秀吉になりきって巡る「中国大返しの旅」~①岡山城から備中高松城へ【旅する日本史】

秀吉

歴史は人々の営みによりつくられ、人々の営みは人々の足跡によりつくられる。一つの史実に沿って、歴史上の人物が歩んだ足跡を巡る旅のプランを提案する新連載『旅する日本史』がスタート。史実の英雄になったつもりで、あるいは参謀役になったつもりで時系列に沿って史跡を辿ることで、あたかも自分が歴史の目撃者になったかのような旅を体験できます。今回は、羽柴(豊臣)秀吉が明智光秀を討つべく畿内に舞い戻ったという「中国大返し」の旅の前半。それでは今から、歴史上の人物とともにタイムスリップに出かけましょう!
「中国大返し」までの流れ

中国大返しを行うきっかけとなったのが秀吉の「中国攻め」。戦国最強の大名である武田氏を天目山の戦いで滅ぼした織田信長は、いよいよ本格的な全国統一に向かう。

全国統一の第一歩として信長が狙いを定めたのが、当時中国地方の覇者であった毛利氏。この毛利氏、一介の国人から中国地方の覇者にまで上り詰めた、まさに下剋上を地で行く強者。この手強い毛利氏を攻略するため、信長が白羽の矢を立てたのが羽柴秀吉だった。

1582年(天正10年)3月

羽柴秀吉は2万の兵を率いて姫路城より備前に入り、岡山城の宇喜多秀家1万の軍勢と合流。目指すは備中高松城。

4月

秀吉は宇喜多秀家の軍を先鋒に3万余りの兵で備中高松城を攻める。迎え撃つは備中高松城城主清水宗治。この備中高松城、低湿地を利用した沼城ゆえ、兵も馬も入ることできず、攻め落とすのが非常に難しい。しかも城主の清水宗治は、鉄砲にも騎馬にも優れた武将であることに加え、毛利氏への忠誠が非常に厚く、秀吉の降伏の誘いにも乗ってくる様子がない。さすがの百戦錬磨の秀吉も、苦戦を強いられることになる。

秀吉は、主君織田信長に対して援軍を送るよう要請。これに対して信長は、明智光秀の軍を送ると返答すると同時に、一刻も早く備中高松城を落城させよと命じる。ここで秀吉の参謀役、黒田官兵衛がこう進言する。

「水で苦しめられているのならば、水で苦しめるのがよかろう」

これを聞いた秀吉、備中高松城の水攻めを決断。早速堤防工事に着手させる。 備中高松城を流れる足守川の水をせき止めるべく築かれた堤防は、全長4キロ、高さ8メートルの大堤防。この大工事をわずか12日間で完成させてしまうのだ。

しかも季節はちょうど梅雨。堤防の完成と同時に大雨が降り、せきとめられた水は備中高松城へと押し寄せる。かくして備中高松城は孤立した島と化し、これによって兵糧の補給が絶たれたうえに、水は城の内部にまで浸水する有様。さすがの清水宗治の軍勢も絶体絶命のピンチ。

5月

ここで動き出すのが毛利輝元。備中高松城の清水宗治を救うべく兵を進める。しかし秀吉が作った堤防の前に、毛利輝元の軍勢は前に進むことができず、備中高松城を眼前にして身動きが取れない状態に。さらに本能寺では織田信長が備中に赴くべく準備を進めているとの情報も入り、毛利輝元は刻一刻と厳しい状況に追い込まれていく。

そこで秀吉は、毛利氏に対して和睦を持ちかける。毛利氏の示した条件は「備中・備後・美作・伯耆・出雲の5国割譲」。しかし秀吉は、その条件に「清水宗治の切腹」を付け加えたため、交渉は暗礁に乗り上げる。

このような中、6月2日の未明、本能寺で信長が自害に追い込まれてしまった―。

歩いて築堤の長さを体感する

それではこの旅の起点である備中高松城へと向かうとしましょう。

もし本格的に秀吉の足跡をたどりたいのでしたら、姫路城を出発点として山陽新幹線の姫路駅から1駅先の岡山駅へ、岡山駅を降りたら岡山電気軌道に乗って岡山城に向かい宇喜多秀家の軍勢と合流、と洒落込んでみるのも面白いかと思います。

備中高松城で秀吉気分で兵糧を喰らいたいということでしたら、岡山駅で駅弁を買ってみてはいかがでしょうか(駅弁については後述)

備中高松城へは岡山駅からJR 吉備線に乗って5駅目の備中高松駅で下車。備中高松駅からは徒歩で8分。時間に少し余裕があるようでしたら、1駅先の足守駅まで行ってそこで下車、足守川を橋で渡り備中高松城まで歩いてみてもいいかもしれません。

このルートは、まさしく秀吉が水攻めのために築いた堤防に沿って歩く形。30分ほどで歩けるルートですが、実際に歩いてみるとこれだけの長さの堤防をわずか12日間で築いたという秀吉の凄さに驚かされます。

このまま備中高松城へ向かうと思うとそうではありません。これは偉人の足跡をたどる旅でした。この段階で、まだ秀吉は備中高松城には入っておりません。私たちだけ入るわけにはいかないのです。

まずは、備中高松城と向かい合う位置にある石井山に向かいましょう。先ほどの足守川からこの石井山の辺りまで秀吉は堤防を築いたわけです。石井山の麓には蛙が鼻という堤防の東側の跡地もありますので、ここも秀吉と一緒に堤防の視察をする気分で訪れておきたいところです。

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秀吉は足守川からの水流を築堤で堰き止めることで備中高松城を水攻めにした

