外交の基本は相手をびびらせること
昔、モスクワのイラン大使館に行った時のこと。薄暗い部屋に通され、やたら低いソファーに座らされました。向こうは高い椅子に座って私を見下ろしている。で、その後ろではホメイニ師の大きな肖像画がこちらを睨んでいる。
なんだか心理的に圧迫感があって、思わずびびってしまいそうなシチュエーションです。ただ、私はその時チャップリンの有名な映画、『独裁者』の一シーンを思い出して、内心おかしくてしょうがなかった。
チャップリン扮する独裁者ヒンケルが他国の独裁者ナバロニと会う場面、ヒンケルは背が低いので、少しでも自分を大きく見せたいと、相手に低い椅子を用意して座らせようとします。
ところがナバロニのほうも低い椅子を嫌ってテーブルに座る。そんな滑稽な場面が甦ってきました。外交の世界では、時にこのように原始的な方法で相手をびびらせてまで、交渉を優位に進めようとすることがあります。
私は猫を飼っているのでよくわかりますが、猫同士も相手に対して自分が優位であることを示すために、できる限り背伸びをして相手より自分の目線を高くしようとします。
日常生活や仕事でも、このように少しでも相手に対して心理的に優位に立とうとしたり、びびらせたりびびったりすることって、意外と多いんじゃないでしょうか。
自分は何に対してびびっているのかを知る
皆さんには怖いと思う相手、なんだか威圧的でびびってしまう相手はいますか? 自然災害や事故など、人知の及ばないものに対して人間はいつの時代でも恐怖心を抱きます。ただし人間社会の中でびびる対象は時代によって変わってきているようです。
最近特に感じるのが、会社に対してびびっている若い人が増えているということです。特に上司や会社の評価を気にしている人が増えた。ビジネスパーソンなら誰でも多かれ少なかれその傾向はありますが、特に最近顕著に感じます。まぁ、厳しい経営環境で職場内の規則や規範が厳しくなっているから当然といえば当然ですが……。
私が思うに、日本にも米国流の新自由主義が導入されたことが大きい。社員同士が競争原理のもとでバラバラになった。お互いが競争相手になってしまったから、チームを組んで力を合わせるとか、先輩が後輩の面倒を何かと見るとか、そういう空気じゃなくなりましたね。
お互いのコミュニケーションが希薄で存在がバラバラですから、それだとやはり不安になる。そこで自分の存在感とか組織の中での位置を確認するのは、上司とか会社という「タテのラインでの評価」しかなくなる。だからやたらと上司や会社の顔色をうかがい、彼らの一挙手一投足にびびってしまうわけです。
人間はよくわからないもの、不可解なものに対してびびる
チェコ人のヨハン・アモス・コメニウスというプロテスタント神学者は、「人間は限界のわからないものに対して恐れを抱く」といっています。対象や相手をよく知らないからこそびびるというわけです。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という句がありますが、まさによくわからない相手に対して私らはいろんな想像を働かせる。その想像が恐怖を招きびびってしまうわけですが、その正体を見たら、なぁんだというのは日常的によくあることです。
つまり、びびらないためには相手や対象を知り、相手の本質や意図を見極めることが重要です。外交の世界では「相手の内在的論理を知る」という表現をします。相手の価値観はどのようなもので、どんな意図と論理で行動しているのか。それがわかれば、相手が何をいおうがどんな威圧をしてこようが、冷静に対応できる。
たとえば北朝鮮がミサイル発射の準備をしている。衛星写真には移動式発射台が確認され燃料が注入されている。そして、「いまや戦争状態だ。我々は日本も狙っている」などと威嚇してきたとしましょう。
相手の「内在的論理」がわからないと、その言葉を額面通りに受けとって、すわ戦争かとパニックになってしまう。ただし、相手はそうやってこちらを交渉の席に着かせたい、特に米国に交渉を持ちかけたいというのが本意。
一連の軍事的な行動はそのためのものだという相手の「内在的論理」がわかれば、必要以上に恐れることはなくなります。
ですから、もし皆さんの周りにびびってしまう相手がいたら、そんな時ほど相手をよく見ることです。怖がって目をそらしたり無視することが一番いけない。そうすると相手が見えなくなり、見えなくなるからこそますます恐怖感が大きくなる。
実はたんなる枯れ尾花なのに、幽霊だとかモンスターにまで妄想が広がっていくこともあるのです。
拘置所で体験した検察の取り調べなんて、まさに相手をびびらせるノウハウのオンパレード。彼らはまさにそういう意味でのプロですから、当然といえば当然です。
特に特捜の常識として「官僚、商社マン、銀行員、大企業社員といったエリートは徹底的に怒鳴りつけ、プライドを傷つけると供述をとりやすい」というのがあるそうです。
エリートほど落とすのは簡単だと。「お前は社会のクズだ!」「犯罪者だ!」となじられると、彼らはこれまでそんな体験はないですから、一気にそれまでの自信を失って検事のいいなりになるそうです。
特捜ではこれを「相手を自動販売機にする」と表現します。一度プライドをズタズタにされ存在の危機に陥ったエリートは、以降はどんな虚構でも検察に都合のいい供述をするようになる。
