【#私をつくった青春の一冊】藤子・F・不二雄『ミノタウロスの皿』

作家、ブックデザイナー、書店員など……いま出版業に携わる人たちは、かつてどんな本を読み、考え、日々を過ごしてきたのか。「幼少期~青春時代に読んだ人生の軸となる本」を挙げながら思い出のエピソードをお話いただく企画、題して『#私をつくった青春の一冊』。人生のどの時期を「青春」ととらえるかは、その人次第。連載第2回は、BOOKSルーエに勤める書店員・富田浩司さんのお話です。小学生の頃に出会った運命の本にまつわる、いろんな青春ストーリーをうかがいました。【聞き手:編集部】

漫画好きの小学生が出会った、大人向けSF漫画

吉祥寺駅北口のサンロード商店街を直進

JR中央線「吉祥寺」駅北口を出て、サンロード商店街を徒歩2分ほど直進すると、右手にBOOKSルーエがある。1936年設立の永井商事株式会社が、蕎麦屋、喫茶店を経て、1991年にオープンした書店だ。3階建ての大型店舗で、外壁に施されたイラストレーター、キン・シオタニ氏の絵がトレードマーク。吉祥寺という街は、大型書店から個性派書店まで多店舗がひしめく書店激戦区だが、それでも「ルーエで買いたい」という常連客や地元住民に愛されながら営業を続ける人気店である。今回は、そんなBOOKSルーエに勤める書店員・富田浩司さんに、青春の一冊を挙げていただいた。

商店街の中ほどにBOOKSルーエはある。壁画はキン・シオタニ氏の作品

富田: 私の青春の一冊は、藤子・F・不二雄さんの『ミノタウロスの皿』です。うろ覚えですが、初めて読んだのはおそらく小学3~4年生の頃。「価値観の逆転した世界観」に衝撃を受けた覚えがあります。

富田さんは1973年、千葉県出身。子どもの頃から漫画を好んで読み、趣味で『ドラゴンボール』や『北斗の拳』などの模写をしていた。また、5歳上の兄の影響を受け、同い年の友人たちよりは少し大人びた作品を手に取ることが多かった。

富田: 1980年代の小学生にとって、漫画は王道の娯楽でした。ファミコン(任天堂のファミリーコンピュータ)が出たのは私が小学2~3年の頃。まだ一部の子しかファミコン本体を持たず、今のように「みんながゲームをやっている」という時代ではなかったんです。そんな時代に、漫画は「藤子不二雄が人気を博した影響で、絵本の売上が下がった」とも言われたほど大人気の娯楽でした。

『ミノタウロスの皿』は、1969年、小学館の青年向け漫画雑誌『ビッグコミック』で発表された読切作品。当時、藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)さんは、のちの藤子不二雄Ⓐ(本名・安孫子素雄)さんとコンビを組んで「藤子不二雄」というペンネームで活動し、『オバケのQ太郎』『パーマン』『21エモン』などの子ども向けコメディ漫画を描いていた。そんな折、『ビッグコミック』編集長から打診され、初めて大人読者向けに描いたのが『ミノタウロスの皿』だといわれる(※発表時の名義は「藤子不二雄」だが、実際の著者は藤子・F・不二雄こと藤本さん個人)。77年に小学館「ゴールデンコミックス」レーベルで単行本化した『藤子不二雄異色短編集1』に収録された。

1995年刊行の文庫版『ミノタウロスの皿』

富田: 私が小学生の頃に手に取ったのは雑誌だったと記憶しているのですが、もしかするとゴールデンコミックスかもしれません。現在入手しやすいのは、95年に刊行されたコミック文庫『藤子・F・不二雄[異色短編集]1 ミノタウロスの皿』(小学館文庫)ですね(※コンビ解消後の発売のため、著者名が「藤子不二雄」から「藤子・F・不二雄」に変わっている)子どもの頃は、漫画を1話から最終話まで全部読む、ということがなかなかできなくて、読める巻数だけ読む、ということがちょくちょくありました。漫画に対していい顔をする親ではなかったので、お小遣いで買って隠れて読んだり、友だちの家に入り浸って読んだりしていました。

