「幻のホーム」や「秘密の線路」…東京の地下鉄に存在するミステリー

路線図

地下に張り巡らされ、都内の移動には欠かすことのできない交通手段となっている地下鉄。だが、そこには鉄道路線図には乗っていない線路があったり、眠り続けている駅があったり、出口まで6台のエスカレーターを乗り継がないと改札にたどり着けない駅があったりと、実に謎めいた空間が広がっている。

【地下鉄の謎その1
路線図に掲載されない線路がある?

手帳の後ろの方にデータとして掲載されていることが多い東京の地下鉄路線図。それぞれの路線カラーで表されたデザインを図案化したものだ、そこではカラーラインが交差し、乗換駅がひと目で分かるようになっている。駅名のスペースが大きいほど、いくつもの路線につながっていると判断することも可能だ。

しかし、この路線図には決して書かれることのない地下鉄の線路がいくつか張り巡らされている。地下鉄乗車時に、利用している地下鉄とは別の路線の車両や、乗り入れ運転していない私鉄の車両を見かけたことがある人なら、「おや、あれかな?」と察しが付くかもしれない。

「路線図に決して書かれることのない線路」とは、通常の営業用の路線ではなく、「渡り線」や「連絡線」などと呼ばれる線路で、私鉄や地下鉄の各路線が助け合い輸送をする際に使う路線のことである。

こうした路線図に乗らない線路のうち、比較的に知られているのが「8・9号連絡側線」だろう。「秘密のトンネル」などと紹介されることもある、東京メトロ千代田線霞ケ関駅と有楽町線桜田門駅を結ぶ約600メートルの連絡線のことである。

8・9号連絡側線は、千代田線北綾瀬駅近く検車区に千代田線以外の東京メトロの車両が点検を受けに行くときに利用するものだ。これら連絡線は、基本的には業務用だが、利用客のために利用されることもあった。特別なイベントがある時に、東京メトロは連絡線を使える路線から、イベント会場近くの駅まで直通電車を走らせたのである。

例えば、東京湾で開かれる花火大会の日に走らせる「花火ライナー」だ。最寄り駅が有楽町線の豊洲駅であるため、千代田線や南北線が仕立てた臨時電車が直通で豊洲駅に向かったこともある。また、サッカーW杯の時には埼玉スタジアムの最寄り駅である埼玉高速鉄道浦和美園駅に南北線経由直通電車が走ったこともあった。

【地下鉄の謎その2
地下に眠るもう一つの新橋駅

地上にはJR東日本の山手線などが停車し、地下では東京メトロ銀座線などの地下鉄が停車する新橋駅。この新橋駅には「幻のホーム」が存在する。しかも地下と地上に二つあって、それぞれが鉄道発祥の歴史を物語っている。

まずは地下のホームである。現在の東京メトロ新橋駅のホームの一階上にはもう一つの新橋駅が存在する。これは、東京地下鉄道と東京高速鉄道という二つの会社がそれぞれ浅草~新橋間と新橋~渋谷間で営業していた名残である。

二つの会社は経営者同士の考え方の違いから乗り入れの合意には至らず、1939年(昭和14年)までは目と鼻の先にある別々の駅で営業を行ってきた。地下鉄の乗り換えにもかかわらず、乗客はいったん改札を出て乗り換えねばならず、不便を強いられた。

その後、乗り入れが成立して地下鉄新橋駅は一つに統合されたため、東京高速鉄道の方の駅はわずか8カ月で使わなくなり、そのまま地下で眠り続けることになったのである。

東京高速鉄道の駅は今も保存されていて、ホームの一部は駅員の会議室として、線路は夜間に電車を止めておく留置線として利用されている。イベントの際には一般の利用者にも特別公開される場合がある。イベントでの公開された時は、当時のままの狭いホームや時代色豊かなタイルのモザイクで作られた「新橋」の文字の駅名標などを目の当たりにすることができ、タイムスリップしたかと錯覚するような体験をすることができる。

