「どっちがいい?」と聞くのが幼児期の子にとって負担でしかない理由

どっちがいい?

「子どもには自ら動くようになってほしい。ならば、早いうちから自分で選択するクセをつければいいんじゃないか」。このように考えて、食べるものや洋服を選ぶときに「どっちがいい?」と子どもに選ばせる親は多くいます。でも、よかれと思ってやっているこのことが、実は子どもを追いつめているだけだとしたら……。幼児教育者の虹乃美稀子さんが、“生きる根っこの力”の育て方を教えてくれました。

「どっちがいい?」となんでも聞いていませんか?

子どもの自主性を大事にしたい。そんな思いから、つい大人は子どもになんでも聞いてしまいがち。

「お水とお茶、どっちがいい?」

「ピンクの靴と赤い靴、どっちがいい?」

「スパゲッティとハンバーグ、どっちがいい?」

でも、ちょっと待ってください!

「選ぶ」って、実は小さな子どもには難しいことなんです。〇〇がいい、〇〇が好き、と思う主体となる「自意識」がまだ目覚めていないからです。

学校に上がるまでは、「自意識」をぼんやりさせてあげたい時期です。「どれがいいの?」「何をしたいの?」と早々に目覚めさせてしまうと、からだと精神の発達に追いついていない未熟な自我意識に、幼い頃から本人が悩まされることになります。

子どもらしくない子ども、と言われるような無邪気になれない生きづらさを感じさせてしまいます。

幼児時代は、いわば縄文時代。「自分は自分」「自分らしさ」といったオリジナリティのある個の意識ではなく、「みんなの中に自分がいて、自分の中にみんながいる」というアニミズム的世界観の中で生きています。

そして、自分を守ってくれる親や先生はまるで「神さま」のように、絶対的な信頼を寄せている大人です。

ですから、子どもたちにとって今必要なものは、ぜーんぶお母さんが知っているよ、先生はわかっているよ、という態度こそが、幼い子どもたちを安心させ、世界への信頼を強めて、生きる根っこを太らせます。

「ご飯のときはお茶にしようね」

「〇〇ちゃんには、ピンクの靴がよく似合うよ」

「今夜はスパゲッティよ。とってもおいしいのを作ってあげるね」

そんな風に、迷わずにどーんと、子どもたちを導いてあげてください。何かの選択を迫るのは急ぎすぎです。そして、未熟な自我にむやみに選ばせてばかりいると、いらぬこだわりやわがままを生み出してしまい、子ども自身が苦労します。

特に気をつけなければいけないのは、選ばせた後で選んだものを気に入らなくなったりしたとき。「自分で選んだんでしょ」と、突き放すようなセリフを大人は言いがちです。

子育てにおいて責任は常に、大人の側にあることを忘れてはいけません。

挨拶をさせることよりも、挨拶しているところを見せ続ける

園では、朝登園してすぐに「おはようございます」を言うことを求めません。

玄関を開けて、靴を脱ぐのももどかしく入ってくる子、登園用のリュックを投げ出したままの子、ぼんやりとしばし玄関に立ち尽くし、幼稚園の空気をいっぱいに吸い込んでからやっと上がってくる子……と様々です。

私はといえば糸を紡いだり、雑巾を縫ったりと手仕事をしながら、あまり余計な言葉はかけずに、一人ひとりが園の中に入ってくるのを見守ります。

子どもはそれぞれのペースで身支度を済ませ、手洗いをすませると教室に3人いる先生のところにそれぞれにやってきます。

教師は、子どもの両手をとって静かに「〇〇くん(ちゃん)、おはようございます」と言葉をかけます。子どもはそれを繰り返すように「〇〇せんせい、おはようございます」と言い終えると、小鳥のように遊びへと飛んでいきます。

あいさつは、本来喜びです。この朝のあいさつは、みんな大好きです。あいさつそのものが生きたコミュニケーションとして形骸化していないからでしょう。私たち教師も同じことを繰り返しているのに、毎朝一人ひとりと大切な儀式を交わしているような尊い感動を覚えます。非常に深い体験で、仕事へのやる気も満ち溢れてきます。

親子クラスに来るお母さん方はよく、まだ就園前の小さな子どもに「ほら、あいさつは?」「練習してきたじゃない、できるよね」と促しがちです。

「あいさつはちゃんとできるように育てたい」と思ってらっしゃる方が多く、それは素晴らしいことなのですが、だとすれば、はじめからあいさつを形骸化してしまうような働きかけはおすすめできません。

子どもは、大人の在りようそのものを模倣する存在です。「あいさつをする」ことの本当の意味よりも、「あいさつができる子」であることを求めていると、口では「おはようございます」と言っても、そこに心は伴わない姿を見せているかもしれません。

幼児は誰かに出会ったとき、どこかにお邪魔したとき、その場の印象や空気を吸い込んでいっぱいになってしまいます。車の中までは威勢がよかったのに、いざ訪問場所に着くと急にお母さんのスカートの陰に隠れたがったりするのはそのためです。

次第に場を客観的に捉えられるようになると、自然とあいさつはできるようになります。それまでは、あいさつは強要するものではなく、大人から子どもへのギフトであると思い、あいさつすることそのものを、ていねいに楽しんでいきましょう。家族同士の「おはよう」が温かみを持って交わせるようにしましょう。

