年収700万円より1000万円の方が大きな不満を感じる理由【佐藤優】

佐藤優

「給料は多ければ多いほどいい」――。これは多くの人の偽らざる本音でしょうが、働き方や心身にかかるストレスのことを考えると、実はそれほど単純なことではないかもしれません。作家の佐藤優さんが、この時代のお金と働きがいの関係について教えてくれます。

会社の儲けと給与は比例しない

「企業(資本家)は、利益を社員(労働者)には分配しない――」

このことは、マルクスが『資本論』で明確に指摘しています。会社に雇われる、雇用契約を結ぶということはどういうことか。マルクスによれば、そこで働く人はその段階で労働力を会社に売っていると考えます。

初任給はいくら、賃金はいくらとその段階で労働力の対価が規定されており、その条件が不服であれば契約しなければいい、というのが企業側の考えです。

ですから会社がどれだけ儲かっても、社員個人がどれだけ利益を上げても、それを会社と従業員の間で分配することはありません。雇用契約で決まった賃金の範囲を大きく超えることはないのです。

利益は経営陣、あるいは株主によって独占され、そこで分配されます。分配の場から従業員や労働者が排除されていること――。それがいわゆる「搾取」の構造であるとマルクスは指摘します。

これに対して、マルクス以後の近代経済学は賃金を「分配」だと考えます。会社で働く人たちの毎月の給与は企業収益の分配だとするのです。しかし、分配であれば利益が2倍になったときは賃金も2倍になっていいはずですが、実際にはそうはなりません。

どちらの理屈がより現実社会をとらえているかといえば、私たち自身の周囲を見渡す限り、どうやらマルクスのほうに軍配を上げざるを得ないようです。

高所得層ほど課税が強化される

マルクスを引き合いに出すまでもなく、この現実はみなさん自身が日常で実感されているはずです。どんなに頑張っても給料の上限は決まっています。恵まれた会社でも、一部上場の部長クラスで年収1500万円いくかどうか。おそらく、それがサラリーパーソンの年収の上限でしょう。それでも、会社員は毎月安定的に収入を得られる。その安心感と安定感には代えがたいものがあります。

サラリーパーソンとしてそれ以上稼ぎたいのなら、起業して経営者になるしかない。つまり、搾取される側から搾取する側に回るのです。ただし経営者となると、これはこれで大変です。

商品開発からマーケティング、資金繰り、社員のマネジメントまで、四六時中経営のことを考えていなければ務まりません。失敗すれば自分の財産を失ってしまう。それはそれで非常に過酷な世界です。

何より、他人の労働力を搾取してお金を稼ぐことをよしとするかどうか。厳しい環境で競合他社に打ち勝ち、生き残るには、社員に必死に働いてもらう必要があります。

そんなつもりはなくても、結局はブラックな領域に踏み込まざるを得なくなるかもしれません。ときには、利益を上げない社員をリストラする必要も出てくるでしょう。

「経営者にならなくてもいいから、1000万円の年収を目指したい」。そんな人も多いかもしれませんが、最近は「年収1000万円の悲劇」という言葉があるのをご存じでしょうか。

現時点で、年収900万円超1800万円以下の人の所得税は33%。今後は所得控除額が減額されるので、実質の税額はさらに上がる見込みです。

そうなると、年収1000万円を稼ぐ層の不公平感はかなり高くなります。年収700万円の人より、1000万円の人のほうが大きな不満を感じているという逆転現象です。

その年収700万円でさえ、会社員として稼ぐことは簡単ではありません。おそらく、正社員として普通の会社で普通に働いていたら、年収500万円がひとつの壁になるはずです。

私のイメージでは、そこから700万円に増やすとなると、役職が上がる必要があるのはもちろん、超過勤務は当たり前。それも賃金に跳ね返らないサービス残業がほとんど、ということになるのではないでしょうか。

年収600万円で上位10%

こうしたことを考えると、これからの時代の稼ぎ方や仕事の仕方が見えてくるような気がします。私が提案したいのは、今の社会や企業の仕組みの中で、無理をしないで上手に稼ぎ、生き抜くということです。

