原価22円の一万円札が「お金」と信じられているカラクリ【佐藤優】

佐藤優

「生きるうえで、お金はなくてはならないもの。誰だってお金はほしいし、たくさん稼ぎたい。ただし、お金には麻薬のような、ある種人間の感覚を麻痺させる力がある」――。そう語るのは元外交官で作家の佐藤優氏。お金の大切さや怖さと同時に、お金の本質について教えてくれます。

外交官の給与が高い理由

いまの初任給の平均は大学卒でだいたい20万円くらいですが、私が外務省に入省した1985年、いまから約35年前は月8万7000円でした。

バブルの前でしたから、特に公務員の給料は安かった。8万7000円のうち寮費が3万7000円。当時の役所の寮なんて築50年くらいのオンボロでしたが、港区天現寺で場所はよかった。

初任給で残った5万円はそっくり親にあげました。よろこんでくれましたね。2カ月目からは全部、自分の小遣いにしました。

それで生活ができたのは、結局研修生の1年目はお金なんてほとんど使わない。夕食はついているし、昼なんて忙しいから外に食べにも行けない。省内の食堂の200円のカレーライスを食べるくらい。超過勤務が月100時間だったから、休みもほとんどないしお金を使う機会がありません。

ところが、お役所の場合は年次を経るに従って給料が増えていきます。3年後には12〜13万円になったでしょうか。しかも外務省の場合、在外勤務になると基本給のほかに在外手当がつくので急に増えます。

私の場合、入省した3年後の1988年にモスクワの日本大使館勤務になり、その時は本給とは別の在外手当だけで月30万円を超えました。外交官としての対外的なメンツが大きいのだと思います。外交官が薄給でピーピーしていたら、この国は大丈夫かなと思われますから。

突然収入が倍増するので、中には金銭感覚が狂う職員もいたでしょう。特に当時はバブルで日本経済が一気に上昇した時です。ただ、あの当時は公務員より一般企業の人たちの羽振りがすごかったのではなかったかと想像しています。

実は、私は日本のバブル絶頂期に駐ソ連大使館勤務だったので、残念ながら日本のバブルの浮かれぶりを実感していません。聞くところによればタクシーチケットなんて使い放題で、金曜の夜はどこもタクシー待ちの行列だったとか。

そんなバブルも弾け、投資や不動産で大儲けしていた人たちが一気に赤字や破産に陥り、一般サラリーマンの給料も減ってしまった。当時の高給ですっかり金銭感覚が狂った若いサラリーマンたちがその後もカードを使いまくって、それが後の多重債務者問題までつながっている。

お金というのは人の心を変えるだけでなく、その後の生き方や運命までも変えてしまう。十分心してかからないと痛い目に遭うものです。

お金はいくらあっても満足できない

私が指摘したいのは、お金には「限界効用逓減の法則」が当てはまらないということ。具体的にいうと、たとえばどんなに好きな食べ物でも、ある程度食べてお腹が膨らんだらもういらないと思うでしょう。どんなにお酒が好きな人だって、ウォッカを3本も空けたらもうお酒を見るのも嫌になるはず。

これが「限界効用の逓減」で、ある程度手に入れたら「満たされた」という感覚や「もうたくさん」という感覚になる。つまり充足することで欲望が減少するわけです。

ところがお金だけは違う。100万円を手に入れたら次は1000万円がほしいと思う。1000万円手に入れたら、今度は1億円がほしいと思う。欲望に際限がない、つまり「限界効用が逓減しない」のです。

これがお金の怖いところで、一種麻薬に似ています。どんどんエスカレートして、それがないと不安になり、けっして満ち足りるということがありません。

なぜ、お金には「限界効用の逓減の法則」が当てはまらないのでしょう? それはお金は人間がつくり出したものであり、自然物ではないからです。

そもそもお金はどうして生まれたのか? こういう根本的な問題に応えてくれるのは近代経済学でも、まして最近のマネー本でもなく、マルクスの『資本論』です。お金は商品の交換から生じます。

たとえばいま自分はボールペンをたくさん持っている。ジュースが1本ほしいのでボールペン2本と換えてくれと交渉し、成立する。今度はICレコーダーがほしいとします。ICレコーダーは価値が高いのでボールペン100本と交換してくれと交渉する。しかし相手はボールペン100本も必要ないからダメだと。ならばボールペン50本とジュース25本でどうかと。