もし、人間と牛の立場が逆転した世界に移住したら……

そうして漫画を愛して育ってきた富田さんは、原宿にあるデザイン関係の専門学校への入学を機に上京。武蔵野市で暮らしはじめる。卒業後は、特技のイラストを活かしてデザイン事務所に勤務。そんななか、20代前半になって「子どもの頃に読んだ漫画を再読する楽しみ」を見出したという。幼少期に「つまみ読み」をしていた反動だそうだ。

富田: 大人になって単行本全巻を揃えられる経済力がついてきたときに「全部読んだらどうなるんだろう?」という思いが出てきたんです。藤子・F・不二雄さんの短編集も「そういえば、子どもの頃『ミノタウロスの皿』はけっこう衝撃だったけど、今じっくり読んでみるとどんなかんじなんだろう?」と思って。いざ読み直してみると、自分でもビックリしたんですけど、「この驚き方は、子どもの頃に読んだときと一緒だなあ……!」と感じました。その意味で、すごく印象に残っている漫画の一つです。

『ミノタウロスの皿』は、ロケットで宇宙を旅していた主人公が「地球型の星」に不時着するところから物語が始まる。その星では、地球でいう人間と牛の立場が逆転し、「牛」が支配者として、人間に似た「ウス」が家畜として生活していた。食卓には草や木の実が並び、主人公は「20日もたてば迎えがくるんだ。そしたら、うまいビフテキが食える」と地球への帰還が待ち遠しくなる。また、不時着時に救ってくれた美しい「ウス」のミノアに恋心を抱いた。そんな折、ミノアが数日後にひらかれる祝祭「ミノタウロスの大祭」で家畜代表として食べられる運命にあると知る。主人公はミノアが死んでしまうことに恐怖を抱くが、ミノア自身は「最高の栄誉よ。」と言い、むしろ誇りに思っている様子。主人公は困惑する。

ミノア「なぜ逃げるの? なんにも悪いことしてないのに。」
主人公「なぜって……ここにいたら食べられちゃうんだぞ。」
ミノア「じゃ、地球では食べられないの?」
主人公「あったりまえだ!! 牛が人間を食うなんて、そんなベラボーな!」
ミノア「まあっ もったいない。ただ死ぬだけなんて……なんのために生まれてきたのか、わからないじゃない。あたしたちの死は、そんなむだなもんじゃないわ」

(『藤子・F・不二雄[異色短編集]1 ミノタウロスの皿』小学館文庫、p171より抜粋)

富田: 作品のなかで「価値観の裏返し」や「多様性」が表現されていて、今の2020年の世のなかにも通じる話だなと感じます。今、女性の人権問題にしても、黒人の人権問題にしても、「いろんな価値観がある」と声を上げる動きがありますよね。それが1969年の『ミノタウロスの皿』ではズバッと表現されているんです。

ちょっと想像してみてほしい。「人間」と「牛」の立場が逆転した世界。もし自分がそんな星に移住したとしたら、はたして「家畜として生き、牛に食べられる」ことを受け入れることができるだろうか?

富田: ものの見方が変わって、「幸せって何なんだろう?」と考えはじめる作品ですね。好きな女性が数日後に死ぬ運命にあり、主人公は暗澹あんたんたる気持ちになるわけですけど、でも、生贄いけにえとして捧げられたミノアはすごく幸せだったのかもしれないし。

生と死の狭間で描かれる女性の姿に衝撃

「『ミノタウロスの皿』で、いちばん印象に残ったシーンはどこですか?」と富田さんに尋ねてみた。すると「女性の前でどう話していいかわからないですけど……」と断ったうえで、

