「重い」と「重たい」は同じ? 違いの説明に困る日本語

重い荷物

いつも使っているのに、なぜそう言うのか聞かれると「?」となってしまう日本語、けっこうあるものです。日本語講師の岩田亮子さんが、外国人の生徒さんの「素朴で鋭い」質問から得た気づきを教えてくれます!

「重い」と「重たい」は同じ意味? それとも違う意味?

私が教えている日本語学校で、外国人の生徒さんから聞いた話です。荷物を運んでいる人に「重いですか」と聞いたら、「重たい」という答えが返ってきて混乱してしまったとか。「重い」と「重たい」は、どこがどう違うのでしょう。

「重い」には「目方が多いこと」や「動きが鈍いこと」という意味があります。「重たい」も同様に「目方が多いこと」や動きや口調が「軽快でないこと」といった意味があります。つまり、意味としてはほぼ同じと言えそうです。

ではどこが違うのか。NHKの放送文化研究所のウェブサイトに、その答えのヒントとなるようなことが書いてありました。それによると、「重い」よりも「重たい」のほうが、話し手の「実感がこもっている」とのこと。

確かに、「この荷物、持てる? 重いよ」と言うのと、「この荷物、持てる? 重たいよ」では、「重たいよ」のほうが、話し手が「重いと感じている」という気持ちが伝わってくるでしょう。「眠い」と「眠たい」、「煙い」と「煙たい」の違いも同様と考えられます。

また、実感がこもっているという点に着目すると、「一円玉より十円玉のほうが重い」とは言えますが、「一円玉より十円玉のほうが重たい」とは使いにくいとも説明しています。
一円玉も十円玉もどちらも軽いものなので、話し手が「重たい」と実感するとは考えにくいからです。

そう考えていくと、例えば目上の人からのアドバイスが心に響いたときなどには、「あの人の言葉は重い」ではなく、「あの人の言葉は重たい」と言ったほうが、そのアドバイスのありがたさがより伝わるでしょう。

なお、「重い」と「重たい」の違いを、地域差によるものとする考え方もあるようです。

「町」と「街」の違いを説明するとしたら?

「町」と「街」は、どちらも「住宅や商店が集まり、人々が暮らす場所」という意味ですが、言葉の成り立ちが少し違います。

「町」は「田」が付くことからもわかるように、もともとは、田んぼを中心に人が集まってきた場所という意味合いを持っていました。

一方の「街」は、「商店街」や「住宅街」、「歓楽街」などの言葉に使われるように、もともとは大きな通りがあり、その通りを中心に住宅や商店が整備された場所という意味合いがあります。英語で町は「town」や「city」と訳せますが、街は「street」とも訳します。

また、「町」と「街」を行政の単位で区別すると、「町」は「市」より小さく「村」より大きい地方公共団体です。「街」には行政上の単位を示す意味はありません。

「目」と「眼」はどう使い分けるのが正しい?

外国人の生徒さんの中には、「手と腕」や「足と脚」の違いは理解できても、「目と眼」の違いに戸惑う人が少なくありません。手は「hand(ハンド)」で腕は「arm(アーム)」ですが、目と眼は英語でどちらも「eye(アイ)」。どう区別したらいいのかと迷うのです。

「目」には、「人を見る目がある」という場合の「洞察力」や、「あの人は見た目が良い」というときの「印象や外観」、さらには「まったくひどい目にあった」など「経験や体験」といった意味もあります。

その他にも「台風の目」など、目の形や、モノを見るという働き、機能から派生した、さまざまな言葉に使われています。

それに対して「眼」は、おもに医学や生物学など学術的な表現で使われます。ただし、物事の本質を見抜く「炯眼(けいがん)」や、美しさを理解する「審美眼(しんびがん)」といった表現もあります。

「いっぱいある」と「たくさんある」はどう違うの?

「テーブルの上にリンゴがいっぱいある」と「たくさんある」は、どちらを使ってもおかしくありません。ほぼ同じ意味です。

ところが、そのリンゴをどんどん食べて、「もうお腹いっぱい」と言うことはあっても、「もうお腹たくさん」とは言いません。つまり、「いっぱい」と「たくさん」は微妙に意味合いが異なるわけですが、どう違うのでしょうか。

「いっぱい」は漢字で「一杯」と書きます。ある容器や場所などに「モノがあふれんばかりに満ちている状態」を意味します。

「パーティー会場は、若い男女でいっぱいになった」、「東向きの大きな窓からは、部屋いっぱいに朝陽が差し込む」などと使います。一方、「たくさん」は漢字で「沢山」と書き、単純に数量が多いことを示しています。

また、「いっぱい」も「たくさん」も他にもいくつかの意味があります。「ちょっといっぱい(一杯)、やっていくか」と言えば、「いっぱい」は軽くお酒を飲むことを意味し、「もうたくさん」と言えば「十分すぎてこれ以上はいらない」という意味です。

「お説教はもうたくさんだ」、「あんな苦労はもうたくさんだ」などと、「うんざり」といった意味合いで使います。

 

PROFILE
岩田亮子

日本語講師。大学卒業後、産業・経済専門紙記者を経て、2003年から現職。現在、外資系自動車会社をはじめIT部品メーカーなどのビジネスパーソンや外国人研修生を対象とした日本語研修、日本語学校での授業を担当。初めて日本語と日本文化に触れる外国人から、大学や大学院への留学を目指す外国人まで、「誰もが楽しく学べる」をモットーに日本語のレッスンを実施。外国人の生徒さんから寄せられる素朴な「日本語の大疑問」に日々新たな発見をしている。