「まわりの子と仲良くしてほしい」という願いは、親にとって当然のことでしょう。しかしその思いが強すぎると、子どもへの伝え方によっては逆効果になってしまうことも……。いじめを受けて学校に行けない子、発達障害など支援の必要な子がたくさん転校してきたにもかかわらず、不登校ゼロ。「奇跡の公立小学校」と注目を集めた大空小学校初代校長の木村泰子先生に、人を大切にする力の伸ばし方を聞きました。
子どもに「人に迷惑をかけてはいけない」と言っていませんか?
「人を大切にする力」が子どもには重要。そんなこと親ならわかりきっていますよね。ところが、お母さんたちと話していると、その中身は「人に迷惑をかけないこと」「思いやりを持つこと」「いじめをしないこと」だったりします。
でもね、「人に迷惑をかけないように」と言われ続けた子どもは、人の失敗が許せなくなってしまうんです。“人に迷惑をかける人は、よくない人”だと。
新型コロナウイルスの自粛期間中にあった“自粛警察”などはまさにそう。自分は我慢しているのに、自分はちゃんとルールを守っているのに、守っていないやつがいる、許せないってなってしまうんです。そんな人ばかりの社会は生きづらいですよね。
子どもは大人の姿から学びます。
大人が“迷惑な人”を排除しようとすれば、子どもは無意識に“迷惑な子”を排除しようとします。
本当は迷惑な子なんて一人もいません。すべて大人がつくっているだけなんです。
「人を大切にする力」とは、本当になくてはならない学力です。この力を義務教育の9年間でつけないで、どこでつけますか?
「人を大切にする力」がなかったら、人は幸せになれないと思います。
「人を大切にする力」を子どもにつけさせたかったら、まず親である自分が人を大切にするところを子どもに見せることです。
「うるさい子がいるから勉強できない」ではなく……
大空小学校では教室で暴れる子、授業中に外に飛び出す子、大声をあげる子も珍しくありません。もし、自分の子どもが「あいつが暴れるから教室で勉強できない」「あの子が椅子をガタガタさせるから、うるさくて集中できない」とお母さんに訴えたら、どうしますか?
「うるさい子がいて困るね。先生に注意してもらおうか」と言いますか?
授業中、椅子に座っているのが「当たり前」で、静かでないと勉強できないと言うのであれば、その子には一生、空気清浄機付きのカプセルが必要になりますよね。社会に出ても、落ち着いた静かな場所でなければ勉強ができないということになりませんか。
この「当たり前」を変えれば、勉強ができないのを人のせいにしなくなります。
椅子に座れない子がいるのが当たり前、暴れる子がいるのも当たり前、教室を飛び出す子がいるのも当たり前。
暴れようが暴れまいが、自分が学ぶことには関係ない。黒板が見えないなら見えるところに移動すればいいし、うるさくて聞こえないなら自分から聞いたらいい。
これが集中力です。だから、結果として見える学力も上がるんです。
ちょっとしたことですが、すべての学校、すべての家庭でできることです。
子どもが「あいつがうるさい」と言ってきたら、
「誰がうるさかろうと、何をしようと、その中で自分が集中する力がついたら、めっちゃ得するよ!」
このくらいのことをお母さん、お父さんには言ってほしいと思います。
そもそも、うるさくしている子や暴れている子は、周りに迷惑をかけようとしてやっているのでしょうか。先生に注意されてじっとできるものなら、本人だってそうしたい。でも、できない。その子は「迷惑をかける子」ではなく「困っている子」なんです。
困っている子がどうしたら困らないようになるだろうかと、問題解決のために考える力が見えない学力につながります。
「人を排除していく価値観」を子どもに植え付けるひと言
全国のセミナーで、あるお母さんに聞きました。
「子どもが帰宅して『授業中、暴れる子がいて、うるさくて授業できへんねん』と言ってきたら、どう答えますか?」
そのお母さんは、暴れる子のことを思っているつもりで、「『そんなん言うたらあかんで』と子どもに言います」との答え。
これってよくある「思いやり……」という大人の正解ですよね。でも、まさに排除の論理なんです。私たち大空小学校の教師も最初はそうでした。
「人を大切にする力」をつけるコツは、「親が正解を言わないこと」です。意外かもしれませんね。親は(教師も)、正解を言わなければいけないと思っているものです。
さっきの「そんなん言うたらあかんで」という言葉は、そんなこと言ってはいけません、という指示命令です。
その裏には「あの子はかわいそうな子」という言葉がある。つまり、「あの子はあなたと違ってかわいそうな子、格下の子」という差別が生まれます。
「そんなん言うたらあかんで」のたった一言で、その価値観を植え付けてしまうのです。
「ねえねえ、その子って迷惑をかけようと思ってやってるの? それとも困ってるの? どっちなんやろうね」と問いかけてはどうでしょう。
ここから親子の対話が生まれます。
「そんなん言うたらあかんで」と言ってしまったら、そこで対話は終了です。
「人に迷惑をかけてはいけない」という今までの教育は、これと同じことをやってきたんです。
知らず知らずのうちに子どもに、他者を排除していく価値観を植え付けていたことに、どうぞお母さん、お父さんたちは気づいてほしい。
人が人として生きていく中で、正解なんてありません。先生の言うことを聞いていたら安全、などという神話は、東日本大震災の大川小学校の悲劇を見てもわかるように、見事に崩れました。
想定外の中で子どもがどう生きるか。子どもに「ああしろ、こうしろ」と指示命令をして、親の言うことを聞く子どもをつくっていたら、子どもは自分の命も隣の人の命も守れない大人になってしまうのでは、という危機感からスタートしなくてはいけないと感じます。
子どもに「人を大切にする力」をつけたかったら大人が正解を言わないこと、と言いました。それは同時に、正解がないからこそ、問い続ける必要があるということです。この正解のない問いを問い続ける力は、10年後の社会で生きて働く力になります。
正解があると、問わなくなるでしょう? まずは大人である母ちゃんが、常に「これでいいかな?」と自分に問い続けてみてください。簡単ですよ。問い続ける子どもをつくるのも簡単です。母ちゃんが「あんた、どう思う?」と聞くだけでいいのです。
大人の思っている正解は正解と違います。たかが一人の大人の経験値で、未来のことなんてわからない。1分先のことさえわからないし、地球が潰れるかもしれない。正解が通用しない社会に出くわしたら、子どもは前に進めません。
子どもが生きづらくなるから、つい、「こうしなさい」と言いたくなる気持ちもわかります。私もそんな親でしたから。
でも親の自分も「ああ、そうか」と気づいて自分を変えていく。この正解を問い続ける親としての自分を変えていく覚悟は、お金もいらない、他者の力もいらない、自分だけでできること。この覚悟は、子どもを大きく変えていきます。
大阪府生まれ。武庫川学院女子短期大学(現武庫川女子大学短期大学部)卒業。大阪市立大空小学校初代校長として、障害の有無に関わらず、すべての子どもがともに学び合い育ち合う教育に力を注ぐ。その取り組みを描いたドキュメンタリー映画『みんなの学校』は大きな話題を呼び、文部科学省特別選定作品にも選ばれた。2015年に45年間の教員生活を終え、現在は講演活動で全国を飛び回っている。東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター協力研究員。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』(小学館)、『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』(家の光協会)などがある。