「お金のやり取り」に隠された意味
僕は、高校生の時に2週間ほど英国に滞在しました。異文化に身を置いての生活は、すべてが刺激的でした。その中で、特に興味を持ったのが英国人の金銭のやり取りです。お釣りの渡し方が日本とは違っていたのです。
例えば、350円の商品を購入する際、日本では次のようなやり取りが一般的です。
店員 お会計は350円です
客 千円札でお願いします
店員 千円お預かりしました。……では、お先にお釣りが650円とレシートです
客 (釣り銭とレシートを受け取る)
店員 こちらが商品になります。お気を付けてお持ちください
このやり取りで注目したいポイントは、客が店員に千円札を渡してしまうことです。「それの何が?」と思うかもしれませんが、僕が英国で興味を持ったお釣りのやり取りは次のようなものでした。
店員 お会計が、5ポンドです
客 じゃあこれで(20ポンド札1枚をトレーに置く)
店員 (品物の横に、10ポンド札を1枚置き、さらに5ポンド札1枚を置いて)お釣りの15ポンドです
客 (釣り銭と品物を受け取る)
違いがわかりますか? 日本と英国では釣り銭の概念が違い、それがやり取りに表れているのです。よ〜く見てみましょう。
お金のやり取り=価値のやり取り
客は店の350円の商品が欲しい。買うために千円札を店員に渡すのですが、この時、客は「1000円の価値」を失っています。同時に店員側は「350円の価値」を持つ商品と千円札を手にすることで計1350円の価値を手にしていることになるのです。
先ほどのやり取りは、実は次のように行われていました。
店員 この商品の価値は350円です
客 ではこの千円札を預けるので、その中から350円分だけ受け取ってください
店員 お預かりした千円札から350円を受け取りました。残りの650円とそのやり取りを記載したレシートをお返しします
客 確かに650円を返してもらいました
店員 350円の商品をお渡しします
両者が千円札のやり取りをする中、店員が計算しているのは「差し引きいくら?」の引き算です。僕はこれを「差し引き型のお釣り計算」と命名しました。
英国でもスタートは日本と同じです。しかし次のようなやり取りをしています。
店員 この商品の価値は5ポンドです
客 では、この20ポンド札からその価値を受け取って商品と交換してください
店員 5ポンドの商品と15ポンドを添えてここに20ポンド分の価値を揃えました
客と店員 では互いの20ポンド分の価値を交換しましょう
店員は、20ポンド札を受け取らず、手元に5ポンドの商品と15ポンドの釣り銭を並べ、客と同じ価値を揃えてから価値の等価交換をしているのです。こちらを僕は「積み上げ型のお釣り計算」と命名しました。つまり店員は足し算でお釣りを計算しているのです。
英国の「積み上げ型のお釣り計算」は、いわば天秤を釣り合わせる行為に似ています。一方、日本のやり取りには天秤のイメージはありません。でもそこには数学的なやり取りとは異なるバランスの保ち方が存在しているのです。
日本のやり取りは“お金の仮移動”
SNSで「支払いをしたら、お札をお預かりしますと言われた。じゃあ、あとで返してくれるのか」という指摘を見たことがあります。その時は、僕も「確かに変だな」と思ったのですが、この釣り銭検証でその疑問も解消しました。
客から店員への千円札は、価値を客に残したままの仮移動であることを店員の「お預かりします」の言葉で合意されたのです。さらにその預かった価値から、差額の650円をお釣りに変換、合わせて350円の商品を渡す。その際に、350円の価値は「商品になります」と入れ替わったのです。
これは長い歴史的な商習慣などが影響した文化的な違いかもしれません。日本でも、支払いの時に端数を上乗せして、お釣りの端数をなくすやり取りも日常的に行われています。
その場面では、客の側が「差し引き型のお釣り計算」と「積み上げ型のお釣り計算」を合わせてやっていることになりますね。私たちの日々の暮らしには、文化的、数学的なコミュニケーションが隠れているようです。
math channel代表、日本お笑い数学協会副会長。2012年、早稲田大学大学院修士課程単位取得(理学修士)。数学応用数理専攻。大学在学中から、数学の楽しさを世の中に伝えるために「数学のお兄さん」として活動を開始し、これまでに全国約200か所以上で講演やイベントを実施。2017年、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)主催のサイエンスアゴラにおいてサイエンスアゴラ賞を受賞。著書に『笑う数学』(KADOKAWA)、『算数脳をつくる かずそろえ計算カードパズル』(幻冬舎)などがある。

- 作者:横山 明日希
- 発売日: 2020/09/12
- メディア: 新書