私の場合も担当の検事がそのように脅しにかかってきたことがありました。ただし、各国の外交官や要人たちとそれこそハッタリや脅しの中で駆け引きしてきたので、そう簡単に相手の戦略には乗りません。
まずは、相手の検事の人となりをできる限り把握することに全力を注ぎました。相手を知らなければどんな戦略も立てられません。
夜の取り調べで検事が席を外し、若い検察事務官が取り調べ室で一人になったところを見計らって雑談をする。被疑者と事件に関する話をしてはいけないという決まりになっているようなので、食事や官舎などの話から始めます。雑談ではなく、担当検事の人となりをそれとなく聞き出すのが目的です。
その結果、担当検事は常識人で周囲からの人望も厚いこと、彼が最も恐れているのは私が黙秘をして供述調書がつくれなくなってしまうこと、午後3時と午後8時半に毎日検事同士のミーティングがあり、検事たちはそこで毎日何らかの成果を発表しなければならないことなどがわかりました。
相手の性格がわかり、望んでいることがある程度つかめれば、こちらの出方や対応も決めることができます。私は担当検事が毎日何らかの成果を上げなければいけないことを知っていたので、むしろそれを担保にすることで、相手との建設的な関係がつくれると踏みました。
ここまで分析できれば、もう相手が脅しにかかってきても必要以上にびびることはなくなります。担当検事も相当な人物で、私のそのような戦略に気がついたのか、無謀な取り調べはその後ほとんどありませんでした。強引に調べようとしたら完全黙秘する。その気配を察知したのでしょう。
相手を知ること、相手の「内在的論理」を知ることで、私らはむやみにびびることがなくなります。そのためにも、いま自分がびびっている相手にこそ、目をそらさず向かい合うことが大切です。
状況を類推できれば恐怖心は消える
必要以上にびびらないようにするには、相手を知ることだといいました。相手の特徴や人となりや実力を知ると同時に、相手がどういう意図でのぞんできているのか、何を狙っているのかを判断する。
私に普通の人よりその能力があるのは、やはり外交、インテリジェンスという分野でつねに相手の力を測り、相手の「内在的論理」を見抜く仕事をしてきたという経験からです。
その中でも、旧ソ連が崩壊するという未曽有の出来事を直接体験できたのも大きい。それまで社会に君臨していた人が一気に落ちていったり、逆に下にいた人が急に昇り詰めたりするのを目の当たりにしました。そうかと思えば、モスクワ市内で戦車が大砲を撃つ場面に遭遇したり、ルーブルの高額紙幣がある日突然無効にされ紙切れになったり……。100年に一度と呼ばれる出来事を体験できたことは、とてもよかったです。
また北方領土交渉の関係でもさまざまな人たちとのやりとりがあったし、国策捜査で1年半も勾留されるという、おそらく通常ではありえないような特異な体験もしました。そんな中で、嫌でも身についたものがあると思います。
ただし、同じような体験を皆さんができるかというと、それはなかなか難しい。私はだからこそここでも代理経験の重要さを強調したいと思います。つまり実際にそのような体験をした人から話を聞く。怖い体験をした人、びびるような体験をした人などからたくさん話を聞くことです。
本人から直接聞けないのなら、本や映画でもいい。冒頭のイラン大使館での出来事も、私の頭にチャップリンの映画のシーンが甦ったから、冷静に、客観的になれたわけです。
代理経験も含めてさまざまな経験をしておけば、何かびびるような場面に出くわした時でも、「この人は前に会ったあの人に言動が似ているな」とか、「いまの状況はあの本に書かれていたあの状況にそっくりだ」と対象を冷静に分析できます。
この分類とか類比、英語でいうアナロジーですが、これができるようになるとずいぶん違う。先ほども述べたように、相手がよくわからないから恐怖心が生まれてびびってしまうのです。対象が自己の経験値の中で、何らかのカテゴリーに振り分けられていれば、そのような恐怖心に陥ることはありません。
さらにアナロジーや分類が上手くいけば、直面している問題や出来事のこれからの展開をシミュレーションできる。その対象や出来事がこれからどうなり、どんな結果につながるのか。それが予測できるようになったら、もはやびびることはないはずです。
1960年東京都生まれ。85年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務を経て、95年、同省国際情報局分析第一課主任分析官。2002年、背任及び偽計業務妨害容疑で逮捕。09年、背任及び偽計業務妨害の有罪確定で外務省を失職。13年、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。捜査の内幕を描いた『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)が05年に出版されると大反響を呼ぶ。『自壊する帝国』(新潮社)で第38回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