「好きな事」ではなく「できる事」を仕事にすべき―林修先生の職業観

※本記事は、林修先生唯一のビジネス書である『林修の仕事原論』(青春出版社)より、抜粋してご紹介します。 

努力不足は仕事人として論外。でも、努力をしているのに結果がついてこないという場合、さらにガムシャラに努力をするより、自分の能力を生かせていない可能性を考えるべきだ―。予備校講師のかたわらテレビの世界でも大活躍している林修先生が、仕事の適性についての厳然とした見方を教えてくれます。

自分が不運だと思う人は、向いていない仕事をしていないか疑うべき

「努力は必ず報われる」

よく耳にする言葉です。完全に間違っているとは言いませんが、僕は少し不正確だと思っています。より正確に表現するなら、次のようになります。

正しい場所で、正しい方向で、
十分な量をなされた努力は報われる

以前は「正しい場所」について言及していなかったこともあるのですが、世の中を見ていて、このフレーズもつけ加えるべきだと思い、いつのころからかこの形になりました。

たとえば、お笑い芸人になりたい人が、パスタ屋で朝から晩まで美味しいパスタのつくり方を修業しても、自分の目的に近づかないのは当たり前ですね(ときには「パスタネタ」がつくれることはあるかもしれませんが)。あるいは、僕が今からジャニーズに入りたいとどんなに努力を重ねても、それは不可能でしょう。

つまり、やみくもに打ち込めばいいのではなく、まず「正しい場所」に立たなければ、非常に効率の悪い努力をする羽目に陥ります。

それならば、正しい場所ならどんな方向でもよいのか? 残念ながらそうではありません。努力には方向性があります。たとえば予備校講師の場合、学力そのものが低い場合と、伝える技術が低い場合とでは、なすべきことが異なるということです。

こういう判断は、意外と第三者のほうが的確な判断を下せることが多いのです。特に利害関係のない第三者が何気なく言ってくれる一言には、不思議なくらい大きなヒントが隠されている場合があります。

僕の場合、ネットの特にファンでもアンチでもない人のコメントから、改善のヒントを見つけたこともあります(逆に「ファン」のおほめや激励の言葉は、大変ありがたいものの、残念ながらあまり役には立ちません)。

先の努力の場所だって、実は自分で決めないほうがよい場合もあります。たとえば、「他人にほめられる分野」はありませんか? でも、自分はその分野にはあまり興味がない。そんなときにどうするかが、実は大きな分かれ目となるのです。

ベンチに座る林修先生

利害関係のない人の評価を大事にする

人間の自己認識は、実は他者認識よりも不正確な場合が多いのです。なにしろ人間は自分の顔でさえも直接自分で見ることができません。それなのに、自分のことが正しく認識できると言えますか? それに対して周りの人、特に先に述べたような利害関係のない第三者が本質を見抜くことは案外多いものなのです。だから岡目八目という言葉も存在するのです。

もちろん、利害関係がないことで無責任なことを言う場合もあるでしょう。他人の評価を冷静に受け止め、うまく活用していくには訓練が必要です。

僕の場合、自分と他人の意見が分かれたときには、まず一度は自分の考えを否定します。そこからじっくり検証を始めますが、人はよく見ているなと自説を修正する場合のほうが多いですね。

これは他者に自己を反射させた自己認識と言えます。相手も利害関係の絡まないことは客観的に評価してくれます。なにか下心がない限り、その評価は素直に受け入れましょう。評価者が一人だけでは不安だという場合には、複数の意見を重ねていけばより正確なものとなるでしょう。

さらに言えば、人の言葉に素直に耳を傾けていると、相手はいっそういいアドバイスをくれるようにもなります。誰だって、自分の言うことをろくに聞かない人間に、いいアドバイスをしようとは思わないですからね。

単なる努力不足の場合がほとんど

さて、最後は努力の量の問題です。受験生の場合なら、成績が上がらないと悩んでいる生徒のほとんどが、単に勉強不足という量の問題に帰結します。学力の低い生徒ほど、「こんなに勉強しました」という量そのものが少ないのです。

学力の高い生徒から見たら全然やっていないという量を、十分な量だと見なしてしまう。判断基準自体が甘い、とでも言えばいいでしょうか。だから、周囲の人のレベルもまた非常に大切になるのです。

