神奈川歯科大学大学院歯学研究科教授・歯学博士
奥歯を失うとなぜボケるのか?
ボケるか、ボケないか。もちろん、誰も絶対にボケたくなどありません!
じつは、ボケるかボケないかの重要なカギは「奥歯の健康」が大きなウエートを占めていることが、近年の研究で明らかになっています。
奥歯とは、第一
では、奥歯を失うとなぜボケるのでしょうか? おもな理由は、次の3点です。
①奥歯で噛まないと脳への刺激が減る
②奥歯が無いと摂取できる食べ物が限られ、脳の健康に必要な栄養素が不足する
③奥歯を失うおもな原因となる歯周病が、脳に悪影響を与える
それぞれ説明していきましょう。
①奥歯で噛まないと脳への刺激が減る
奥歯を使ってよく噛んで食べると、歯根のまわりや
逆に、奥歯を失い、奥歯を使って噛まなくなると、脳の細胞が刺激されず、脳が老化して、認知症になりやすくなるわけです。
②奥歯が無いと摂取できる食べ物が限られ、脳の健康に必要な栄養素が不足する
奥歯が無くなると、堅いものが噛めなくなるために食べられないものが増え、そのために食事のバランスが悪くなります。その結果、認知症を防ぐ栄養素であるビタミンなどが不足してしまうのです。
私の祖母は、奥歯を失ってからは、食事のときにパンを牛乳に浸して食べていました。残念ながら、晩年は認知症になってしまいました。
奥歯が無くても、義歯を使って噛んでいれば認知症になっていなかったかもしれず、それを思うと残念でなりません。
③奥歯を失うおもな原因となる歯周病が、脳に悪影響を与える
歯を失う原因で最も多いのが歯周病です。
とくに奥歯は歯周病になりやすく、歯周病になると歯ぐきが慢性的な炎症状態になります。
慢性的な炎症によって生み出される物質(炎症性サイトカイン)や、歯周病の原因菌(以下、歯周病菌)が出す毒素、歯周病菌を退治するために出される活性酸素などが、血管に入って脳に運ばれ、さまざまな悪影響を及ぼすことが指摘されています。
歯周病になって奥歯を失うことが認知症の原因になるだけでなく、歯周病菌自体が直接的に認知症の原因になることが明らかになったのです。
「噛み合わせ」が悪いと転倒・寝たきりのリスクも高まる
これら3点のほかにも、奥歯が無いとボケると考えられる理由はあります。たとえば、転倒のリスクとの関連性です。
高齢者の転倒は非常に危険で、転び方が悪いと脚の付け根(
そこまでひどい転倒でなくても、一度転ぶとまた転ぶのではないかと不安になり、自宅でじっとするようにもなります。結果的に自宅に閉じこもることで、運動不足になり、心身が衰弱して寝たきりにつながります。
転倒や骨折は、要介護になる原因の第4位。要介護になった人の10人に1人は転倒・骨折がきっかけになっているのです。
転倒しやすい人は、体のバランス機能や足腰の筋力が低下しているケースが多く、そこには奥歯の有無が密接に関わっています。
私は、過去1年間に転倒経験のない高齢者1763人を追跡調査しましたが、歯が20本以上の人(奥歯のある人)に比べて、19本以下で義歯未使用の人(奥歯の無い人)は転倒リスクが2.5倍高いという結果が出ました。
アメリカのメジャーリーグやアメリカンフットボールの選手は、シーズンオフには必ず歯科治療を受けるといいます。歯(とくに奥歯)の噛み合わせがしっかりしていないと、持てる力を十分に発揮できないからです。
それは、プロのスポーツ選手に限った話ではありません。私たちも日常で重いものを持ち上げたり、遠くに投げたりするときは、奥歯を噛みしめます。奥歯を噛みしめると、頬にある
奥歯の噛み合わせが悪いと、下顎がふらついて頭部が不安定になり、同時に頭部を支える体も不安定になります。すると、体のバランスを崩して転倒しやすくなります。歯根や咀嚼筋からの信号は、頭部の位置を安定させることに深く関わっているのです。
うつや閉じこもりをも招く
また、意外に思われるかもしれませんが、奥歯は心にも影響を与えます。
私たちは3年間かけて、うつ症状のない65歳以上の約1万4000人を対象に、「歯や口の健康とうつの症状との関係」を調べました。
その結果、「半年前に比べて堅いものが食べにくくなったと感じている人」は「そうでない人」に比べて、気分が落ち込むなどのうつの状態になるリスクが1.24倍高いことがわかりました。
また、「歯がまったく無い人」は、「歯が20本以上ある人」に比べて1.28倍、うつ状態になるリスクが高いことも明らかになりました。
さらに、閉じこもりではない65歳以上の4390人を対象として、4年間の追跡調査を行い、歯の本数や義歯の使用が閉じこもりとどのように関係しているかを調べました(ここでいう閉じこもりとは、外出の頻度が週1回未満の方です)。
その結果、65〜74歳の前期高齢者では、所得などの影響を考慮したうえでも、「歯が19本以下で義歯を使っていない人」が閉じこもりになるリスクは、「歯が20本以上ある人」の1.78倍にのぼりました。歯を失うと、うつや閉じこもりになる可能性が2倍近くになるのです。
では、なぜ奥歯を失うと、うつや閉じこもり状態になるのでしょうか?
