作家・僧侶・保護司
一流のリーダーにとって、失敗は「成功の糧」
失敗を認めないのは凡庸なリーダーだ。部下は萎縮する。チャレンジを避ける。だから成長はなく、組織の発展も望めない。
一流のリーダーはちがう。失敗は成功の糧として積極的に許容する。リーダーの多くが失敗体験を持ち、それが飛躍のバネになることを熟知しているからだ。
失敗は成功の対極にあるのではなく、両者は二人三脚であることを、リーダーの言葉は私たちに教える。
だが、失敗を許容するのは勇気がいる。忍耐がいる。だから優れたリーダーは尻を叩かない。自らの失敗や不遇時代の体験を言葉としてメッセージする。
相手は安心し、思い切ってチャレンジし、たとえ失敗しようとも次の成功へとつながっていくのだ。
失敗は「途中結果」。だから何度も起き上がれる
私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、
倒れるごとに起きるところにある。
――本田宗一郎(本田技研工業創業者)
成功は誰でもするとは限らないが、失敗なら誰もがする。だから成功者の全員が失敗体験を持つ。問題は失敗したときにどうするか。
宗一郎は起き上がった。倒れるたびに起き上がった。そして、そんな自分を振り返って光栄として誇った。「世界のホンダ」は、町工場から身を起こした宗一郎の〝失敗の集大成〟なのである。
29歳でピストンリングの会社を興して大失敗する。妻の物まで質屋に入れた。自動二輪の成功を引っ提げ、四輪乗用車の生産に乗り出したときも惨敗した。勝負をかけた軽自動車「N360」が大ヒットするが、宗一郎はここから地獄を見る。
アメリカで自動車の安全性をめぐる消費者運動が起こり、それが日本に飛び火。ベストセラーカーであるN360がターゲットにされた。同車が関係する死亡交通事故と欠陥性との因果関係をめぐり、消費者組織がホンダを東京地検へ告訴したのだ。
不起訴処分にはなったが、N360は発売中止に追い込まれる。企業存亡の機で宗一郎は再び起き上がる。世界に先駆け、アメリカの排出ガス規制をクリアするクリーンエンジンの開発に成功して海外に飛躍していく。
宗一郎に失敗は山ほどあっても挫折はない。挫折がなければ失敗は途中経過にすぎない。だから何度でも起き上がれる。リーダーが起き上がれば部下も組織もそれに続くのだ。
強メンタルの根源は、究極の「ポジティブ思考」にあった
壁というのは、できる人にしかやってこない。
越えられる可能性がある人にしかやってこない。
だから、壁がある時はチャンスだと思っている。
――イチロー(元プロ野球選手)
なぜ、イチローのメンタルは強いのか。完璧な準備、ルーティン、アスリートとして徹底した自己管理。理由はいくつもある。だが、イチローの言葉を丹念に拾っていくと、「ポジティブ」という思考に行き着く。
たとえば壁にぶつかる。「ひるむな!」「越えろ!」「挑戦しろ!」――叱咤するのは精神的なムチだ。ムチはネガティブで反作用を伴う。イチローは叱咤などしない。「壁というのは、できる人にしかやってこない」と言い聞かせる。「自分はできる人」になる。
不調のときは「スランプのときにこそ絶好調が現れる」と考える。スランプは悩むものではなく、心を浮き立たせてくれるものと捉えるのだ。
困難な目標に対しては「自分から立ち向かっていく姿勢があれば野球はうまくなるし、人間として強くなっていく」とポジティブにとらえ、不安に対しては「恐怖心を持っていない人は本物じゃない。その怖さを打ち消したいがために練習する」と前向きに考える。
だからイチローは逃げない。悲壮感がない。精神的な動揺の一切がない。その姿が「野球の求道者」に見えるのだ。
自分にムチをふるってはならない。自分を自分の奴隷にしてはならない。「逆境、ウエルカム!」と自分に言い聞かせるのだ。そのとき弱い心は鋼に転じる。
失敗を許容する「人間力」が、部下の信頼を引き寄せる
成果とはつねに成功することではない。
そこには、間違いや失敗を許す余地がなければならない。
――ピーター・ドラッカー(経営学者)
成果を出すために失敗を許容せよ――。「経営の世界的権威」ドラッカーの言葉が、いまもビジネス・パーソンの心を揺さぶる。挑戦なくして成果を出すことはできない。なるほど、と思う。
だが、口で言うほど簡単ではない。単純でもない。「かまわないから大いに失敗しろ」――上司にこう言われて鵜吞みにする部下がいるだろうか。
間違いや失敗はマイナス査定だ。成功実績を階段として一歩ずつ上がっていく。これを出世と言う。だから誰もが手柄を目指す。このことに異論はあるまい。
ところがドラッカーは「成果とはつねに成功することではない」と言う。成果至上主義ではなく、部下の失敗を許容する余地を持たなくては組織の発展はないというのだ。
だが、「成果を出させるために失敗を許す」は矛盾である。「成果を目指す部下」と「失敗を許容する上司」との間に
それはリーダーの人間力である。「思い切ってやれ、骨は拾ってやる」という一語に部下がどれだけ信頼を寄せるか、ここにすべてがある。
「成果を出せ」と尻を叩くのは簡単だ。先頭に立って引っ張るのは、容易ではないが腹をくくればできる。だが、「失敗していい」という一語を部下に納得させるのは人間力以外にない。間違いや失敗を許す余地とは、リーダーの全人格のことを言うのだ。
あの“神様”も、失敗を重ねてきた
運命よ、そこをどけ!
俺が通る。
――マイケル・ジョーダン(プロバスケットボール選手)
この言葉は意訳した日本語だとも言われる。「どけ!」と叫んだ相手は運命ではなく、ディフェンスで立ちふさがった敵だとの説もある。本当のところはわからない。わからないが、ジョーダンなら運命にさえ「どけ!」と言うだろう。スキンヘッドの「バスケの神様」である。
意訳としても、これほどジョーダンに似合う言葉はない。15年間の競技生活で五度のシーズンMVP、六度のNBAファイナルMVP受賞、得点王10回、そしてシカゴ・ブルズを6度のNBAチャンピオンに導く。
世界一の負けず嫌いだと評される。試合に敗れても「時間がなくなっただけだ」と言ってのける。「高校時代は代表チームの選考から漏れた。私は9000回以上シュートを外し、300試合に敗れた。決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功したんだ」。
試合のミスも人生のつまずきも、成功への足がかりに過ぎないとする。
「運命よ、そこをどけ! 俺が通る」──強烈な自負と自信である。私たちもそう言ってみたい。だが、私たちはジョーダンではない。ならば運命だからという理由だけで、意に染まない現状を受け入れるしかないのだろうか。
違う、とジョーダンは言うに違いない。意志があれば変えられる。ジョーダンの言葉が我々の胸を震わせる理由はそこにある。
1950年、広島県呉市生まれ。作家・僧侶(浄土真宗本願寺派)。拓殖大学卒業後、週刊誌記者などを経て現職に。保護司、日本空手道「昇空館」館長の顔も持つ。アウトローの世界から政治家、仏教まで、幅広いジャンルで人間社会を鋭くとらえた観察眼と切れ味のよい語り口には定評がある。