ビジネスにおいては、先の二つの要素の問題である場合も多いので、まず場所と方向に間違いがないかどうかの検証を慎重に。そのうえで問題ないと判断したら、あとはガムシャラにやってみる。そうやって量を積み重ねていくことが大切です。

その際に、自分はこんなに頑張っているのだから、細かいことはいいだろうと思わないようにしましょう。遅刻をしない、会社のデスクの上をきれいにするといった、こまごまとしたことをきちんとこなしつつ、ガムシャラに頑張ってください。

「仕事ができる人」は、不思議なくらい両立しているものです。

自分としては、十分以上に頑張っているのに成果が伴わないと思うなら、努力の方向が間違っているか、もしくは努力する場所が違うのかもしれません。

好きか嫌いか、できるかできないか

「正しい場所」について、もう少し補足しておきます。

根本は、好きなことを仕事として選ぶかどうか、という問題です。そりゃあ、好きなこととできることが一致していれば何の問題もありません。しかし、「下手の横好き」という言葉もあるように、両者はなかなか一致してはくれないものなのです。

これをどう調整するかは、もはや「仕事観」の問題です。

僕は、好きなこと、やりたいことを仕事として選ぶという感覚は皆無です。20年以上やってきた予備校講師という仕事だって、(大)嫌いな仕事ですが、(誰よりも)できるという自負のもとに続けてきました。

もちろん、自分でそう思ってきただけでなく、生徒の動員状況や満足度といった客観的な評価のもと、決して努力を「主観的に評価する」ことなく、この仕事を続けてきたのです。

プロ野球選手や物理学者といった「夢」を、周囲を見回しながら次々と諦めて、言い換えれば自分の可能性を一つひとつ消しながら今の講師業にたどり着いたのです。こういう「仕事観」を持つ僕は、一方で、好きなことは趣味としてお金を払ってやればよいと思っています。

その分野が自分に適性があり、勝てる場所だと認識し、その技術やサービスに対して払われるお金に責任をとる。責任をとることに対してプライドを保てる。それが、僕の考えるプロフェッショナルであり、僕の「仕事観」です。

加えて、プロである以上は満点しか許されないとも考えています。授業料を払う学生なら、80点でも合格だという場合も多いでしょう。しかし、お金をもらうプロは、ミスをしないのが当たり前なのです。

僕が接客業をしているとして、100人のお客さんに対応して、そのうちのたった一人を怒らせただけで、その人は僕がダメだとは言わずに、その店がダメだ、さらにはそのチェーン全体がダメだと言いかねないのです(ちなみにこの現象を僕は「印象の拡大適用」と呼んでいます)。

これがプロの背負う責任です。お金をもらうということは、こんなにも責任の重いことなのです。しかし、その重い責任を、歯を食いしばって背負っていくからこそ成長も可能なのです。

「うまくいく仕事」が天職

もちろん、「好きなことをやって何が悪い」というのも一つの見識です。僕個人は「好きなことやってお金をもらおうだなんてずうずうしい」と思ってはいますが、それぞれがよく考えてつくり上げた明確な「仕事観」から選択された結果なら、もはや他人がどうこう言うことではありません。

しかし、「私は今の仕事が大好きで、これこそ天職だと思っています」と言いつつも、もし仕事がうまくいかないと悩んでいる方がいるとしたら、自分の「仕事観」はどんなものかという原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。

なにしろ、仕事とは、もらったお金に、そしてそれを払ってくれた人に対して責任をとらねばなりません。この基本を忘れることなく、みなさんご自身の「仕事観」を再考していただければ、と思っています。

結局、仕事が好きか嫌いか、できるかできないかで選ぶということなのです。自分を納得させることができれば、もう人に意見を求める必要はないでしょう。

仕事が順調な人は、今の道を進んでください。しかし、そうではないと感じる場合は、この原点に一度立ち返って、自らの「仕事観」を確かめることもまた大切です。 

 

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PROFILE
林修

1965年愛知県生まれ。東進ハイスクール、東進衛星予備校現代文講師。東京大学法学部卒業後、日本長期信用銀行に入行。その後5カ月で退社し、予備校講師となる。現在、東大特進コースなど難関大学向けの講義を中心に担当。テレビ番組のMCや講演など、予備校講師の枠を超えた活躍を続けている。

林修の仕事原論 (青春新書インテリジェンス)

林修の仕事原論 (青春新書インテリジェンス)

  • 作者:林 修
  • 発売日: 2016/11/02
  • メディア: 新書