富田: 生贄にされた女の子が、最後に皿に乗るところが、裸で描かれていて……このときに藤子先生の、女性を描く「エロス」みたいなものを初めて感じました。この作品以外にも『エスパー魔美』の佐倉魔美だったり『ドラえもん』のしずかちゃんだったり、女性キャラクターを描いてはいますが、それらとはまた別モノなんです。子ども心に「エロス」をどこまで理解できたのかは、ちょっとわからないですけど、印象に残るシーンでした。

さらに「しずかちゃんのお風呂のシーンと、皿に乗ったミノアの裸って、どういう違いがありますか?」と尋ねると、

富田: 『ミノタウロスの皿』で描かれている裸というのは、「生きる/死ぬ」の狭間で、「生」から「死」に向かっていくシーンなんです。そういうのも関係して、小学生ながらに、すごくドキドキしたんですよね。しかも当時の藤子先生は、『ドラえもん』や『オバケのQ太郎』といった子ども向けのコメディ漫画全盛期でしたので「こういう作品も描くんだ……」というショックもありました。そもそも、小学生でこの短編集を読んだ子が当時どれだけいたかはわかりませんが、コメディ漫画に影響を受けて育ったピュアな少年が、いきなり大人向け作品を手にとったら、みんな間違いなくビックリしたと思います。

まさに心臓の鼓動が伝わってくるような生々しい語りである。とはいえ、作品に触れてガラッと価値観が一変したかというと、実際は少し違うという。

富田:「一気に価値観が変わった」というよりは、「それまでの自分の価値観があらためて強化された」というかんじが近いです。たとえば「いじめはいけないよ」とか「人を傷つけたらいけないよ」「相手の気持ちを大事にしましょう」といった、それまでに教わってきた価値観があったとして、それを維持しつつも、さらに別の方向から「ああ、そういうことでいいんだな」と気づかせてくれたのが、この漫画です。

『ミノタウロスの皿』文庫版の同時収録作『じじぬき』や『間引き』も、富田さんにとって衝撃を受けた作品だという。

富田: 藤子・F・不二雄先生の作品は、さりげない日常のなかにちょっと毒を差し込むようなところが印象深いんです。相方の藤子不二雄Ⓐ先生は、『笑ゥせぇるすまん』などの「ブラックユーモア」といわれる、ゾワッとするようなホラー漫画をよく描かれていますが、藤子・F・不二雄先生のSF漫画は、別の意味で怖い。さりげないからこそ、より恐怖感が浸透してきます。

富田さんはデザイン事務所に勤めた後、転職活動中にBOOKSルーエのアルバイト募集広告を見かける。もともと、本に囲まれた「書店」という空間が好きだったこともあり、「次に働くならここかな」と面接を受けた。現在、勤続15年になる。

富田: ルーエに勤めはじめて8年ほどは、他店と掛け持ちをしていました。昼間は銀座の書店、夜はルーエ、というかんじです。アルバイトだったので、正社員の道を探して……というのがきっかけでしたが、今ふりかえると、いろんな体験ができて幸せな時期でしたね。

「表現の自由」のなかで「多様性」をどうかなえていくか

近年、フェミニズムの動きが広がっている。漫画内の描写についても「しずかちゃんのお風呂のシーン」や「スカートめくり」を批判的にとらえる人が出てきている。一方で、「あれは創作物だから」と擁護する人たちもいる。富田さんは漫画ファンのひとりとして、こうした流れをどう感じているだろうか?

富田: ニュースで「多様性」といった言葉を聞くと、「無視できないな」というところはありますね……。まず言えるのは、表現そのものは否定されるべきではない、ということ。重要なのは「受け手がどう捉えて、どう表現していくか」ではないかと思います。しずかちゃんの描写によって「女の子はこういうものだよ」「こういうのがかわいい」といった表現がなされたとしても、それをどう捉えるかは読者次第。何がいいかは自分で決める時代になっていくと思います。言ってみれば「自立しているかどうか」という話につながるんじゃないかと思いますね。

