【#私をつくった青春の一冊】山田太一『早春スケッチブック』

作家、ブックデザイナー、書店員など……いま出版業に携わる人たちは、かつてどんな本を読み、考え、日々を過ごしてきたのか。「幼少期~青春時代に読んだ人生の軸となる本」を挙げながら思い出のエピソードをお話いただく企画、題して『#私をつくった青春の一冊』。人生のどの時期を「青春」ととらえるかは、その人次第。連載第1回は、タロー書房に勤める書店員・五坪侑恵さんのお話です。大学時代に出会った運命の本にまつわる、いろんな青春ストーリーをうかがいました。【聞き手:編集部】

大学4回生、寝食を忘れて見入った『早春スケッチブック』

タロー書房は三越前駅改札を出てすぐ。岡本太郎氏デザインのロゴがそびえる

東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前」駅で降り、A6番出口をめざして改札を出ると、目の前にタロー書房がある。1994年創業。店名ロゴは、オーナーと縁のあった岡本太郎氏がデザインした。もともとは日本橋三越本店の向かいに店舗を構える路面店だったが、2010年、商業施設「コレド室町1」オープンの際、その地下1階に移転。スタイリッシュな内装は、インダストリアルデザイナー・水戸岡鋭治氏が手掛けた。大きくゆるやかにカーブした曲線状の書棚、カラフルかつ上品な印象の壁紙などが特徴的だ。買い物客や界隈のビジネスパーソン、地元住民などでにぎわう書店である。今回は、そんなタロー書房に勤める書店員・五坪侑恵さんに、青春の一冊を挙げていただいた。

五坪: 私の青春の一冊は、脚本家・山田太一さんのシナリオ集『早春スケッチブック』です。大学時代、先輩からドラマのDVDを借りて一気に観て、生きてきた22年のなかでいちばん衝撃を受けました。人生観が変わった、と言える作品です。

五坪さんは1987年、滋賀県生まれ。お笑いが好きで吉本興業の番組やNHK「爆笑オンエアバトル」、宮藤官九郎脚本のテレビドラマなどを見て育った。2006年、大学入学を機に京都へ引っ越し、ひとり暮らしをはじめる。大学時代は文学部で日本近代文学を学ぶ一方、落語研究会に所属。4回生の冬、落語研究会の3つ上のOBが久しぶりに大学を訪れて「とてもすばらしいからぜひみんな見てくれ」と『早春スケッチブック』のDVDを置いていった。さっそく第1話から再生すると、寝食も忘れて観続けたという。

五坪: めちゃくちゃおもしろくて、2日ほどで観終わりました。大学生だったから時間が余っていたし、続きが気になって。私は大学3年(2008年)の秋にリーマンショックがあって、ちょうど就活の時期と重なったんです。就活もしましたが、就職は難しそうだと諦めかけていました。一方で、進路を決めた同級生もいて……彼らの曇りなき顔を見ていたら、私は世の中の“普通”になれそうにないな、でも“普通”を志向しているわけでもないし……と煩悶していました。『早春スケッチブック』は、そんな私の進むべき道を示してくれたんです。

初回放送から20余年後に販売されたDVD(発売元:フジテレビ)。五坪さん私物

1983年1月~3月にフジテレビ系で放送された全12話の連続テレビドラマ『早春スケッチブック』は、神奈川県の相鉄線沿線に暮らす4人家族の物語だ。信用金庫に勤める父・省一(河原崎長一郎)と、花屋に勤める母・望月都(岩下志麻)は再婚同士で、高校3年の長男・和彦(鶴見辰吾)は母の連れ子、中学1年の長女・良子(二階堂千寿)は父の連れ子というステップファミリーである。
4人は平穏に暮らしていたが、予備校帰りの和彦の前に突然、見知らぬ女性(樋口可南子)が現れて、住宅地の西洋屋敷へと連行される。古く荒れた屋敷のなかで和彦は、謎の男性(山崎努)と出会う。彼は父と同世代に見えるが、椅子に乱暴に腰かける、手に持ったウイスキーの瓶に口をつけて飲む、和彦を「お前」と呼ぶ、他者への批判を連呼するなど、かなり高慢な態度であり、真面目で品行方正な父とは正反対だと感じた。
当初は反発していたが、屋敷で男性と会って話すたびに影響を受けていく和彦。みんなと同じように大学進学をめざす自分のあり方に疑問を抱き、ついには受験当日、試験場から外へ出てしまう。屋敷の男性の正体は、都の元恋人であり、和彦の実の父・沢田竜彦だった。そこから加速度的にストーリーが展開していく。

