どんな状況でも数学は役に立つ
2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大に世界中が向き合わざるを得ない状況となりました。
「感染拡大」という言葉そのものへの心理的な不安に加え、医療や感染症の専門用語、日々更新される情報の多さ、そこに含まれる専門的な数字への理解はなかなか追いついてはいけないものです。
不安な状況の中でも情報を理解し、落ち着いた行動を心がける大切さをあらためて感じました。そうした「正しく怖れる」姿勢を保つためにも数学は役に立ちます。
「コロナ禍」と呼ばれた状況の中、東京都知事の呼びかけで強い印象を与えたのが次の「三密」の図です。
この図の中央が表しているのは次の式です。
密閉∩(かつ)密集∩(かつ)密接
感染が起きやすい要素を3つの円で示し、その3要素が重なる場や行動では集団感染のリスクが高まることを、視覚的イメージで誰にでもわかりやすく伝えることに成功しました。
感染が拡大した場合の予想を示し、そうならないための対策を知ってもらう呼びかけでは、グラフや数字も登場しました。
しかし、数学的に高度な内容を含んでいるため「三密の図」に比べると理解が広まるのが難しかったようです。
例えば感染の拡大を抑えることができた場合と、感染拡大が進む場合をグラフで比較する際に、「指数関数的増加」という言葉をよく聞いたと思います。
次の式1は指数方程式です。「aのx乗」を指数関数と呼び、「x」が指数です。
式1 y = ax
あるウイルスは、感染者1人が生み出す二次感染者数を2人だとします。1人から2人、2人から4人、4人から8人……。いわゆる「倍々」に増えていきます。
つまり、新たな感染者がx人増えるごとに次の感染者数は2のx乗ずつ増えていきます。式で表すと式2のようになります。
式2 感染者数=2x
図でわかる感染拡大とその対策
感染拡大の仕組みを詳しい図でたどってみましょう。
ウイルスが感染力を維持したまま、1人の感染者が新たに2人の感染者を確実に増やす場合、指数関数的拡大は次の図のようになります。
感染者1人(2の0乗) → 新規感染者が2人増える(2の1乗)
→ 新規感染者が4人増える(2の2乗) → …
何もしなければ感染者が増えていき、数が増えるほど感染拡大を封じ込めることが難しくなります。
そこで感染拡大のきざしを初期で発見し、感染者を治療・療養することで感染拡大を抑える。その対策が下の図です。
しかしこれは、すべての感染経路を追える場合において有効ですが、感染経路の不明が増える段階では他の対策も併用する必要があります。
そこで、まだ感染していない人が、他人との接触を減少させることで「感染先」にならないようにする対策が下の図です。
こうすることで、感染の連鎖を社会的にたち切り、ウイルスの感染力そのものを減少させるのが、多くの人が体験した「ステイホーム」だったのです。
さらなる対策「8割の行動制限」とは?
ウイルスが感染力を持つ間、すべての人が屋外行動を制限し、誰とも接触しなければ、感染はそこでストップします。
しかし、現実問題としてそれは不可能です。医療従事者や物流、インフラ、生活物資の販売をはじめ、移動や活動をしなければならない人びと、さらに「要請」だけでは行動を制限できない事例などです。
そのデータを積算し、「社会全体で目標とする行動制限の割合」が感染症の専門家によって呼びかけられました。それが「8割の行動制限の要請」だったのです。
なぜ、8割なのか。それを説明するにあたり「実効再生産数」を知る必要があります。「再生産数」とは、1人の感染者が平均で何人を直接感染させるかを示すもので、「実効再生産数」とは「実際に現実の社会で起きている再生産数」です。
重要なのは、その値が1より大きいかどうかです。
1より大きい → 新規感染者が増え、感染が拡大
1の場合 → 新規感染者数は横ばい(収束も拡大もしていない)
1より低い → 新規感染者は減り、感染が収束
すでに感染拡大が起きたドイツなどのデータから「オーバーシュート(爆発的な感染者の増加)」が起きた状況では、感染者1人が免疫を持たない集団に二次感染を起こす可能性があるかを示す理論値(基本再生産数)は2.5と考えられていました。
オーバーシュートを避けるためには理論値の「2.5」にならない対策が必要です。
さらに、実効再生産数が1を下回り、抑制させる対策も必要です。その対策の計算式は次のようになります。
Re=(1-p)Ro<1
その意味は次の通りです(2020年8月現在、政府専門家会議クラスター対策班の西浦博教授より)。
実効再生産数(Re)を1より小さくしたい。そのためには、全体(1)の何割(p)の人が行動制限する(1−p)ことで、基本再生産数(Ro=2.5)を下げることができる。
実は、この式を計算すると、行動制限が必要な人の割合(p)は0.6になるようです。つまり、行動を制限する必要がある人は、理論上では全体の6割で、8割ではなかったのです。
なぜ、2割も違うのでしょうか。それは、個々の人びとの行動の中には要請だけでは制限しえないものがあり、そうした数値を積算した上で出された数値が「8割」だったのです。
社会全体で「少し多目」の負担を担うことで感染抑制効果を実現しようとする数字でした。
データに基づく理詰めで導いた数値で終わらずに、現実の生活や人びとの実情まで加味したリアルな戦略作りがなされていたのです。
math channel代表、日本お笑い数学協会副会長。2012年、早稲田大学大学院修士課程単位取得(理学修士)。数学応用数理専攻。大学在学中から、数学の楽しさを世の中に伝えるために「数学のお兄さん」として活動を開始し、これまでに全国約200か所以上で講演やイベントを実施。2017年、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)主催のサイエンスアゴラにおいてサイエンスアゴラ賞を受賞。著書に『笑う数学』(KADOKAWA)、『算数脳をつくる かずそろえ計算カードパズル』(幻冬舎)などがある。

- 作者:横山 明日希
- 発売日: 2020/09/12
- メディア: 新書