こういう風に、商品の交換だとかなり面倒なことになります。そこで、誰もが共通に価値があると認めるものを媒介させ、交換しようとなった。

たとえば、かつての日本ではそれがおコメだった。いったんコメに換えることで、後から他のものにいくらでも交換できたんです。これを『資本論』では「一般的等価物」と呼んでいます。

ただしコメはかさばるし時間とともに劣化します。そこで、それに代わる一般的等価物として金や銀などの貨幣が生まれ、やがて紙幣になっていく。お金というのは商品の交換の際に必然的に生じてきたものであり、人と人との関係と、その概念がモノになって具現化したものです。

自然界にあるものは、人間はある程度得られれば満足するよう本能的にプログラムされています。しかし、人間と人間の関係がつくり出したお金にはそれがないようです。

たとえば、魚や野菜を必要以上に大量に買う人はいないでしょう。余ったら腐らせるだけだからです。ところがお金はいくら持っていても腐らないし、基本的にどんなものにでも交換できる。だからたくさんあればあるほどいいと考える。

守銭奴という言葉がありますが、まさにお金を貯めることだけが趣味のような人もいます。確かに資本主義の世の中は、すべてを商品化する方向に動きますから、最終的には人間の命さえお金に換算してしまう。そんな世の中であればこそ、お金だけが信用できるとひたすら蓄財に励む人が現れてもおかしくありません。

100万円手に入れたら1000万円、1000万円手に入れたら1億円……。際限のないお金への執着の連鎖が始まるわけです。

お金が紙切れであることに気づく瞬間

お金は具体的な商品やモノではないがゆえに、さまざまな可能性と期待、欲望が無制限に反映されます。逆にいえば、それくらい多くの人に幻想を抱いてもらった方がお金、通貨としての価値や強さが出てくる。

最近はFXなどで個人投資家も為替に関わることが増えていますが、まさに通貨の強さが国家にも投資家にも重要なポイントになっています。

ただし、その価値は本来の通貨そのものの価値とは違ったものであることを忘れてはなりません。通貨がFXのような投資の対象になった以上、それをとり巻く人間たちの期待や信用、思惑を反映した、実体とは遊離した蜃気楼のようなものになっているのです。

皆さんは一万円札の原価がどれくらいか知っていますか? 造幣局の輪転機を回せば原価はわずか22円。つまり、本来の一万円札の価値は22円なのです。お金が幻想から成り立っているというのは、この事実からもわかるでしょう。

この幻想が崩れる瞬間を私は体験しています。旧ソ連の日本大使館に勤務していたころ、当時はソ連が崩壊する直前で、とてつもないインフレと物資不足にあえいでいました。

忘れもしない1991年1月のある日、夜のニュースで突然、「本日24時で五十ルーブル、百ルーブル紙幣が使えなくなります」とアナウンサーが読み上げたのです。

日本でいうなら五千円札と一万円札が使えなくなるのと一緒。それまで使っていたお金が紙切れになる瞬間というのは、言葉にはできない感覚です。

日本も終戦直後には同じような状態だったわけです。激しいインフレでお金の価値が一気に下がり、また当時は国のお金のほかに国外では軍票という軍が発行していたお金もあった。軍票で資産を持っていた人もたくさんいたはずですが、当然すべて紙切れです。

お金とは人と人との関係がつくり出した人工物であるがゆえに、また人々の幻想と欲望を反映したものであるがゆえに、価値が一気に膨らむこともあれば、まったくのゼロになることだってある。

その怖さを体験しないまでも、頭の隅に入れておくのは非常に大切なことです。

 

 
PROFILE
佐藤優

1960年東京都生まれ。85年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務を経て、95年、同省国際情報局分析第一課主任分析官。2002年、背任及び偽計業務妨害容疑で逮捕。09年、背任及び偽計業務妨害の有罪確定で外務省を失職。13年、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。捜査の内幕を描いた『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)が05年に出版されると大反響を呼ぶ。『自壊する帝国』(新潮社)で第38回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞

人に強くなる極意 (青春新書インテリジェンス)

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  • 作者:佐藤 優
  • 発売日: 2013/10/02
  • メディア: 新書