名言と諺に学ぶ! なぜ「焦り」の気持ちは人生の妨げとなるのか

「思っていたように昇進しない」「彼がなかなかプロポーズしてくれない」…そうした“焦り”は、心に大きなストレスを与えます。そればかりか、人生の流れがうまくいかなくなることも。では、どうやってその気持ちと向き合えばいいのでしょうか。著述家であり産業カウンセラーでもある植西聰氏に、名言や詩を交えつつご教示いただきました。

焦らずおおらかな気持ちで、自然の流れに任せるとうまくいく

たとえば、ある女性が、ある男性とつきあっているとします。結婚したいと願っていますが、なかなかプロポーズしてくれないのです。思い通りにならないことにイライラしてきます。

また、「他に好きな人がいるのではないか。私のことを、それほど好きではないのかもしれない」と悪い想像をするようになり、そわそわと落ち着かなくなってくるのです。そして、そのために関係がギクシャクしてくる、ということもあるのです。

そうならないために大切なのは、まずは「焦らない」ということです。「おおらかな気持ちでいる」ということです。むやみに焦るよりも、おおらかな気持ちで事に臨むほうが、ずっとうまくいく可能性が高いのです。

もちろん思いを相手に伝えることも大切でしょう。しかし、その際も、焦って強い調子で訴えるのではなく、おおらかな気持ちで自分の気持ちを伝えるほうがうまくいくと思います。

「焦」という字には「焦げる」という意味があります。「火に焼かれて焦げる」の「焦げる」です。また、焦燥感の「燥」には、「火に焼かれる」という意味があります。つまり「焦燥感」を覚えている時、人は「心を焼かれて、焦がされているような心境になっている」ということなのです。

これも、もちろん、良い精神状態ではありません。イライラ、そわそわを抑えられなくなって、自分で自分を苦しめるようなものです。

では、どうすれば、この「焦燥感」を避けられるかと言えば、その方法の一つに「自然の流れに任せる」という心構えを持つ、ということが挙げられます。

禅には「自然の流れに任せる」という考え方があります。人は「自然の流れ」に乗って生きています。それは「運命」という言葉に言い換えられるかもしれません。

その自然の流れに無理に逆らおうと思っても、うまくはいきません。無理に逆らおうとすれば「思った通りに物事は運ばない」という事態に直面することになります。そうなると、それこそ「焦燥感」が一層増していくばかりなのです。

従って、自然の流れに身を任せて生きていくほうが楽だと思います。これは「自然体で生きる」ということでもあるのです。自然体で、自然の流れに身を任せる、ということを心がけることで、精神的に楽になります。その結果、イライラ、そわそわも消えていきます。

「牛のように進んで行く」ことが大事

明治から大正時代にかけて活躍した文豪、夏目漱石(19〜20世紀)が、小説家としてデビューしたばかりの芥川龍之介(19〜20世紀)にあてて送った手紙があります。その手紙の一節に、次のような文章があります。

焦ってはいけません。ただ、牛のように図々しく進んで行くことが大事です

 当時、芥川龍之介は非常に才能のある青年で、注目も集めていました。また、芥川自身、「小説家として早く成功したい」という思いも強くありました。しかし、漱石は「焦りがある」と感じ取っていたようです。

いくら才能があるといっても、まだ十分な小説家としての実力は備わっていませんでした。そんな芥川が「早く成功したい」というそわそわした気持ちから焦って小説を書いても、かえってダメになると漱石は考えたのでしょう。そこで「焦ってはいけません」と教えさとしたのです。

「牛のように図々しく進んで行く」は、「焦ることなく、ゆっくりと着実に実力を養っていく」という意味に理解できます。そのようにして焦ることなく、そわそわと浮き足だった気持ちになるのではなく、地に足をつけて着実に実力をつけていってこそ傑作を残せる、と伝えたかったのでしょう。