人間への信頼感を失わせる「褒める子育て」とは

毎週火曜日は、水彩画の日です。教室のそれぞれの席には溶いた絵の具が瓶に入れられ、赤・青・黄と信号のように並んで子どもたちを待っています。厚手の画用紙を水に濡らし、三原色の混ざり具合を楽しむ水彩画法で、園では「にじみ絵」と呼んでいます。

多くのシュタイナー教育の場で行われているものですが、ドイツ製の透明水彩絵の具と呼ばれる絵の具を使っています。発色が美しく、混ざり合ったときの透明性が高いもので、 少量を水で溶き使います。三原色があれば、そこから様々な色が生まれていきます。

いつも「筆に魔法をかけますよ」といって筆を手に持ち、優しくふりながら、小さな歌を歌います。そうして筆に魔法がかかったなら、あとは私の「どうぞ」の言葉とともに、子 どもたちは無言で色の世界に入っていきます。園が静けさに包まれる瞬間のひとつです。

園では、濡れた紙の上で溶いた絵の具同士が踊るように混ざり合う偶然性の色彩を楽しみます。「何かを描く」のではないので、画力にかかわらず誰でも楽しめ、美しい色彩を味 わえます。

毎週、ハッとするほど美しい色彩が生まれます。偶然とはいえ、生み出されたその美しい色彩の世界に、子どもも大人も心の底から喜びが溢れます。人間が根源に持つ、芸術的な 喜びです。

私はあえてそんなとき、手放しで褒めたりしないように気をつけています。手放しで褒めることは、子どもに対しても、絵に対しても失礼な気がするからです。きっとこういった ものが生まれるのは、その子どもを導く天使との協働作業をしているときなのでしょう。

私は背後から「よく描けたね」とそっと囁いたり、肩に手を優しく置いて少しの間、子どもとその絵を見つめたりするだけにとどめています。そうしたひとときが、子どもととも に何か見えないものに畏敬の念を抱く、大切な時間のように感じるのです。これは、「作 品」という結果を生み出すのではなく、その過程を「体験」する芸術行為です。評価がな いので、どの子もみんな、絵を描くことが好きになります。

褒めてばかりだと、褒められるために絵を描くようになります。そして、反対に「うまく描けなかった」など自分で自分の絵を批判するようにもなります。絵は本来、自分が楽し くて描きたいから描くものです。なるたけ自意識を刺激せずに見守るようにしています。

実はこうしたことは、子どもとの暮らしの中ですべての場面に当てはまります。「褒める」という行為には魔力があります。褒められればそのときは誰でも気分が良いものですし 、やる気も湧くような気がしますが、これらはカンフル剤のようなものです。あまり頻繁 に「褒めることでやる気を出させる」ことを濫用していると、次第に子どもは「褒められ ること」が目的になってきます。

「やりたいからやる」という意志の領域から生まれてくる、いってみれば「無意識の」行為が、「褒められたいからやる」という他者からの評価が動機となる「意識的な」行為と なってしまい、それが本当に自分にとってやりたいことなのかどうか、わかりにくくなっ てしまいます。

けなすのはよくないけれど、褒めるのは存分にしていい、というのは陥りやすい間違いです。子どもとの関係が浅く、表面的な対応をしがちな大人に限って「すごい!」「さすが !」を連発しているのを見ると、ちょっとさみしい気持ちになるものです。それは子ども にも伝わるでしょう。口先だけの褒め言葉は、人間存在への信頼を失わせます。

褒めるときは、慎み深く褒めましょう。自然と大人も謙虚な気持ちになります。時に褒め言葉は、上の者が下の者に与える言葉にもなりがちだからです。上から目線の褒め言葉に ならないためには、「自分が今、子どもを褒めたいと思うことは何か」をはっきりと意識 することがおすすめです。

食事のときにいつも立ち歩いていた子が、最後まで座って食べられるようになったとき 。「自分が先!」が譲れなかったのに、順番を待てるようになっとき。子どもの中で、今 までできなかったことが「がんばって」できるようになったとき、私たちはその小さな努 力にエールを送りたくなる、そんな気持ちですね。褒める理由は明確なほうが、子どもに まっすぐ伝わります。

実は子どもにとって、本当に欲しいものは褒め言葉よりも、見守る視線です。「見守る」という言葉そのものが、「見ること(視線)」によって、相手を「守る」力を持つという意味ですね。

子どもは大人の言葉がけ以上に、視線を必要としている生き物です。「見ていてくれること」こそが何よりの喜びであり、信頼であり、愛なのです。

愛は、無言です。

 

PROFILE
虹乃美稀子

1973年生まれ、仙台市出身。 「東仙台シュタイナー虹のこども園」園長。シュタイナー幼児教育者。 公立の保育士として保育所や児童相談所に勤務後、シュタイナー幼児教育者養成コースに学ぶ。南沢シュタイナー子ども園にて吉良創氏に師事。2008年に私塾として、「虹のこども園」を開園。また東京をはじめ、全国各地で子育て講座やワークショップなどを開催している。

 

いちばん大事な「子育て」の順番

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