エレキテルをつくった“非常の人”平賀源内に待ち受けていた悲劇

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上野の国立科学博物館には、平賀源内が復元したエレキテルの複製が展示されている
平賀源内(1728~1780年、享年52)――江戸中期の元祖マルチ人間。現在の香川県さぬき市の出身。興味の赴くままに様々なことに手を出した。杉田玄白はその墓碑に「非常の人」と刻ませた。

長崎に留学して蘭学を学ぶ

平賀源内はつねに新奇なことを好み、自らの興味の趣くままに博物学、化学、戯作、浄瑠璃、絵画……と様々なことに手を出した。どれをとっても一流で、まさに、万能の天才であった。

なかでも、源内の代表的な功績に「エレキテル」(摩擦起電機)の製作がある。このとき、源内四十九歳。これを絶頂期とするなら、その後亡くなるまでの三年間は一転して地獄の日々だった。一体、功成り名を遂げた源内に何が起こったのだろうか。

平賀源内は享保十三年(一七二八年)、高松藩の御蔵番、白石家の三男として生まれた。幼少時から異才ぶりを発揮し、「天狗小僧」と呼ばれた。

兄二人が早世したため、二十二歳で家督を継ぐ。このとき源内は戦国時代の先祖の姓である平賀に改姓している。二十五歳のとき、藩の命令で長崎に留学。蘭学や医学を学んだ。

この長崎でオランダ渡りの医学書、医療機器、薬品のほか、楽器や時計、地図、辞書、望遠鏡など西洋文明の品々に触れ、カルチャーショックを受ける。

帰郷するや家督を妹婿に譲り、江戸へ出る。源内は本草(博物)学者で医師の田村藍水の門弟となり、本草学を中心に最先端の知識を貪欲に吸収していった。

三十歳で藍水と協力し、日本初の物産会(薬品の博覧会)を湯島で開く。この成功が転機となり、正式に高松藩の士籍を捨てるや、まさに水を得た魚のごとく、その後様々な分野で活躍した。

そんな源内に、今でいう肩書きを付けてみると──、発明家、化学者、博物学者、画家、陶芸家、俳人、小説家、戯曲作家、浄瑠璃作家、鉱山師、コピーライター、プロデューサーなどなど実に多彩だ。

発明家・化学者としての代表的作品はエレキテル、量程器(現代の歩数計)、寒熱昇降器(寒暖計)、火浣布(耐火織物)、もぐさ点火用火付器(ライター)、方位磁石、水銀鏡、下剤、利尿剤などが挙げられる。

エレキテルというのは長方形の木箱で、上に二本の電極があり、側面にハンドルが付いていた。このハンドルを回せば静電気が発生し、電極の間にパチパチと火花が散るというものだ。

オランダから伝来し、もともと病気の治療用に開発された。今ならごく単純な構造だが、触るとビリッとくるというので、当時、見世物小屋で大評判となった。

源内はこのエレキテルの壊れたものを長崎で入手し、電気知識のなかった日本で、七年がかりで復元したのだった。現在、郵政博物館にそのときの現物が保存されている。

詐欺容疑ののち、殺傷事件を起こして投獄される

エレキテルに代表されるこうした源内の発明・工夫の数々は当時の人々を驚嘆させこそすれ、ビジネスとしてはほとんど成功しなかった。江戸時代という閉塞した封建社会にあっては彼のような存在は所詮異端児でしかなかったのである。

それはともかく、このエレキテルを製作したあたりが、源内が最も輝いていた時代だ。その後、坂道を転げ落ちるように破滅の道をひた走ることになる。

そのきっかけは、皮肉にもエレキテルだった。長年、源内の下で仕事を手伝ってくれていた職人に弥七という男がいた。ある日、この弥七が捕らえられてしまう。彼はエレキテルの人気に目をつけ、源内に内緒で人から資金を集めてエレキテル製作に乗り出したのだが、結局成功せず、詐欺で訴えられてしまったのだ。

源内のまったく預かり知らぬこととはいえ、この事件が引き金になり、「源内は大山師だ」との評判が広まってしまう。日ごろ源内は、天才ゆえの強い自負心と、そんな自分を受け容れようとしない世間の冷たさに対し強い不満を持っていた。

この事件によってその不満が一気に噴出し、精神に異常をきたしてしまう。

以来、源内はますます奇矯な行動に出る。安永八年(一七七九年)、五十二歳になった源内は周囲が反対するのも聞かず、お化け屋敷と噂される屋敷に移り住むと、その年の十一月二十一日、源内は自宅で友人二人を殺傷してしまった。彼が請け負った某侯別邸の庭修理の見積りのことで、行き違いがあったのが原因だという。

事件直後、自殺を図るが失敗し、投獄される。翌月十八日、源内はその罪も決まらぬうちに破傷風にかかり、獄死する。生前親しかった杉田玄白が源内の墓碑文を次のようにしたためている。

ああ非常ノ人 非常ノ事ヲ好ミ 行ヒ是レ非常 何ゾ非常ニ死セルヤ

(常識では計り知れない人だった。常識からかけ離れたことを好み、常識からかけ離れたことをした。しかし、どうして死に方までそうなってしまったのか)

せめて明治の時代に生まれていたなら、彼の活躍の場もあったであろうが、いかんせん、この世に登場するのが早すぎた。

そんな源内の天才性を惜しんでか、獄死に関して異説も残っている。源内は幕府の実力者・田沼意次の庇護を受けていたため、発狂した源内を意次が憐れみ、獄死した罪人の屍を源内のそれとして扱い、夜陰に紛れて源内を江戸から脱走させたというのだ。そして、源内は八十有余歳まで長生きしたという。

むろん真偽は定かでない。

 

 

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