すぐに成功することよりも、まず大切なのは、成功者と呼ばれるに値する実力を養う、ということなのです。

自分の実力をしっかり見極める

やせ馬の道急みちいそ」ということわざがあります。「やせ馬」とは、「実力がまだ備わっていない人」のことを意味しています。また、「道急ぎ」とは、「『早く成功したい』という思いから、焦って行動する」ということを意味しています。

体力のない、やせた馬が焦って道を急いで駆けていけば、途中でへたばってしまいます。

「実力がまだ十分に備わっていない人が『早く成功したい』と、焦って先を急げば、途中で挫折することになりかねない」ということを指摘しています。言い換えれば、自分の実力に合わせて、着実に成功へと近づいていくほうがうまくいくのです。

そのためには、まずは、自分の今の実力がどの程度のものなのか、しっかりと見極める必要があります。

実は、これが簡単なようで、意外と難しいのです。人には「うぬぼれ」という心理があって、つい実力以上に自分を高く見積もってしまう傾向があるからです。そんな「うぬぼれた人」に限って、「早く成功したい」というそわそわ感を抑えられずに、焦って実力が伴わない行動を取ってしまうのでしょう。

焦らず続けるうちにギャップが小さくなる

つまり、「焦り」がどこから生まれてくるのかと言えば、一つの要因は「こうあってほしい」という願いと、「状況が違う」というギャップであると思います。

たとえば、「高く評価されたい」という願いがあるとします。しかし、現実的には、「期待通りの評価が得られない」のです。

このようなギャップがある時、人は「いつになったら私は高く評価されるんだろう?」という焦りを感じ始めます。その焦りから、そわそわして、やるべきことに集中できなくなってくるのです。

このような時には、「無心になって、やるべきことを淡々とこなしていくように心がける」ことが大切だと思います。

「無心になる」とは、「心を無くす」ということではありません。「余計なことは考えない」ということです。

ひとまず自分の「願い」については横に置いて、考えないようにします。今自分が置かれている「現実」についても、考えるのをやめます。そうすることによって、心の中にそわそわやイライラといったネガティブな感情が入り込んでこないようにします。

そうやって無心となって、やるべきことをこなしていきます。努力を続けていくうちに、「願いと現実」のギャップはだんだんと縮まっていきます。自分では気づかないうちに、現実が近づいていくのです。

花のように無心になる

長年、高校の教員を勤めながらユニークな詩を書き発表してきた、坂村真民さかむらしんみんの作品に次のようなものがあります。彼の詩は背景に仏教思想があるとも言われています。

咲くも無心、
散るも無心、
花は嘆かず、
今を生きる

「花」のようにして生きていくのが、人間としての理想だと指摘しているのです。花は、「もっときれいな花を咲かせたかったのに」と、嘆くことはありません。散る時に、「もっと長く咲いていたかったのに」と、嘆くこともしません。ただ「無心になって、今という時間を一生懸命に生きている」だけなのです。

人間も、そんな「花」のように、無心になって生きていくことができれば、「願い」と「現実」のギャップに悩むことはありません。また、「早く願いを実現したい」と、焦ることもありません。「いつになったら願いが実現できるのか」と不安になって、落ち着かなくなることもないのです。

「花」のように「嘆かない」「無心になる」「今を生きる」ということを念頭に置きながら、日々の生活を送っていくことが大切です。

 

PROFILE
植西 聰

東京都出身。著述家。学習院高等科・同大学卒業後、資生堂に勤務。独立後、人生論の研究に従事。独自の『成心学』理論を確立し、心を元気づける著述活動を開始。
1995年、「産業カウンセラー」(労働大臣認定資格)を取得。著書に『自己肯定感を育てる たった1つの習慣』『前を向く力を取り戻す「折れない心」をつくる たった1つの習慣』(青春新書プレイブックス)などがある。

 
そわそわしない練習 (青春文庫)

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  • 作者:植西 聰
  • 発売日: 2021/02/10
  • メディア: 文庫