国税庁の民間給与実態統計調査(2019年)によると、一年を通じて勤務した給与所得者の平均給与は441万円(男性545万円、女性293万円)。ちなみに、2003年の平均給与は440万円で、そこからほとんど上がっていません。

この数字は平均ですから、高所得者に引っ張られています。同調査では給与階級別分布も調べており、それによると最も多いのが「年間給与額300万円超〜400万円以下」の層で17.2%です。男女別で見ると、男性は「年間給与額400万円超〜500万円以下」が17.8%で最も多く、次いで「300万円超〜400万円以下」が17.3%。女性で最も多いのが「100万円超〜200万円以下」の23.8%で、次いで「200万円超〜300万円以下」が21.0%となっています(すべて平成30年度)。

おそらく、この数字が一般的な日本人の給与所得者の実感に一番近いのではないでしょうか。つまり、年収300万円台が中央値なのです。日本の労働者の年収上位10%には、年収580万円台の人が入ります。年収600万円だったら間違いなく上位10%と言えるでしょう。

バブルのころのイメージが抜けきれていない方が多いためか、平均値のマジックに惑わされているせいか、年収500万円くらいが平均的な数字のような感覚があります。しかし、現実はかなり違ってきているのです。

年収300万円台で普通だと考え、そのうえでその収入でいかに上手に、豊かに生きることができるか。300万円台を400万円台、500万円台に増やすにはどうすればいいか。もっと現実的にお金の話をしていくべきでしょう。

努力のベクトルを間違えない

そう言うと、なんだか夢がないという声が聞こえてきそうです。でも、現実を踏まえずに年収1000万円を目指そうとか、お金を投資や副業などで一気に増やそうというのは、どこかに無理があります。

実際、そういうハウツー本や自己啓発本も少なくありません。その中には、やたら本人の努力や頑張りをあおるものもあります。今のままの稼ぎでは将来必ず壁に突き当たるから、そうならないためにスキルアップとキャリアアップを図らなければならない――。

このような主張をする人は、自分自身が努力し頑張ってきたからこそ今の成功があると考えるのでしょうが、このような考え方は危険です。思うようにいかない場合、努力崇拝主義の人ほど自分の努力が足りないのではないか、自分がダメなのではないかと自分を責め、うつ病や燃え尽き症候群になってしまうのです。

結局のところ、努力は成功のための必要条件ではあっても十分条件ではない、ということに尽きます。成功には多分に運の力や偶然が重なるもので、頑張ったからといって、すべての人が成功するわけではないのです。

この努力崇拝主義は、精神面だけでなく金銭面にもダメージを与える可能性があります。能力を高めなければならない、自分を変えなければならないなどと、なかば強迫観念のように急き立てられてあやしげなセミナーに行ったり、高い教材を買い込んだり……。

実際、ネットでも自己開発系の教材や情報商材が結構な金額で売られたりしています。実際に何らかの成果が上がって、本人が納得しているならいいのですが、そんな可能性はあまり高くないでしょう。

身の回りには、きわどい儲け話やおかしな投資話もたくさんあります。年収400万円も稼いでいれば平均的なのに、もっと稼がないとダメだとか、将来が危ないと不安にさせられる。この低金利時代には投資をしなければ目減りしてしまうなどとあおられる。そんな宣伝に冷静さを失い、普段ならおかしいと気づくような話にも乗ってしまう。お金を失ってはじめて、自分が騙されたとか、無謀だったと気がつくのです。

自分の現状を過小評価して自信を失ったり、焦ったりしてしまうことはよくありません。すでに見てきたように、300万円、400万円稼いでいれば、自分を卑下する必要などないことがわかるはずです。正しく自分の現状を認識すれば、肩の力を抜いて、もっと地に足のついたお金との関係が築けるのではないでしょうか。

 

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佐藤優

PROFILE
佐藤優

1960年東京都生まれ。85年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務を経て、95年、同省国際情報局分析第一課主任分析官。2002年、背任及び偽計業務妨害容疑で逮捕。09年、背任及び偽計業務妨害の有罪確定で外務省を失職。13年、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。捜査の内幕を描いた『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)が05年に出版されると大反響を呼ぶ。『自壊する帝国』(新潮社)で第38回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞

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  • 作者:佐藤 優
  • 発売日: 2015/10/02
  • メディア: 新書