この報われない時代、出世を目標にして働くべきなのか【佐藤優】

佐藤優氏

努力をすればするだけ報われていた上の世代の感覚と、努力が実を結ばない現在の状況がコミュニケーションギャップや軋轢を生んでいる――。低成長の時代に働く私たちは、何を目指して仕事をしていくべきなのか? “知の巨人”とも呼ばれる作家の佐藤優さんが教えてくれました。

夢や目標とただの“執着”を区別する

仕事でもプライベートでも、夢や目標があってそれを追い求めるという生き方はとても大事です。プロスポーツで大成して活躍している人たちの小学生や中学生の卒業アルバムを見ると、当時からすでに「サッカーの日本代表に入ってワールドカップに出る」とか、「大リーグで活躍する」とか、まさに将来の自分を予見するような夢を描いているケースがよく見られます。

彼らほどではなくても、私たちはその時々で目標を立てたり夢を描いたりして、それに向けて努力する。その結果自己実現に近づけたり、人生を有意義に感じたりすることができる。

ただし、大事なのは何に対して、どう頑張るのか。

たとえば、「ぜったい東大に合格するぞ」と3年も4年も浪人したり、司法試験を目指して仕事もせずに10年も勉強し続けたり……。もちろんあきらめずに頑張るのは自由ですが、本当にそれがいいことかどうか。

やはり人にはそれぞれ適性というものがあります。適性のないものにいつまでもこだわるより、本当に自分の適性に合ったものを探した方がいい。本当の自分の適性というのは、いま求めている以外のところにあるのかもしれません。

たとえば私が以前いた外務省で働くのも、語学の適性があるかないかが大きい。皆あれだけの難しい試験と競争を勝ち抜いて入省しているのですから、基本的な学習能力があることは確かです。

ただし、本当の語学の能力、適性があるかどうかは別です。成績はよくても語学のセンスがいま一つの人は、たとえ入省してもその後はとても辛いことになる。だとしたら本当に適性のある仕事で、自分のもっている別の能力を思う存分生かした方がいい。

「目標に向かって努力することが大切だ」という気持ちが強すぎると、客観的な判断力を失わせ、さらにそれが「執着」にまでなると、自分にとって決してプラスになりません。いまの自分の頑張りを冷静に見つめ直して、それが執着になっていないか、まずは見極めることが大切です。

出世を目標にして働くべきか

特にいまの時代は、「頑張っても報われない」状況があきらかに増えてきています。皆さんは自分の親や先生から、「努力は報われる、だから頑張れ」といわれたことはありませんか? 残念ながらいまやそんな時代じゃありません。

いまの30代の人たちの親は、多くが60代でしょう。その年代の人が若かったころは、ちょうど経済が右肩上がり。頑張ったなりに報われることが多かったと思います。

しかし今は人口減少、縮小経済の世の中。「お前の根性が足りないから契約がとれないんだ!」と50代、60代の上司が若い社員を叱咤したところで、パイ自体が減っている。根性でなんとかなった団塊以前の世代とは違うんです。

それでもあきらめずに頑張れ、努力すればなんとかなると会社は社員のケツを叩く。結局、成果が出ずに体を壊したり、うつ病になったりする若い人が増えています。

月に200時間残業してもまったく残業代がもらえないとか、いつまでたっても最低賃金のままだとか。どんなに頑張っても報われない、いわゆるブラック企業というやつです。

そんなところでどんなに頑張ったところで、何かを得ることができるでしょうか。結局心身ともに消耗して、使い物にならなくなったところでクビになる。何一つプラスはありません。ならば思い切って職場や仕事を変えてみる。その方が新たな人生を踏み出すきっかけになるはずです。

実は、お役所というのも報われない組織の一つ。役人の第一の目的とは、国をよくしたいとか地域社会をよくしたいとか、そういう建前じゃありません。もちろん人にもよるでしょうが、多くは出世すること。その一点なのです。

彼らは同期の誰がどんな役職についたか、どの上司の下でどんなラインに乗っているかを非常に気にします。民間でももちろんあるとは思いますが、お役所ではもっと露骨です。

ただし、出世レースで最後まで生き残れるのはほんの一握り。課長補佐、課長から局長、事務次官に至るまでに、ポストはどんどん少なくなっていきます。

すると成績の振るわないキャリア官僚の場合、40歳半ばにして実質定年みたいな状況になってしまう人もいる。それまで頑張ってきた人ほど、そこで目標を見失って腑抜けのようになってしまいます。

出世階段

ならばいつまでもそれに固執せず、あきらめて別の人生を歩むのも一つの手。著述業に転じたり国際コンサルタントになったり、あるいは大学の先生になることもできます。

お役所に限らず、出世に執着して頑張るというのは、あまりおすすめしません。お互い足を引っ張ったり権謀術数を駆使したり、たとえ目標を達成しても、必ずしも幸せな結果にはつながらないと思います。

