「不幸文法」をやめると、子どもの“生きづらさ”がなくなっていく

「自分はダメだ…」「私はネガティブだから」―子どもたちからこんなことばを聞くことはないでしょうか。元・保健室の先生で現在NLP教育コンサルタントとして活躍する桑原朱美氏は、こうした表現を「不幸文法」と呼び、子どもたち(大人も)の生きづらさの現われだと指摘します。どういうことなのでしょうか。

他人軸の子どもたちが使う独特の不幸文法

私は25年にわたり、小中学校の養護教諭(保健室の先生)として、多くの子どもたちにかかわってきました。2008年に独立し、現在は教育コンサルタントとして、主に養護教諭向けの研修や講座、オンラインコミュニティ運営を行っています。

私が最後に勤務した学校は、当時「教育困難校」と言われていた中学校でした。

そこで出会った中学生は、たくさんの生きづらさを抱えていました。そして、その生きづらさを様々な形で表現していました。問題行動を繰り返す子もいました。不適応や不登校という形で表現する子もいました。

生きづらさを感じている子どもたち(大人も)は、独特の表現を使います。

  • 〜してくれない
  • どうせ自分なんて!
  • 〜のせいで
  • 〜してあげたのに!
  • みんなが! いつも!(+マイナスな表現)
  • 〜ができない。〜が苦手
  • 自分は〇〇な子(マイナスな表現)
  • カラナイ (〜だから○○できない)
  • カラナル(〜だから○○になる)

私はこうした言い方を「不幸文法」と呼んでいます。

子どもたちの話を聴くときは、彼らのストーリーにはまり込むことなく、事実を話しているのか、解釈を話しているのかを、確認しながら整理してあげることが必要です。ここで紹介した表現を使っていないかどうかも、話を聴くポイントになります。

多くの子どもたちは、事実ではなく、事実に対しての解釈に苦しんでいます。

子どもたちの解釈のストーリーから生まれた「感情」を一時的に慰めようとするより、子どもたちの脳の中で起きている混乱を整理してあげることのほうが、教育的な効果は数倍違います。これは、私が現場で実際に実践検証したからこそ、言えることです。

大きな声が出せず、先生に注意されたH君

具体的な事例で解説しましょう。

中学校の体育大会をまぢかに控えたある日、応援練習のリハーサルを終えた赤組団長のH君が肩を落として悲しそうに来室しました。

理由を聞くと、

「応援練習で大きな声が出せなくて、先生にしかられてしまったんです。ぼくは、ダメなやつですよね。団長失格だ……」

と、今にも泣きそうでした。

子どもたちの相談の中には、このようなマイナス思考にはまり込んでしまう事例がたくさんあります。

何か一つうまくいかないことがあると、「自分はダメだ」と、自分そのものを否定する言い方をしてしまうのです。これは生きづらさを作るパターンのひとつです。

「そういう表現を使うと脳のトリックにはまるよ」と子どもたちには伝えています。
「一つのできないこと=自分はダメ」というX=Y(思い込み、勘違い)に気づいてもらうために、こんな質問をしてみました。

「H君、あなたが団長としてできていることは何がある?」

するとH君は「下級生の面倒見がいいと言って、ほめられた」「時間をしっかり守ることができる」など、ほかにもいくつか出てきました。

「それは、すごいね。それでは、あなたは団長失格ではないね」

そう言うと、H君はあれ? という顔をしていました。

「あ……。そうかな」
「リーダーとして必要なことがたくさんある中で、できていることもあるってことね」
「そうかぁ」
「じゃ、何が問題なのかな?」
「えーと、大きな声がちゃんと出ないこと」
「じゃ、どうなりたいの?」
「列の後ろのほうまで聞こえる声を出したい」
「いいね。それができたら、赤組はどんなふうになるかな」
「声が大きくなったら、みんなも大きな声になる。チームに勢いがつくし、先生たちもびっくりすると思う」
「おお、そんなふうに変わるんだ。そうなったら、H君はどんな気持ち?」
「胸がすかっとすると思うよ」
「そうか、胸がすかっとするんだね。なんか、先生までワクワクしてきた」
「なんか、元気が出ました」
「よかったね。では、もっと大きな声を出すために、何ができるかな」
「毎日、発声練習しようかな?」
「それは、いいね、それ、どんなふうにやるの」

どうなりたいのか、それが実現したらどんな気持ちになるのか、周りはどういう反応なのかと、解決した未来について質問してあげるだけで、人間の意識はその未来を語り始めます。

