Go To トリビア旅行! 三重県に各分野の「聖地」が多い理由とは

伊勢神宮

ちょうど日本の真ん中あたりに位置している「三重県」。中部なのか近畿なのか、論争になることもあります。三重県には伝統、自然、グルメとさまざまな魅力がありますが、忘れてはいけないのが”聖地”。日本神話にはじまり、忍者、車など、多様な聖地があります。読めば思わず"巡礼”に出かけたくなってしまう「三重県」の旅へLet’s Go!

三重の地名の由来は日本神話にあるって本当?

日本武尊の墓

 東征帰路に日本武尊が伊勢国能褒野で亡くなられたという記述に基づき、明治12年に内務省により「日本武尊能褒野御墓」 (やまとたけるのみことのぼのおんぼ)と定められた。現在も日本武尊の墓として宮内庁が管理している三重北部最大の前方後円墳。

三重という名は、日本武尊ヤマトタケルをめぐる伝承に由来する。

日本武尊は、東国の蝦夷えみしを制圧後、大和への帰途についた。途中、日本武尊は疲弊し、今の四日市あたりに着いたときには、“足が三重に曲がる”ほど疲れていた。日本武尊はそのまま今の三重県の亀山で亡くなる。

やがて、日本武尊の足が“三重"に曲がった地であることから、三重という地名がつけられた。

なぜ伊賀は忍者の里になったの?

忍者

伊賀上野城内の伊賀流忍者博物館では忍者ショーや忍者体験ができる。

三重県の伊賀市は、忍者の里として知られる。

伊賀で忍者が生まれた理由は、大きく分けて三つある。一つは、伊賀地方が四方を山に囲まれているため、昔から大きな権力が成立せず、小領主らによる割拠がつづいていたこと。

小領主同士がしのぎを削るなか、奇襲や諜報活動といった巧緻な戦術に磨きがかかったのだ。二つ目は、伊賀の土壌が粘土質で、農耕に不向きなこと。伊賀の人々は生計を立てるため、傭兵として出稼ぎに出るようになり、彼らの技はさらに進化していった。

三つ目は、山岳地帯の伊賀周辺には、修験道と関わりの深い霊山などが多いことが挙げられる。山伏や修験者らと接するうち、彼らの修行法が伊賀忍者にも伝わり、それが忍者の技術をより高めたと考えられる。

伊賀上野城

築城の名手、藤堂高虎によって造られた伊賀上野城。石垣の高さは大阪城とともに日本一の高さと言われ、約30メートルもある。

三重の山中に鈴鹿サーキットがつくられたのは?

鈴鹿サーキット

F1日本グランプリや鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの開催で知られる鈴鹿サーキット

日本モータリゼーションの“聖地”といわれ、世界中のレーサーが憧れる「鈴鹿サーキット」。このサーキット場は、ホンダの創業者、本田宗一郎が生んだコースである。

鈴鹿市との縁は、ホンダの新工場設立計画からはじまった。昭和33年夏発表のミニバイク「スーパーカブ」をヒットさせたホンダは、浜松・埼玉の工場では生産が追いつかなくなることを見越して、工場用地を探していた。候補地はいくつかあったが、平坦で十分な広さを持つ鈴鹿が選ばれ、工場が設立された。

その後、サーキット建設を決めたときも、最終的に鈴鹿が選ばれたが、建設されたのは木の生い茂る丘陵地。要するに、山の中にコースをつくったのは、近隣住民の生活に極力、影響を与えないという本田宗一郎の意向があったからだという。山の中であれば、農地を買い上げたり、用水路を壊したりする必要がなかったというわけだ。

鈴鹿サーキット

日本初の全面舗装と観客席の両方を備えたサーキットとして建設された

四日市がコンビナート地帯になったのは?

四日市コンビナートの工場夜景

工場観賞愛好家から「聖地」と称される四日市コンビナートの工場夜景

三重県四日市市は、江戸時代には東海道の宿場として栄え、大正時代には毛織物や綿の輸出で発展した。その街の性格が変わったのは、昭和14年(1939)、 四日市湾の埋め立てが行われ、海軍燃料工廠が設立されてからのことである。以降は軍需工場が増え、現在まで四日市市は重工業の街として歩むことになった。

太平洋戦争中には、工場群が空襲の標的となり、壊滅的な被害を受けるが、戦後、復興を遂げ、現在に至る一大石油化学コンビナート地帯を形成した。昭和30年代後半には、工場から排出した汚染物質が原因で「四日市ぜんそく」が発生、社会問題となったこともある。

そうした過去を払拭するように、近年は”夜景工場クルーズ”などの見学ツアーが注目を集め、とりわけ夜の幻想的な工場風景が人気の的となっている。

三島由紀夫の『潮騒』のモデルになった島とは?

神島

神島の南端部には石灰岩が風化してできた独特の景観が広がる。 白い塔のようにそびえるカルスト地形は市が天然記念物に指定している

三島由紀夫の『潮騒しおさい』は、漁師の青年・新治と海女の娘・初江の恋模様を描いた小説。舞台となる島の描写も、この小説の魅力の一つだ。

この島のモデルになったのは、三重県鳥羽市にある神島かみしま。三島は『潮騒』を書くにあたって、水産庁に、都会の影響を受けておらず、風光明媚で、経済的にもやや 富裕な漁村を探してくれるよう依頼、白羽の矢が立ったのが神島だった。過去、『潮騒』が何度も映画化された際にも、ロケ地にはこの島が使われてきた。

そんな神島は、今では『潮騒』のモデルの島としてさまざまなアピールをしている。神島港に降りると「三島文学 潮騒の地」と書かれた碑があり、新治と初江がたき火をはさんで裸で向かい合った小屋「監的哨跡かんてきしょうあと」(旧陸軍が大砲の試着弾を確認するための施設跡)や、2人が参拝した八代神社は人気スポットになっている。さらに平成18年には「恋人の聖地」の一つに選ばれ、カップル旅行やプロポーズにふさわしい場所としても知られるようになっている。

監的哨跡

『潮騒』の舞台としても有名な監的哨跡

監的哨跡

戦時中に旧陸軍が伊良湖から撃つ大砲の試着弾を目視して確認するための施設だった

神島灯台

「日本の灯台50選」にも選ばれている神島灯台。「恋人の聖地」のプレートが設置してある

 

PROFILE
おもしろ地理学会

「地理」の楽しみを知りつくしたメンバーのみによって構成されている研究グループ。日本各地、世界各国を歩き、地図をひろげ、文献にあたり…といった作業を通じて、「地理」に関する様々な謎と秘密を掘り起こすことを無上の喜びとしている。

 

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