過大な立身出世は近代以降の概念

「立身出世」という言葉があります。立身とは儒教からきている言葉であり、出世とは仏教から来た言葉だとされますが、社会的にいまの自分の位置より上の位置に行くという意味合いで、江戸時代にも使われていた言葉だそうです。

ただし江戸時代には士農工商の身分制度があったので、商人は商人の、武士は武士の身分の中での立身出世であり、身分を超えてまで立身出世するという意識はほとんどなかった。

むしろ「小欲知足」という言葉があるように、欲を少なくして、充足することをよしとする風潮もありました。ですから、あまりに分を超えた野望や願望はむしろはしたないもの、野暮なものと思われていたようです。

お百姓さんはある土地に何代も住み続け、自分の決められた田畑を耕し続けた。武士でも自分のところの土地は米二十石なのに、隣は米三十五石だ。でもそれは、ずっと遡って関ヶ原の合戦で八代前の先祖が足軽だった時、自分のところの先祖より早く敵陣に入って活躍した、その論功行賞の差。その差がずっと続いていくわけです。

このようなスタティックな(静的な)社会では、上昇志向も競争意識もいまほどは生じません。自分の環境や境遇を受け入れ、ある意味での「あきらめ」や「諦観」からスタートする。

ですから現在の意味での立身出世という言葉が広がったのは、やはり封建制度が終わり、西洋的な近代社会が始まってから。福澤諭吉は平等と学問の大切さを説きましたが、要は頑張れば誰もが上に行けるということ。そこから、いまでいう立身出世の意識が芽生えたわけです。

「一生懸命」という言葉がありますが、もともとは「一所懸命」。かつての封建社会は土地が中心ですから、武士から与えられた土地に何代も根をおろして頑張る。つまり一カ所に命を懸けるという意味で、「一所懸命」という言葉が生まれたのです。

それが明治以降は、土地に命を懸けるのではなく個々人が自分の一生という時間に対して頑張る、命を懸けるという意識に変わってきた。それで「一生懸命」になった。頑張ることの意味と対象が変化してきたことが、この言葉に如実に表れています。

出世に対する意識は、このような時代と社会的な流れの中で変遷してきた。そういう流れを知っておくだけでも、いまの自分の頑張りがどういうものなのか、どういう意味があるのか、客観的に見ることができるようになります。

目標は「終わり」がイメージできるものに

いっそ、すべてをあきらめて生きた方がラクなのでしょうか? たしかにその選択もあります。

仏教なんてまさに「あきらめ」から始まる宗教。世の中のすべては移ろいゆくもの。目に見える世界は虚しいもので、それに執着するところから苦しみや不幸が生まれる――。

人によっては出世やお金儲けといった世俗的な成功をあきらめ、一種の仏教的ニヒリズムの中で飄々と生きることをモットーにする人たちもいます。それはそれで価値ある生き方かもしれません。

とはいえ、人間はそう簡単にあきらめられない動物でもあります。己の欲望もあるし、何かしら目標や目的がないとやる気につながらないということもある。

特に近代になり西洋的な思想が広がってからは、社会全体が目的論的になった。資本主義的な経済が確立したことも大きい。つまり経済活動でも社会活動でも何かしら目的を定めて、それに向けて頑張るということが善であると。

これを目的論的な価値観というのですが、企業とかビジネスという概念も根本的には目的論的な価値観に則っています。社会全体が目的論的な価値観で動いているのですから、なんだかんだいっても目標を立ててそれに向かって頑張るという生き方のほうが、整合性があるわけです。

目的論的な価値観は西洋ではギリシャの昔までさかのぼります。ギリシャ語の「テロス」は「目的」という意味。ただし、「完成」「終わり」という意味もあります。

英語の「エンド」という言葉にも、「目的」と「終わり」の二つの意味がある。これは何を意味するのか。つまり目的論的な考え方には、必ず「終わり」や「完成」という概念がセットになっているのです。目的には必ず完成形、つまり終わりがイメージされていなければならない。

「執着」の泥沼に陥ってしまう人は、たいがい「終わり」や「出口」の見えないものを追いかけている。「出口」がどこで、いつ終わるのかがわからない。マウスがクルクル回るカゴの中で永遠に走り続けるようなイメージでしょうか。

その泥沼が続くことで経済的に破綻したり、精神的に病んでしまったりする。エンドレスなものに執着することが、実は一番不健康です。ですから、何か目標設定をする時は、完成形がイメージできるもの、実現可能なものにすることが大切です。

 

 
PROFILE
佐藤優

1960年東京都生まれ。85年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務を経て、95年、同省国際情報局分析第一課主任分析官。2002年、背任及び偽計業務妨害容疑で逮捕。09年、背任及び偽計業務妨害の有罪確定で外務省を失職。13年、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。捜査の内幕を描いた『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)が05年に出版されると大反響を呼ぶ。『自壊する帝国』(新潮社)で第38回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞

人に強くなる極意 (青春新書インテリジェンス)

人に強くなる極意 (青春新書インテリジェンス)

  • 作者:佐藤 優
  • 発売日: 2013/10/02
  • メディア: 新書