中国の政治と社会の矛盾を反映する「社会主義市場経済」の起源

勢いを増す中国経済

 1949年10月の中華人民共和国成立以来、理想国家の建国を目指しながらも長らく“眠れる獅子”と言われていた。だが、今や中国は国内総生産の世界ランキングでアメリカに次ぐ第2位。世界の経済界に大きな影響を与えるようになったきっかけは、「経済危機」にあったという――。獅子を目覚めさせたものとは?

「理想の国家」建国に抜け落ちていた〝経済〟

貧富の差などなく、みなが安心して働き、暮らせる社会……。かつて、その理想の国を実現しようと戦った者がいた。しかし、そこに「経済」という視点がなかったために、民衆には数々の苦難が押し寄せてくるのだが――。

1949年10月1日、毛沢東を国家主席として、中華人民共和国が建国された。国旗は紅色の地に1つの大きな星と小さな4つの星からなる「五星紅旗(ごせいこうき)」と定められ、紅色は「革命」と「社会主義国」を示し、その上の大星は中国共産党を、小星は「労働者」「農民」「知識階級」「愛国的資本家」から成る国民を象徴していた。しかし、現実の中国は理想郷とは似ても似つかない状況にあった。

1950代から60年代の中国は、現在の北朝鮮に近い存在だった。唯一違っていたのは、国外からの眼差しが好意的なものばかりであったこと。豊かでありながら平等な社会、人類が理想としながら実現できずにきた理想郷づくりが完成間近とさえ思われていたのである。 地主から土地を没収して、無産農民や貧農に分け与えるという、かねてのスローガンであった土地改革を全国展開させた。それにより、何が生じたか。

一戸あたりの農地面積は狭く、生産効率の悪い小規模農家が乱立するだけとなってしまった。政府はただちに政策を改め、ソ連の「コルホーズ」(集団農場)や「ソフホーズ」(国営農場)に倣った農業の集団化を進めた。

農業生産が右肩上がりになり始めたところで、中国共産党の指導者にして国家主席でもある毛沢東の肝いりで、1958年、とんでもない運動が開始される。「大躍進」と呼ばれるその運動は、食糧と鉄鋼の大増産を狙ったものだった。

食糧の増産に関する具体策は何も示されず、強調されたのは、もっぱら人民の「やる気」で、その結果、全国の地方幹部が競い合うかのように、食糧の生産量を偽って上級に報告した。これが、事態のさらなる悪化を招く要因となる。

大量の餓死者をもたらした人災

鉄鋼の生産には人海戦術が採られた。全国の農民たちにも製鉄に励むよう指示が出されたのである。

これにより鉄鋼の数字上の目標は達成されたが、総生産量の30パーセントは質が悪すぎて使い物にならず、「働き損のくたびれもうけ」を地で行く結果となってしまった。

農民に待ち受ける災難はこれにとどまらない。本来、食糧を生産するはずの農民たちが製鉄に駆り出されたことにより、田畑はどこも極端な労働力不足に陥った。田植え・種まきの人も足らなければ、収穫にあたる人も足りない。そうなれば、極端な食糧不足に見舞われるのは避けられなかった。

農業の集団化に伴い、食事は各家庭ではなく、人民公社という国営組織の公共食堂でとることになっていた。誰でも腹いっぱい食べてかまわないという決まりは、当初は歓迎された。しかし、公共食堂から必要と迫られては、各農家とも飢饉に備えての備蓄をも供出せざるをえない。全国の農民たちは命綱を失った状態で、絶望的な食糧不足に直面することとなった。

1959年から61年の2年間に限っても、飢餓に起因する死者は2000万から4000万人に及んだと推測されている。

その間も外交戦略の一環として、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国に食糧の大量輸出を継続していたことも、死者を増やす一因となった。

現実をなかなか認めようとしなかった毛沢東も、1959年、ついには公の場で自己批判をして、国家主席の座を古参幹部の劉少奇りゅうしょうきに譲る。責任を取って身を引いた形である。

劉少奇は鄧小平とうしょうへいを片腕と頼み、経済活動を最優先とした軌道修正を行う。調整政策と呼ばれるこれは、すぐさま効果を表わし、わずか数年で食糧生産量を「大躍進」開始前の水準に戻すことに成功した。

競争原理を根付かせ、世界第2位の大国にした鄧小平の総決算

中国は、2010年、国内総生産(GDP)の世界の順位が、アメリカに次ぐ2位に上り詰めた。中国が世界を牽引する国に変貌できたのは、数々の危機を乗り越えたからだった──。

現実を見ようとしない毛沢東にさんざん翻弄された農民たちだが、劉少奇・鄧小平コンビの調整政策により、かつての生気を取り戻した。それにもかかわらず浮かぬ顔の人物が一人いた。当の毛沢東である。自分の理想が汚され、今まで築いてきたすべてが破壊されてしまうのではないかとの不安が彼を苛み、1966年にはとうとう、駆り立てられるように権力奪還闘争を開始した。