2020年、コロナ禍で私たちの生活は一変した。まさに『ミノタウロスの皿』で描かれたような、価値観の転換期だ。「○○はこうあるべきだ」という姿が、さまざまな媒体で描かれてきたが、すべてをいったん見直す時期にきている。

富田: それこそ、たくさんの表現が出てきている時期だと感じます。たとえばファッション誌を見ても、女性モデルを撮影するカメラマンが男性だったり、衣装を作っているデザイナーが男性だったりする。もしかすると年配の「おじさん」かもしれない。そうして提示された雑誌を読んでファッションを真似する女性は、「おじさん」の価値観に囚われている……ということになりかねないですよね。発信する人も、いろんな場所から出てきていいと思うし、表現するときもいろんな価値観を取り入れていいんじゃないか、柔軟にやっていけばいいんじゃないかな、と思います。今は「こういう価値観がある」「こういう見方もできる」と発信できる時代なので、幸せなことだと思います。戦前にさかのぼると、庶民は「お国のためにこうしなさい」と抑圧されて、たとえ「それは違う」と思ったとしても声に出すことができなかったから。 

吉祥寺から全国の書店に広がったあの名著

余談だが、BOOKSルーエと青春出版社との間には、一冊の本を介した強い絆がある。今から20年以上前にさかのぼり、1996年の秋のこと。ルーエに勤めていた書店員(新井隆司氏。現在は啓文堂書店に勤務)が、たまたま古書店で岡本太郎氏の『自分の中に毒を持て』を手に取り、この本の強烈な魅力に触れる。そこで出版社の営業部員に問い合わせるが、在庫は1993年の初版分がわずか50冊ほど残っている状態で、重版の予定もなかった。新井氏は「この本は売れるから在庫を全部くれ」と発注。自身で熱心に作り込んだ「サブカルコーナー」での展開が始まった。

『自分の中に毒を持て』は順調に売れていき、1か月も経たぬ間に完売。新井氏から出版社に追加発注が入る。一度は絶版になりかけていた同書だが、こうしてひとりの書店員と読者からの熱意を受け、発売から3年を経て初めて重版に至った。

その後、同書は全国各地の書店へと広がり、各界の著名人に次々と紹介され、現在では毎年版を重ねる文庫となった。同書および2017年発売の新装版をあわせて累計50万部を突破している。青春出版社にとってBOOKSルーエは「名著を発掘し、売り伸ばすきっかけを与えてくれた書店」なのだ。

BOOKSルーエ2階文庫コーナー。岡本太郎氏の文庫3部作を展開中

特技を活かしてイラスト入りPOPを制作

富田さんは現在、BOOKSルーエ2階の文庫コーナーを担当している。得意のイラスト技術を活かし、店頭掲示用のPOPを自作することも多い。今回、作品の一部を見せてくださった。 

左:富田さんのお手製POP。右:『たましいの場所』早川義夫著、ちくま文庫

富田さんのPOP集。ちくま文庫さん推しですね!

制服の緑のエプロンには「今月のおすすめ」のPOPを着けているそうです

富田: 書店員として、いろんな情報にいちばん先に触れられることは面白いですね。それに、どんな方がどんな本を買っているか、お店にいると実感をつかめる。「ルーエが好き」という常連のお客様がいらっしゃるのは嬉しいかぎりです。そういう方に支えられているお店だなあと感じます。

小学生の頃から現在に至るまでの漫画愛と藤子・F・不二雄さんへの思いをたっぷり語ってくださった富田さん。約1時間のインタビュー取材中に「多様性」「価値観」「幸せ」といった言葉が何度も登場したのがとても印象的でした。連載第3回は、表参道の書店員さんの「青春の一冊」を紹介します(11月上旬更新予定)。どうぞお楽しみに!

 

PROFILE
BOOKSルーエ
所在地:〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-14-3
アクセス:JR中央線「吉祥寺」駅北口から徒歩2分
電話番号:0422-22-5677
ホームページ:http://www.books-ruhe.co.jp/