私たちは人との関わりの中で生きています。人間関係は時に悩みのタネですが、家族や友人、知人との関わりは人生に活力を与え、大きな喜びももたらしてくれます。
人と仲良くなると自然と食事をともにするようになります。食事をしながら会話を楽しむことは、人生の楽しみの一つです。とくに身体活動が減っている高齢者にとって、食べることはなにより大きな楽しみです。
しかし、老人クラブなどの集まりでお弁当が出ても、みんなと同じものが食べづらくなるとどうでしょうか? 次第に食事会などに出席することを控えるようになるのではないでしょうか。
そのため、奥歯を失い、食べる楽しみが徐々に奪われると、うつや閉じこもりになりやすくなると考えられるのです。
そして、うつや閉じこもりは認知症の原因にもなります。
「1本目の歯」を失うことが、歯の欠損の連鎖を引き起こす
奥歯を失うことが認知症や寝たきりを引き起こし、健康寿命を縮めてしまうことのリスクをお伝えしましたが、近い将来、認知症や寝たきりにならないためには、「1本目の歯」を失わないことが大切です。いずれ失うとしても、失う時期を少しでも遅らせることが健康寿命を延ばすことにつながります。
残念ながらすでに歯を失ってしまっている方は、いまある歯をできるだけ残すようにするとともに、義歯などで噛み合わせを正しておくことが大切です。
というのも、私たちの歯の噛み合わせは、通常、上下左右の28本の歯(親知らずがない人の場合)で絶妙なバランスが保たれており、噛むときに上下の歯がうまく
それが1本でも欠損すると、噛み合わせの対になる歯の噛む機能も失うことになり、ほかの歯に負担が広がります。
たとえば、噛み合う相手を失った対の歯には歯垢がつきやすく、それが原因で歯周病やむし歯になり、対の歯まで失うことになりかねません。そして、それをそのまま放置すると連鎖するように、また別の歯も失う可能性が高くなります。
あるいは、右側の歯が失われた場合は、右側で噛みづらくなって左側ばかりを使うようになります。左側の歯に過剰に負担がかかると、歯が割れたり、歯周病になりやすく、ついには左側の歯も失うことにつながります。
1本失った段階で、そのリスクに気づき、歯科医院で処置を行ったうえで、自身でも適切な歯と歯ぐきのケアを行わない限り、あとはもう坂道を転がるがごとく、次から次へと歯を失う連鎖に襲われることになります。
その連鎖を食い止めるには、少しぐらい機能が落ちても、できるだけ最後まで歯を残す、歯を守り抜く努力をすることが大切です。
それがひいては、あなたの健康寿命を延ばすことにつながります。
歯を失ったことで、将来、認知症や寝たきりにならないための歯と歯ぐきの正しいケアを、今日からぜひ始めてください。
神奈川歯科大学大学院歯学研究科教授・歯学博士。1964年岡山県生まれ。岡山大学歯学部卒業後、同大学歯学部予防歯科学講座助手、米国テキサス大学客員研究員、世界保健機関(WHO)インターン、神奈川歯科大学大学院歯学研究科准教授等を経て、現職。歯・口の健康と認知症やうつなどの全身の健康との関連を研究調査するなど、予防歯科学、口腔衛生学、社会歯科学の第一人者。