合法的な手段によらず、無知な大衆を動員しての権力奪還闘争は「文化大革命」と命名された。権力を再び手にした毛沢東は、資本主義の芽を徹底的に排除しようと努める。だが、現実を見れば、それは既存の社会秩序を破壊しただけで、何ら生産的な成果をもたらしはしなかった。

文化大革命による死者は1000万人、経済的損失は5000億元ともいわれており、1976年に毛沢東が死去したそのとき、中国経済は建国当初の水準にまで落ち込み、台湾の100倍近い人口を有しながら、国民総生産(GNP)は台湾の10分の1程度にすぎなかった。

これでは、いくら理想を叫ぼうが空しく響くばかりだった。

中国は、共産国家建設の理想を共にするソ連と1950年に「中ソ友好同盟相互援助条約」を結び、経済援助、技術援助を受けていたが、1950年代後半からイデオロギー上の対立により溝が深まり、それが国境紛争に発展するに及んだ。危機感を募らせた毛沢東は“敵の敵は味方”の論理から、国務総理の周恩来しゅうおんらいにアメリカとの極秘交渉を進めさせた。

ソ連の軍事的脅威に対抗するため、アメリカと手を組む。アメリカとの関係が改善されれば、国際社会への復帰も叶い、国際機関や西側陣営から必要な援助を引き出すことができる。こうした計算のもとに進められた交渉の結果、1972年、アメリカのニクソン大統領の訪中に続き、イギリス、日本、西ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドとの国交正常化が実現の運びとなった。

アメリカとの国交正常化がなったのは1979年1月のことで、同年12月には日本政府とのあいだで円借款について合意に達する。円借款とは「政府開発援助」(ODA)の一環で、通常の民間金融機関の融資より低い金利で長期の資金を開発途上国に貸し付ける制度をいう。日本から中国へのODAは2018年まで続けられた。

さらに、中国は1980年には国際通貨基金(IMF)と世界銀行への復帰を果たし、国内では人口圧力の回避策として「一人っ子政策」を本格化させるとともに、従来の人民元に加え、外国人向けの外貨兌換券を発行。二重通貨制度を採用した。

1980年代半ば、農村部では余剰作物の売買を認める生産請負制が広まり、年間収入が一万元以上になった家族「万元戸まんげんこ」と称される成金も続出するようになった。

一方で、工業部門では「鉄の茶碗」(失業の心配のない終身雇用制)と「大釜の飯」(悪平等の賃金体制)に浸りきり、無気力と無責任が蔓延する国営企業の改革が遅々として進まずにいた。

ここで鄧小平は、社会主義体制のもとでは禁じ手のはずの競争原理を持ち出す。鄧小平は毛沢東に比べれば柔軟な思考の持ち主で、それをよく物語るのが、1962年7月、共産主義青年団を前にした「黄猫でも黒猫でも、ネズミを獲るのが良い猫」という発言であろうか。「物事にとらわれることなく、状況次第で対応し、結果がよければよい」といった意味で、ちなみに日本では「黄猫」が「白猫」に変えられて流布した。

ただ、競争原理を持ち込むにしても、やはり先立つものが必要であり、それは国外に求めるしかない。鄧小平により掲げられた経済発展を目指す「改革開放」は、外資の導入と外資を誘致するに必要な環境整備を意味する言葉だった。

経済の自由化を進めれば、おのずと社会の自由化も進む。政治的な自由を求める声は1989年に起きた天安門事件で抑えるが、鄧小平は同様の運動が再発するのを防止するためにも、中国全体を豊かにしなければとの考えを強め、1992年の春節(旧正月)には88歳の老体に鞭打ち、武漢、深圳しんせん珠海しゅかい、上海などを視察し、改革を加速させるよう号令した。外資導入による経済発展を進めるように力説した、いわゆる「南巡講話」を実施したのである。

昨今、深圳は、「中国のシリコンバレー」と言われ、町全体がキャッシュレスはもちろん、無人運転バスが運行し、電気自動車が走る。ある企業の従業員にはボーナスにBMWやベンツが支給されるようだ。

中国が、これまでの「安かろう悪かろう」から、本格的に「世界の工場」の道を歩み出すのは、2008年の北京オリンピック開催が決まった20世紀末頃からで、「富裕層」の出現や「爆買い」という現象が一般化するのは2010年以降のこと。街中の食堂で配給切符が必要とされ、都会では闇の両替商が跋扈ばっこした1980年代半ばに比べると、隔世の感がある。

 

PROFILE
島崎晋

1963年、東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務を経て、出版社で歴史雑誌の編集に携わる。現在は作家として、歴史・神話・宗教など、幅広い分野で活躍している。主な著書に『人類は「パンデミック」をどう生き延びたか』『ホモ・サピエンスが日本人になるまでの5つの選択』(青春出版社)、『一気に同時読み!世界史までわかる日本史』(SB新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる──争奪と興亡の2000年史』(ウェッジ)などがある。

 

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