五坪: 和彦は、今でいうイケメンというわけでもない、普通の平凡な高校生なんです。それを鶴見辰吾が演じているのがいい。2人のお父さんが対照的なキャラクターで、どちらのほうがいいってわけでもない。ただ、初めてドラマを見たときの私は若かったし、山崎努が演じてる実のお父さん(竜彦)のほうが魅力的じゃないか、と思ってました。けど、ドラマを観ていくにつれて、もうひとりの真面目なお父さん(省一)がいかに頑張ってこの暮らしを保っているか、っていうのが描写される。その省一の姿を見て、最終的には竜彦も感動する。そのシーンが、すごくいいんです。

かっこつけたり弱さを見せたり…刺激的な台詞に圧倒

92年刊行の新潮文庫版『早春スケッチブック』。五坪さん私物

シナリオ集は1983年に初めて書籍化された(大和書房)。五坪さんが大学4回生のときに手に取ったのは、92年に出版された文庫版『早春スケッチブック』(新潮文庫)。付箋がたくさん付いていて、今も大事に手元に置いてあることが見てとれた。「とくに印象に残っている台詞を挙げてもらえますか?」と質問すると、一瞬、困ったような表情になりながらも3つほど挙げてくださった。

五坪: あまりにも圧倒的な台詞が多くて……なかなか選べないですが……たとえば、これですかね。“生きるってことは、自分の中の、死んで行くものを、くいとめるってこったよ。”……めっちゃいい! 本当に、一つひとつの台詞がいい。竜彦がかっこつける部分と弱い部分が行ったり来たりして刺さるんです。

竜彦「生きるってことは、自分の中の、死んで行くものを、くいとめるってこったよ。気を許しゃあ、すぐ魂も死んで行く。筋肉もほろんで行く。脳髄もおとろえる。なにかを感じる力、人の不幸に涙を流す、なんてェ能力もおとろえちまう。それを、あの手この手をつかって、くいとめることよ。それが生きるってことよ」
(山田太一著『山田太一セレクション 早春スケッチブック』里山社、p82より抜粋)

バブル前夜、消費社会が加速しつつあった1983年という時代

五坪さんがこうした刺激的な台詞たちに出会ったのは、大学4回生の12月。ちょうど大学の卒業論文を書いていた時期である。「就職、決まらないなあ」と思いながら卒論と向き合うなかで『早春スケッチブック』の影響を受け、卒論にもこの作品を盛り込んだという。

五坪: 大学では日本近代文学を専攻していましたが、卒論の題材は、村上春樹『パン屋再襲撃』に収録の「ファミリー・アフェア」という短編小説で、たまたま『早春スケッチブック』と同じ時代設定の作品だったんです。時代背景を調べているときに、『早春スケッチブック』の舞台の1983年って日本のモードがそれまでとすごく変わる転換点の年なんだなと知って。ディズニーランドが開園したりとか、その後の消費社会が加速していくのを暗示する出来事が起きた年。私自身はまだ生まれてないんですが、なんとなくノスタルジーを感じるというか、単純にこの時代が好きなんですよね……。

1983年はディズニーランド開園のほか、NHK「おしん」大ヒット、任天堂がファミリーコンピュータ(ファミコン)発売、TSUTAYAが大阪で1号店オープン、平凡出版がマガジンハウスへと社名変更、大塚製薬がカロリーメイトを発売、YMOが「散開」という名の解散……など、印象的な出来事が起きていた。五坪さんはそうした時代背景をふまえつつ、登場人物のキャラクターを分析して卒論を書き進めたという。