そのワクワクした未来に行くために、今からできることは何? と聞いてあげることで、子どもたちは自由に発想し、アイディアを出していきます。

大人は、ただ、子どもの脳が、一歩を踏み出すための声掛けをするだけです

この対応で、H君は体育大会当日、団長として大活躍していました。

言い方ひとつで、脳の動きは変わる

子どもたちは、H君のように、一つの「行動のミス」と「自分自身」を勝手に結び付ける表現をします(不幸文法)。

脳は、いつも自分自身の思考とことばに反応し、その通りになろうとします。そこに乗る感情が強ければ強いほど、さらにその通りにしようと動きます。

「自分はダメだ」と言えば、本当にそうなろうとします。本人が望むか望まないかは関係ありません。

子どもたちにかかわる大人も、子どもたちが自分をどう表現しているのか、行動のミスや能力(できる、できない、苦手、得意など)と自分自身をつないだ表現をしていないかどうかをしっかり聴きとる必要があります。

落ち込みやすい子どもたちは、自分のマイナスの出来事を、自分自身と結び付けて表現しています。

「〇〇を失敗した→だからぼくはだめなんだ」「△△が苦手→だから私はバカなんだ」……行動のミスを自分そのものの否定へとつないでいるのですから、落ち込みは深く、なかなか立ち直れなくなってしまうのです。

繰り返しますが、「ダメなやつ」と意味づけしたら、その通りの能力と行動をしようとするのが脳の習性です。

自分の行動がまずかったと考えることができたときと自分がダメなんだと考える思考では、落ち込みの度合いは違ってきます。落ち込みが深く、立ち直りが遅い子は、こういう特徴的なことばの使い方と思考をしているのです。

早く立ち直り、前に進んでいく人が使うことばのパターンとは?

私は、児童向けの講演で、「立ち直りにくい人のことば、早く立ち直ることができる人のことばの違い」についてお話ししています。子どもたちは、大人の影響なのか、単にネガティブとかメンタルが弱いということで片づけてしまいます。

そこで、私は、具体的に何をどう変えれば、落ち込みにくくなり、立ち直りが早くなるのかを伝えています(落ち込むこともあってよいということが前提です)。

落ち込みやすい人、落ち込んだらなかなかい上がれない人は、「不幸文法」を使いがちです。

逆に、何かマイナスのことがあっても、必要以上に落ち込むことなく、その失敗を糧に成長するタイプの子どももいます。そういう子は、出来事の意味づけの方法と使っていることばが違います

たとえば、ガラスを割ってしまったとき、それは、「行動」がまずかったと考えます。わざわざその出来事で自分の人格を否定することにつなぎません。

「この出来事は行動レベルの話であって、その行動と自分がダメだということは関係がない!」という思考をするからです。

そういう思考があれば、数学の試験が悪くても、「この点数は事実だけど、そのことと自分がバカであることは関係ない」ととらえることができます。

こういう子どもたちは、事実を事実として受け容れたうえで、さらにこんなことばを発しています。

「どうやったら、次は、うまくできるかな。この経験をどう生かせばいいかな」

大人は、こうした子どもたちの違いを、安易に性格のせいにするのではなく、ことばの違いが何を引き起こすのかをしっかりと伝えていく必要があります

たとえば、うまくいかなかったとき、「だから自分はダメなんだ」という思考をするか、「どうやったらできるか」という思考をするか。

行動のミスを自分そのものを否定することばとつないでしまうのか? 

それとも、行動のミスだから、その行動をどう変えればよいのかと考えることができるかどうか? 

自分そのものを否定するか、「どうやったらできるか」と、やるための方法を生み出すための思考をするかで、全く違う結果が生まれてきます。

子どもたちは、様々な出来事を体験し、成長していく存在なのですから──。

 

PROFILE
桑原朱美

NLP教育コンサルタント。株式会社ハートマッスルトレーニングジム代表。主体的人生を構築する人材育成トレーナー。島根県生まれ。愛知教育大学卒業。教育困難校等の保健室の先生として25年間勤務。全国1000以上の学校現場で採用されているオリジナル教材や、「保健室コーチング」など独自のメソッドで研修、講演会などで活躍中。「主体的人生を構築する人材育成トレーナー」とも呼ばれる。『保健室コーチングに学ぶ! 養護教諭の「現場力」』(明治図書出版)ほか、新聞、テレビなどへの執筆、出演多数。
本書は、保健室コーチングの事例をベースに教員や親など子どもに関わる全ての大人たちに向けた一冊である。

 

保健室から見える親が知らない子どもたち

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  • 作者:桑原 朱美
  • 発売日: 2021/02/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)