代での転職活動や定年後の再就職では、新卒と違い、学歴はほとんど意味を持ちません。

東京一工、旧帝、早慶、MARCH、関関同立、日東駒専、大東亜帝国といった大学の序列、高専、専門学校、高卒、中卒といった学歴ではなく「キャリア」、つまり〝何ができるか〟で合否が決まります。

とくに技術者の中には高専や工業高校出身者も多いですが、50代以降の就職、再就職活動においては、一流大学を出た「営業部長ならできます」といった困った人より何十倍も需要が多いのが現実です。

求められているのは若かりし高校時代の学力ではなく、「いま不足している分野を補ってくれるだけのスキルを持っているかどうか」です。

学歴にプライドを持っている人は、「一流大学から一流企業に入社して、エリート街道を歩んできたオレが、今さら無名の中小企業などで働けるか」と思っていると痛い目に遭います。

長年キャリア採用、シニア採用を繰り返してきた中小企業は、採用で様々な失敗をして目が肥えています。「プライドだけは一人前だが仕事は半人前」の人を見抜き、試用期間内に白黒つけます。

50歳を過ぎたら、学歴によるプライドはゼロリセットするに限ります。学歴は高すぎると「過剰品質」として不利になってしまうことすらあるのです(これは「スキルとキャリアで選ばれる」という事実の傍証となるでしょう)。

逆に、いまだに学歴コンプレックスを引きずっている人には、選考する側は学歴を「参考程度」にしか見ていないことに気づいてほしいです。思い込みで自身の可能性を狭めないでください。

「会社本位で考える」という思考停止病

何かを考えるとき、脊髄反射的に「会社はこう考えてるだろうから、私としては〜」「部長はこう思うだろうから、私は〜」となってしまうことを、私は思考停止病と呼んでいます。

「役員はどう思うか」「本部はどう判断するか」「(顧客の)A社はどう判断するか」と斟酌し、おもんぱかる日々が何十年も続いてしまうと、そこから解き放たれた自由な発想ができなくなります。

日本はとくにこの傾向が強いので、「自由に考えていい立場になったんですよ」と言われても、「そもそも『自由』ってどういうことだっけ?」と、戸惑ってしまうわけです。

だから、「50代を卒業したら、何をしたいですか?」という質問に、組織人としてではなく個人として答えられる人が少ないのです。そのため、「えーと、ちょっと充電しながら考えますよ」なんて答えになるのですが、これが「思考停止病」の顕著な例です。

「定年後はセカンド・ライフ」という意識は不要

いつからか、定年退職後の人生は「セカンド・ライフ」と呼ばれるようになりました。しかしすでに定年を過ぎた人にとって、「セカンド・ライフ」という言葉は害にしかならないのではないでしょうか。

そもそも私たち人間も生物も、この瞬間にしか生きられません。「現役時代がファースト、定年後はセカンド」というのは分かりますが、そうなるとセカンド・ライフは人生の「おまけ」のように聞こえるし、実際にそう刷り込まれてしまいます。しかし、メインではない人生なんて存在するのでしょうか?

「もし私が神だったら、青春を人生の終わりに置いただろう」

高校時代にアナトール・フランスの名言を知って、「うまいこと言うなぁ」と感動したことがありました。還暦を目前にした今、この言葉はますます輝きを増すばかりです。

「下り坂の人生を歩みたくない」というニュアンスも感じ取れるし、「実際には下り坂であっても、あらがおうとするところに生きがいや張り合いがあるのだ」と、教えてくれます。

「先入観」「思い込み」「これまでのスタンス」を捨てる

ここまで「捨てる」ことの大事さについて述べてきました。しかし中には「これはいらない」と頭では分かっていても、捨てるのが難しいこともあるでしょう。また、捨ててはいけないことも、たくさんあるはずです。

こういう場合にお薦めしたいのは、「陽転思考」です。何か自分にとってマイナスなことが起きてしまったとき、「せっかく」、「いったん」をつけるという思考法です。たとえば、

「せっかく役職定年になるんだから〜」。

この「〜」に入れる言葉を考えれば、自動的に思考がポジティブになるという合理的な方法です。「いったん」という副詞も、つけると〝捨てるハードル〟がグッと下がって自由な発想がしやすくなる効果があります。

「いったん」には「仮に」、「試しに」というニュアンスがあるので、失敗したら元に戻せばいいという気楽さも生まれます。

「いったん捨てる」ことがきっかけとなって、「捨てる方がいいこと」と「捨ててはいけないこと」を分けやすくなると思います。

一般論や思い込みから自由になるというのは、部屋の片づけに例えれば、「まず、いらないものを捨てる」に相当します。いらないものがなくなったら、定年後も「年金+300万円」稼ぐという、次のステップに進みましょう。

 

 

seishun.jp

PROFILE
大塚寿

1962年群馬県生まれ。株式会社リクルートを経て、サンダーバード国際経営大学院でMBA取得。現在、オーダーメイド型企業研修を展開するエマメイコーポレーション代表取締役。オンライン研修「営業サプリ」を運営する株式会社サプリCKO。高校・大学・就職いずれも第1志望に入れず悶々と過ごす。リクルート入社後、上司、先輩、社外の大手・中小企業経営者、管理職に片っ端からアドバイスを求め、挫折、失敗、後悔、さらに「後悔しない方法」を聞き実践した結果、人生が好転する。インタビューは今も継続中で、人数は1万人を超える。歴史上の成功者や偉人よりも身近な人の成功、失敗から学ぶ合理性を痛感している。著書にシリーズ28万部のベストセラー『40代を後悔しない50のリスト』(ダイヤモンド社)など20数冊がある。

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