五坪: 村上春樹の短編「ファミリー・アフェア」も、兄妹の話なんですけど、兄が『早春スケッチブック』の竜彦(山崎努)みたいなかんじ。皮肉を言いつつ斜めから世の中を見ていて、真面目に生きている人を馬鹿にするところがある。妹の結婚相手が、兄からするとダサいかんじの人なんですけど、妹からは「あなたはもっと真面目に生きたほうがいいんじゃないの」みたいなことを言われる。私自身が、当時はこの兄とか竜彦みたいな“ハンパ”側だったので、どうしたら“普通”側とのバランスが取れるのかを作品から教えられたかんじです。

「とくに印象に残っている台詞」として五坪さんが2つ目に挙げたのは、次の箇所。ドラマの終盤、西洋屋敷を訪ねてきた省一と会話するなかで、竜彦がわが身をふりかえるシーンだ。

竜彦「あなた(省一)のよさを見ようとせず、鋭く、つまらんところばかりをつつこうとした」
省一「――」
竜彦「そういうことを、出来たら修正したい。欠点を鋭く指摘して、人にはずかしい思いをさせるなんて事は、実に下劣なことです。素晴らしいのは、誰にも、はずかしい思いをさせないような人格だ。そういうことをいいたい」
(山田太一著『山田太一セレクション 早春スケッチブック』里山社、p360より抜粋)

五坪: 信用金庫勤めのお父さん(省一)も“普通”側。家族に対しては「俺は仕方なく働いてるんだよ」って言うんだけど、働くのが普通だと思っている。そういうのを込みで(省一のことを)いいなあって思います。妻の都を岩下志麻が演じていて、河原崎長一郎の顔も私は好きだけど、ドラマのなかでは「どうせ俺はかっこよくないからな」とか自虐する。でも、なんだかんだ言いながら都が省一を立てているのもすごく良くて。大学生当時の私は、省一の言葉をあまり理解できなかったけど、今ではこれも立派なひとつの生き方だと思います。

京都から池袋本店へ。山田太一さんのイベント開催!

五坪さんは2010年に大学を卒業。リーマンショックの影響で就活は困難だったが、アルバイトとしてジュンク堂書店に入社し、京都BAL店で働きはじめた。

五坪: 卒業後も京都でひとり暮らしだったので、家賃を払わないといけなかったし、すぐに就職先が決まることはないだろうからとアルバイト先を探しました。それで「せっかくなら本屋で働いてみたい!」と思って。いざ働きはじめたら、書店の仕事がわりと面白くて、本格的に書店員の仕事がしたい、と考えるようになりました。

2013年、ビルの全面建て替えによりジュンク堂書店京都BAL店は一時閉店となる。臨時の仮店舗は面積が狭く、店員たちの多くは他店への異動を迫られた。そこで五坪さんは、思いきって池袋本店への勤務を志願。こうして、人生で初めて東京暮らしをすることになる。ジュンク堂書店池袋本店では9階芸術書売場を担当した。

五坪: 異動後すぐに、河出書房新社の文藝別冊シリーズから『総特集 山田太一』というムック本が出たんです。山田さんの書き下ろしエッセイとか、『早春スケッチブック』はもちろん『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎』といった名作ドラマの台詞の抜粋、山崎努さんのインタビュー、倉本聰さんとの対談など……。山田さんの年譜までついていて、とにかくすごい内容! この本が好きすぎて、フェアをやりたい、と企画・実施しました。このムック本はかなり売れましたね。

2013年刊行のムック本『総特集 山田太一』。五坪さん私物

ムック本のフェアを機に、編集者とも知り合いになり、「もし機会があったら山田太一さんのサイン会やイベントをやりたい」と打診し続けた。そして2015年、新刊『夕暮れの時間に』(河出書房新社)発売を記念し、晴れて、ご本人出演のトークイベント開催に至る。

五坪: 会場はジュンク堂書店池袋本店4階のカフェです。定員40名ですが、ぎゅうぎゅう詰めにして60名くらい入るんです。満席で大盛況でした。打ち上げの席で山田さんと一緒に撮影してもらったツーショット画像は宝物で、ずっとスマホの待ち受けにしてました。