石井山の奥には太閤石という石があります。太閤秀吉が座った石だと言われているので、さっそくこの太閤石の前で、羽柴秀吉・黒田官兵衛とともに信長自刃の一報を聞くといたしましょう。

6月3日[石井山] 信長自刃の一報

この日の深夜、秀吉方が捕らえた一人の密使。実は明智光秀が毛利輝元に派遣した使者であることが判明する。

使者の持っていた密書には「信長公が明智光秀に討たれた」という驚くべき内容。秀吉は驚愕するが、気を取り直して黒田官兵衛と合議をする。

この時、黒田官兵衛「今こそ天下を取るべき時でございます」と秀吉に進言したという言い伝えがあるが、この場所に立っているとその黒田官兵衛のささやきが聞こえてくるかのよう。

合議の結果、秀吉は毛利氏と和睦し、いち早く明智光秀を討つことを決意。いつ毛利輝元の耳に「信長が討たれた」との情報が入るかわからないため、毛利氏との和睦に時間をかけているわけにはいかない。敵に弱みを見せてしまえば、この計画は台無しに。まさしく綱渡りの和睦交渉。

6月4日[備中高松城] 毛利氏と和睦

翌日、秀吉は毛利氏に対し「3日以内に和睦するなら、5カ国割譲のところ3カ国の割譲で許そう。また清水宗治の首と引き換えに城内の兵の命も保障しよう」と大幅に譲歩。

毛利氏は信長が来たら勝ち目がないと悟っていたため、この3カ国の割譲を受け入れることに。

言い換えると、信長が亡くなったことを知られれば、毛利氏の態度も変わることが必定。一方の清水宗治も「家臣の命が救われるなら私の命など惜しくはない」と切腹を決意する。

実は見どころが多い備中高松城

太閤石から備中高松城を眺めた後は、いよいよ備中高松城へと向かってまいりましょう。石井山を下りるとごうやぶという史跡があります。

ここは清水宗治の切腹前、宗治の草履取だった七郎次郎と、宗治の兄の馬の口取りだった与十郎が「宗治公にお供します」と二人で刺し違えたとされる場所。「名君には忠義の家臣あり」を示す史跡。

そして清水宗治自刃の場へ。6月4日午前10時、清水宗治は兄の僧月清とともに備中高松城から小舟に乗でこの地に向かい、秀吉の見ている前に小舟を止め、船上で一舞い。

「浮世をば 今こそ渡れ 武士の名を 高松の苔に残して」

という辞世の句を残し、その場で切腹を果たすのでした。

これを見た秀吉は、「宗治こそ武士の鑑である」と褒め称え、礼を尽くして宗治を葬ったと言われております。

 ここまで来て、やっと備中高松城址公園に入るというのが今回の旅の醍醐味。戦いの足跡を時系列で巡っていくことで、あたかも自らが歴史の目撃者であるかのように思えてくるというのが金谷俊一郎の「偉人たちと旅する日本史」。

備中高松城には清水宗治の首塚が、そして少し行ったところには清水宗治の胴塚が残されています。

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高松城址公園内にある清水宗治公の首塚

そして、最後は高松城址公園資料館。ここには高松城の水攻めに関する古地図などが展示されており、今回の旅の前半を締めくくるに相応しい場所といえます。

次回はいよいよ「中国大返し」。秀吉の軍勢は備中高松城から山崎(山城国)までの約230キロメートルをどうやって踏破したのか。お楽しみに!

 

[ここも行っトク!] 造山古墳

せっかくここまで来たのですから、秀吉の中国攻めからさかのぼること1000年、今から1500年ほど前の古墳時代につくられた造山古墳遺跡に行ってみてはいかがでしょうか。備中高松城からは車で10分ほど、歩くと30分ほどの距離。もともと吉備国は、古代から強力な豪族が支配していた地域です。この造山遺跡は日本第4位の規模の古墳で、近畿地方以外では最大のもの。大きさは全長350 メートルで、あの日本最大の大仙古墳が480メートルであるというところからも、造山古墳がいかに大きいかということを実感できます。造山古墳と備中高松城という歴史上重要な場所が目と鼻の先にあるところからも、この地の地政学上の重要さがわかります。

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造山古墳は前方後円墳で、歩いて登れる古墳としては日本一の大きさ

(画像:電子国土Web)
[ここでこの味!]「岡山名物大集合」(岡山駅・駅弁)

岡山駅で私がオススメしたい駅弁は2019年4月に販売開始された「岡山名物大集合」(税込1,180円)。岡山県立岡山南高等学校の生徒さんも開発に関わったという駅弁で、祭ずし、デミカツ、えびめし、きびだんごといった岡山らしいメニューが少しずつ味わえ、お酒のお供にもぴったり! これを持って秀吉・黒田官兵衛と一献傾けるといった風情はいかがでしょうか。ちなみにこちら人気の駅弁なので予約をおすすめします(通常一個からでも予約可能)。

岡山名物大集合

今回のルート

岡山城 → 足守川 → 蛙ケ鼻 → 太閤石(石井山)→ ごうやぶ → 清水宗治自刃の場 → 備中高松城址公園(清水宗治の首塚)→ 高松城址公園資料館

PROFILE
金谷俊一郎

歴史コメンテーター、歴史作家。日本史講師として、30年間東進ハイスクールで数々の衛星放送講座を担当。テレビ・ラジオ番組や各地講演会でも、歴史を楽しくわかりやすく伝える活動を行っている。「試験に出るコント」(NHK)では、放送界の最高栄誉「ギャラクシー賞」選奨を受賞。ハーブセラピスト、駅弁王子の肩書きも持ち、著書は60冊以上。累計300万部を突破。歌舞伎の脚本なども手がけ、自らも舞台に立つ側面も。