明治末期の超能力ブーム「千里眼騒動」の不可解な経緯

明治の家

一九七〇年代前半、スプーン曲げで一世を風靡したイスラエル出身の自称超能力者、ユリ・ゲラーのことを記憶している人も多いだろう。実は日本でも、明治末期に同様の超能力ブームがあったことをご存じだろうか。透視能力を持つ女と称された御船千鶴子と、当時一流の心理学者だった福来友吉が一緒になって巻き起こした「千里眼騒動」である。この二人はその後、どんな人生をたどったのだろうか。

姑との折り合いが悪く婚家を出る

御船千鶴子という女性は、人気ホラー小説で映画にもなった『リング』において、超能力を持つ少女貞子の母・山村志津子のモデルである。一方、同作品で超能力研究者として登場する伊熊平八郎は福来がモデルという。

まず福来友吉は、催眠術の研究に本格的に取り組んだ日本最初の心理学者とされている。明治二年(一八六九)十一月三日、岐阜県高山市で呉服屋の次男として生まれた。

早くから商人になることを嫌い、学門で身を立てることを誓った福来は、仙台第二高等学校を経て、東京帝国大学に入学。三十歳で同大学の哲学科を卒業、三十七歳のときには同大学大学院心理学科を卒業する。そして明治四十一年(一九〇八)九月、三十九歳で東京帝国大学助教授となる。なお、三十七歳のときに著した『催眠術の心理学的研究』で文学博士号を授与されている。

そんな順風満帆たる学究生活を送る福来が、熊本県に住むかつての教え子から、御船千鶴子の存在を知らされたのは四十一歳のときだった。千鶴子は、様々な透視能力を発揮し、熊本県内では千里を見通す眼を持つ女、すなわち千里眼の持ち主として評判になっているというのだ。

御船千鶴子は明治十九年(一八八六)七月十七日、現在の熊本県宇城市不知火町で生まれた。父は漢方医だった。生来、難聴というハンデを抱えていたせいか、幼時期から勘が鋭く、一方で繊細な傷付きやすい性格だったという。

二十二歳のとき、陸軍軍人と結婚するが、すぐに不縁となり実家に戻っている。その原因をつくったのは皮肉にも透視能力だった。ある日のこと、夫の財布から五十円というお金がなくなり、姑が大切にしている仏壇の引き出しにそのお金が入っていることを、ピタリと言い当てる。

姑は、嫁から泥棒呼ばわりされたと騒ぎ立て、あげくには自殺未遂を起こしてしまう。この出来事によって婚家には居辛くなり、実家に戻ってしまったのである。

炭鉱の場所を言い当て大金を得る

その後の千鶴子は、姉夫婦が経営する治療院で働きながら、透視能力を使った治療を始める。患者の病気を正確に言い当てたり患部に手をかざすだけで治したりと千鶴子の超能力は一層磨きがかかっていった。その噂を聞いて各方面から透視の依頼が舞い込んだ。

そうした依頼の中で最も成功したのが、万田炭鉱(熊本県荒尾市)の発見であろう。このとき千鶴子は謝礼として現在のお金で二千万円もの大金を三井合名会社からもらっている。

そんな千鶴子の超能力にいたく興味をそそられた福来は、京都帝国大学の今村新吉教授を誘って熊本に出向くと、千鶴子の姉の家で透視実験を行った。このとき千鶴子は、茶壺に入った名刺の文字を言い当てることに成功している。明治四十三年四月十日のことだった。

千鶴子の透視能力が本物であると確信した福来は東京に戻ると、ただちに実験結果を心理学会で発表した。大新聞にも取り上げられ、千鶴子の名は透視能力者として一躍全国に広まった。当然、肯定派と否定派の間で論争が巻き起こったが、同時に全国から千鶴子のもとに透視依頼が殺到したという。

日増しに熱を帯びる真贋論争はやがて、公開の場で決着をつけるしかないということに落ち着き、同年九月十四日の公開実験に至るわけである。

当日の実験は、物理学の権威で東京帝国大学の元総長山川健次郎博士が立ち合いのもと、学者やマスコミが見守るなか行われた。その内容とは、両端をハンダ付けした鉛管に入った紙の文字を透視するというものだった。鉛管は二十個用意され、この中から一つが選ばれ、千鶴子の手に渡された。鉛管を採用したのは万が一のエックス線探知を防ぐためだった。

「学界の大恥辱」と攻撃を受ける

千鶴子は透視を行う間、屏風の陰に居て周囲の視線から身を隠していたが、やがて屏風から出てくると、紙に書かれた文字は「盗丸射」の三文字であると告げた。そこで、山川博士が鉛管を受け取り、ハンダを溶かして中の紙をあらためると、確かに「盗丸射」とあった。

「ほおーっ」と、周囲から太い溜息がもれた。しかし、当の山川博士だけは浮かない表情である。なぜなら、自分が用意した二十個の鉛管の中に「盗丸射」と書かれた紙はなかったからだ。