悩み、それでも何とか「生きること」を肯定しようとする人々

左:92年の新潮文庫、右:2016年、里山社の復刊版。五坪さん私物

さらに、しばらく絶版だった『早春スケッチブック』が、2016年に復刊されることになる。版元は「里山社」。『総特集 山田太一』を編集した清田麻衣子氏が主宰する出版社だ。復刊記念に、映像ディレクター・大根仁氏、文芸評論家・岡崎武志氏、脚本家・岡田惠和氏らのお祝いコメントが寄せられ、そこに五坪さんのコメントも並んでいる。

これは、「自分が自分であることを越えようとする人々」のドラマだと思う。家族とか、仕事とか、学歴とか、現代社会で人間を根拠付ける様々な事柄と格闘し、悩み、それでも何とか「生きること」それそのものを肯定しようとしる人々のドラマだと思う。自分自分であることを簡単に許せない人ほど、このドラマを観てほしい。

(『早春スケッチブック』里山社、挟み込み「復刊記念 祝!コメント」、五坪侑恵さんのコメントより抜粋)

里山社からは『早春スケッチブック』に加えて『想い出づくり』『男たちの旅路』の計3作が復刊された。

五坪: 3作の復刊時、「フェアをできませんか」と山田さんに打診したところ、直筆POPを書いてもらえることになりました。2017年、そのPOPの清書をお待ちしている最中に、山田さんがお身体を悪くされて……。申し訳ない気持ちもありますね……。またいつかお会いできることを願っています。

太陽の塔と岡本太郎氏に縁のある書店へ

同じ時期、五坪さん自身にも人生の転機が訪れていた。がんを患っていた父親が2016年に亡くなり、実家の家計を支える必要が出てきたのだ。五坪さんは当時、契約社員として書店に勤務していたが、正社員として働ける場を探すことになる。そんな折、タロー書房が社員募集をしていると聞いた。

五坪: 私は関西育ちなので、大阪・万博記念公園の「太陽の塔」は身近で面白い存在として自分のなかにありました。学生時代、東京観光で南青山の岡本太郎記念館に行ったこともあったし、森見登美彦の『太陽の塔』も好きでした。そうした縁のある書店に感じて「タロー書房、よさそうだな」という軽い気持ちで入社したんです。

タロー書房の岡本太郎コーナー。文庫3部作も展開中

こうして2017年から現在の職場に勤め、実用書売場などを担当している。『自分の中に毒を持て』をはじめとする岡本太郎氏の文庫3部作(青春出版社)もパネルつきで展開中だ。

最後に、五坪さんが『早春スケッチブック』でとくに印象に残ったという台詞、3つ目を紹介する。ネタバレになってしまうが、テレビドラマ最終話(第12話)で、死期が迫る竜彦を励まそうと、省一や都、和彦、良子らが西洋屋敷を訪ねる。応接間で一堂に集まって宴会するシーンだ。

和彦の声「そして、クライマックスは、二人の父のデュエットだった。(略)ぼくには、二人が、頑張って自分を越えようとしているように見えた。自分を克服して、自分以上のものになろうと、はりつめているように見えた」
(山田太一著『山田太一セレクション 早春スケッチブック』里山社、p369より抜粋)

五坪:「唄う竜彦と省一」の映像にかぶせて、この和彦のナレーションが入るんです。めっちゃ泣ける……! シナリオ集はもちろん、ぜひDVDも見ていただきたいです。新品は流通していなくて中古品は高騰しているのでなかなか入手困難ですが、レンタルでも取り扱いがあるので比較的手にしやすいと思います。

大学の卒論、就活、書店員として企画したフェアやイベントなど、五坪さんの人生における節目節目で「軸」となってきた作品。まさに『#私をつくった青春の一冊』企画の第1回としてほんとうにありがたい、貴重なエピソードをうかがえました。連載第2回は、吉祥寺の書店員さんの「青春の一冊」を紹介します(10月上旬更新予定)。どうぞお楽しみに! 

 

PROFILE
タロー書房
所在地:〒103-0022 東京都中央区日本橋室町2-2-1 コレド室町1 地下1階
アクセス:東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前」駅 A6出口直結
電話番号:03-3241-2701
ホームページ:http://taroshobou.co.jp/