ちなみに地上では、かつての新橋駅の遺構が発掘されて話題になったことがあった。開業当初の新橋駅は現在のJR新橋駅とは違った場所に立っていた。東京駅が開業すると汐留駅と改称して貨物専用の駅となったのだ。

関東大震災でこの駅舎は焼失し、震災後の復興で土がかぶせられ、その上に再び汐留貨物駅が建てられた。このため、鉄道の開業に向けた測量で最初に食いが打ち込まれた祈念すべき地点でさえも不明となったのだ。それが1991年(平成3年)に大規模な遺構の発掘が始まり、ホームの石組みやモダンなレンガ建築だったとされる駅舎の土台、機関区の跡などがほぼ完全な形で発見されたのである。

地下でも地上でも新橋駅の幻のホームは鉄道発祥に伴うさまざまなドラマを今に伝えているのである。

【地下鉄の謎その3
六本木駅が深すぎる理由とは

東京の都営地下鉄大江戸線を利用する際、乗車時間5~6分の二駅区間だけを利用するにしても、出発駅から到着駅までの所要時間は10分程度余計にとっておきたい。

その10分間は、地上の出入り口から大江戸線のホームまでにたどり着くまでにかかる時間である。大江戸線は地下深くに走っているためだが、なぜこれほどまで地下深くに掘ることになったのだろうか。

長いエスカレーター

それは大江戸線の開業時期と関係してくる。東京の地下には縦横に地下鉄が走っている。1927年(昭和2年)、初めて開通した現在の東京メトロ銀座線は、浅草~上野間2.2キロを結んだだけだった。第二次大戦後には帝都高速度交通営団によって、次々と路線が拡充されていった。営団地下鉄と呼ばれ、現在は東京メトロと呼ばれる地下鉄の前身の姿だ。

これに対して、公営地下鉄として都営地下鉄が誕生したのは1960年(昭和35年)の一部開業に始まり、1968年(昭和43年)に全線開通の浅草線の押上~西馬込が第1号だ。営団と都営、二つの地下鉄運営会社が地下鉄網を張り巡らそうとして、東京の地下はトンネルだらけになりつつあった。

都営地下鉄も三田線、新宿線と工事を進めていったが、営団に遅れをとったため、トンネルを掘ることができる場所はどんどんと限られていった。このため、トンネルはすでにある営団の路線の一つ下、さらに下とどんどん深度を大きくしていくことになった。

大江戸線は都営12号線として1968年(昭和43年)から計画されていた路線だった。営団・都営の既存地下鉄を結ぶように環状に近い路線西、一部に放射状に延びる区間も持つ。しかし、既存の地下鉄がネックとなってトンネルはかなり深い部分を掘らざるを得なくなった。このため、着工の1986年(昭和61年)から長い年月を要して、2000年(平成12年)にようやく全線開通した。

大江戸線

既存の地下施設を避けた大江戸線は地中深くにトンネルを掘ることになった。その深さは最初の都営地下鉄である浅草線の平均深度11.6メートルのほぼ倍となる平均22.2メートルだ。新宿から西へ延びる区間では、ホームの位置が地下30メートル以上の駅がいくつもある。

地下深く走る大江戸線の中でも、もっとも深い深度にホームがあるのは、六本木駅の両国方面行きとなる内回りホームで深さ42.3メートルの位置にある。駅の立体構内案内図をみると地下7階と表示されている。出口によっては、6台のエスカレーターを乗り継いでいかないと、改札までたどり着けることができない。地上はさらにその上にある。

大江戸線六本木駅を利用する際には、時間的な余裕をきちんともって出かける必要がありそうだ。

 

PROFILE
櫻田純

1959年東京都出身。子供時代に東海道新幹線開業、蒸気機関車廃止、路面電車廃止など鉄道激変期を経験する。神奈川県立瀬谷高校、学習院大学では鉄道研究会の代表を務める。現在は民間企業の管理部門に勤務する傍ら、趣味で国鉄時代の鉄道車両を模型で再現している。主な著書に『カラー版「乗り鉄」バイブル』(中経出版)、『最新 歴史でひも解く鉄道の謎』(東京書籍)などがある。

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