のちに「盗丸射」の鉛管は、前日に福来から練習用にと渡されたものだったことが判明する。千鶴子の言い分はこうである。

実験当日、福来からもらっていた鉛管を「お守り」として懐にしのばせていた。いざ実験が始まり、山川博士から手渡された鉛管の透視を試みたがうまくいかず、かわりにお守りのほうを透視したところ成功したので、そちらを提出したまでのこと──と、自分からすり替えをあっさり認めたのである。

この実験結果に対し翌日の新聞には否定的な論調の記事が載ったことは言うまでもない。

その後、福来と千鶴子は透視実験を繰り返したが、福来が思ったような好結果はついに得られなかった。そうなると、二人に対する世間の風当たりはますます強くなっていった。このころ、福来は「念写」にも取り組み、香川県丸亀市に住んでいた長尾郁子という女性と行った実験で成功したことを発表したが、もはやそのことを好意的に取り上げてくれるマスコミはなかった。

翌明治四十四年の正月を迎えたころには、福来と千鶴子に対する新聞のバッシング報道はピークに達した。それまで超能力に理解を示していた東京朝日新聞でさえ紙面には「学界の大恥辱」などという文字が躍るようになっていた。

親族間の板挟みで悩んだ末に…

そんななか、衝撃的なニュースが福来のもとに飛び込んでくる。正月十八日、千鶴子が、染料などに用いられる重クロム酸カリウムで服毒自殺を遂げ、翌日未明に死亡したというのである。

千鶴子は臨終に際し、「遺言はないか」と聞かれ、「何も申し上げることはありません」と答えたという。二十四歳の若さだった。

自殺の理由について本人は人に語ったり書き遺したりしなかったが、一般には新聞や世間からの批判に耐えきれなくなった末の衝動的行為ととられた。しかし、地元ではそれと違う見方がまことしやかに囁かれていた。

すなわち「親族間の不和」である。千鶴子が働くようになって姉夫婦の治療院は繁盛し、夫婦は思わぬ大金を手に入れた。それを妬ましく思ったのが千鶴子の実父で、彼もまた娘を利用して一儲けを企んだ。その結果、両者の間で千鶴子をめぐっての綱引きが始まり、それに耐えきれなくなって自殺を選んだというのである。

自殺の理由を周囲の人に語り遺さなかったことを考えれば、どうやら本当の原因はこの親族間の不和にあったとみるほうが合理的だ。

それにしても、この自殺によって千鶴子の透視能力の真贋を確認するすべが永遠に失われたのはいかにも残念なことだった。しかも、福来にとっては千鶴子と並んで大事な被験者の一人だった長尾郁子が、千鶴子が亡くなった翌月の二月二十六日、病気で急死してしまい、福来にとっては透視も念写も実験で証明する手段を失ってしまったのである。

それでも福来は、高橋貞子という新しい被験者を得て、その実験結果を『透視と念写』という一冊にまとめた。これで世間の偏見も改まるだろうと考えたのもつかの間、学長の上田萬年から呼び出しを受け、その本が「東京帝国大学教授として内容的に好ましくない」と注意を受ける。

仙台で超心理学の研究所を開く

自分の研究を否定されては、もはや大学に居場所はなかった。福来は大正四年(一九一五)十月、四十六歳で東京帝国大学を去る。公的には休職扱いだったが、追放同然であった。このころの福来は超常現象の研究に没頭していたため、世間から「お化け博士」とか「幽霊博士」とか言われ、変人扱いされていたという。

福来はその後、真言宗系の高等女学校校長、高野山大学教授などを歴任。その間、超心理学や超常現象に関する研究を続けたことは言うまでもない。高野山大学教授には昭和十五年(一九四〇)、七十一歳までその任にあった。

昭和三年(一九二八)、五十九歳のときにはロンドンで開かれた超常現象に関する国際会議(四十二カ国参加)に出席、「透視と念写の実験」と題して研究成果を発表し、東洋を代表する超心理学者として欧米の研究者から高い評価を受けている。また、この会議をきっかけに、それまでの著作が英語やオランダ語に翻訳され欧州で出版されてもいる。まさにこのあたりが福来の人生の絶頂期であったはずだ。

高野山大学を辞した後、太平洋戦争に突入し米軍の空襲が激しくなると仙台に疎開する。そこで、超心理学に興味を持っていた詩人土井晩翠や細菌学者志賀潔らの協力を得て「福来心理学研究所」を設立、ますます独自の研究にのめりこんでいく。

しかしながら、戦後を迎えても福来の研究が報われることはついになかった。昭和二十七年(一九五二)三月十三日、肺炎で死亡する。享年八十三。最期は妻多津子が看取った。

こうして日本の超心理学の権威は亡くなったが、福来の生前の研究が超常現象に傾倒しすぎたきらいがあったことは否めないだろう。そのせいで福来は没後、日本の臨床心理学の研究が欧米に比べて遅れてしまう原因をつくった張本人と言われることになるわけである。

 

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歴史の闇には、まだまだ未知の事実が隠されたままになっている。その奥深くうずもれたロマンを発掘し、現代に蘇らせることを使命としている研究グループ。

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