50代になったら、「承認欲求」という呪縛から逃れるべき理由

仕事であれ何であれ、頑張ることができるのは「認められたい」という思いがあればこそ。しかし、この承認欲求には際限がありません。政治・教育ジャーナリストの清水克彦氏は、現役生活も後半に差しかかる50代になったら、他者からの承認を求めないことを推奨しています。実際どんな風に心の折り合いをつければいいのか、お話を伺いました。

「上を目指す螺旋階段」をうまく降りるには

私たち人間が競争社会の中で頭ひとつ、ライバルより抜きん出ようとしたり、成果主義の中で、誰よりも高い実績を上げようと努力したりするのは、何らかの形で認められたいという「承認欲求」があるからです。

正直なところ、私だって、お金やポスト、賞賛や感謝といった外的刺激や内的刺激のいずれもがない場合、「仕事を楽しい」と感じたり、「この先も頑張っていこう」と思ったりする気持ちが失せます。これが「承認欲求」の怖いところです。

報道ワイド番組のチーフプロデューサーとして数十人のスタッフを率いてきた私は、

「ここを乗り切れば少しだけどギャラを上増しするね」
「さすが〇〇さんだ。仕事が早い!」

といった言葉でメンバーを鼓舞したものですが、これはある意味、「承認欲求」につけ込んだ搾取のようなものです。

そんな私自身も、上司から「聴取率で1位になれば経営側の評価もぐっと良くなるから」などと言われ、「承認欲求」の搾取に乗せられる形で過酷な戦いを続けてきました。

ただ、「承認欲求」は極めて始末に負えないものです。

報われなければやる気が失せ、報われればもっと欲しくなります。欲求はエンドレスだけに心身ともに疲弊し、本当にやりたいと思っていることも犠牲にしかねません。

ですから私は、在京AMラジオ局で聴取率1位を続けられるようになったのを契機に、上を目指す螺旋階段から降りることにしました。その降り方は、次のようなものです。

・「認められる」というのは他人の物差しによるもの。これを「自分としては満足」という自分の物差しに替えてみる。
・「腹八分に医者要らず」。燃え尽きる手前で惜しまれてやめる。まだまだ活躍できそうなトップアスリートが「自分らしいプレーができなくなった」と引退するような感覚。

50代のように、現役生活も後半に差しかかっている年代は、そろそろ他者からの「承認」を追い求めない生き方、もっと言えば、「会社での肩書、周りからの評価=自分という人間の価値」という幻想から自らを解放し、周りがどうであれ、

「本当にやってみたいことは何か」
「これからの自分には何ができるか」

たとえばこのように、自分の奥底に流れる鉱脈を見つけ、今後の生き方の「軸」を定めて成熟を目指す時期です。

孔子が『論語』(金谷治訳注、岩波書店刊)の中で語っているように、「五十にして天命を知る」を実践すべき年代なのです。

なぜ「手放す」ことは困難なのか

上司や同僚、家族や友人などから認められれば、報酬やポスト、賞賛や感謝といった有形無形のさまざまなものが得られます。たとえ結果が伴わなくても、ねぎらいや励ましの言葉を受けると、無力感や徒労感から救われるものです。

だからこそ、「承認欲求」を満たすことは、人がいきいきと生きていくうえで最強のビタミン剤となるわけです。

ところが、「承認欲求」が満たされると、それまでに得てきた報酬やポスト、賞賛や感謝、さらに言えば、期待や要望などから逃れられなくなります。

「高い給料をもらっているんだから、あれくらいの実績を上げて当然」
「東大を出ているんだし、経験もあるから、きっとやってくれる」

周りからの期待値も上がるため、それに応えようとし、さらに高い次元の「承認欲求」を求めるというスケベ心も芽生えるからです。まさに呪縛のようなものです。

2017年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの行動経済学者、リチャード・H・セイラーは、「手放すのは惜しい」という感情を「保有効果」と名付けました。

「保有効果」とは、身の回りのものを整理する「断捨離」の際にも実感することですが、現在所有しているモノの価値について、それを所有していないときよりも高く感じ、誰かに譲ったり捨てたりすることが難しくなるというものです。

これを仕事に置き換えると、これまで、それなりの役職に就いている人は、その役職が、本人が望んで就いたポストではなかったとしても、組織のスリム化に伴う部署の統廃合や若返り策などによって奪われるとなると、「手放すのは惜しい」と感じ、強い抵抗を感じてしまうということです。

私も、チーフプロデューサーという報道現場の要職を降りる決断をしてから、実際に降板するまで1年近くかかりました。

「降りれば楽にはなるけど、自分の能力を発揮する場がなくなる」
「おそらく減収になるし、感性が違うB君が後任になる。そんな中で働くのは嫌だ」

こんな思いが交錯し、逡巡する期間が続いたものです。

私の場合、最終的には「どのポジションにいても発信はできる」と納得させ、降板に踏み切りました。

一度、腹をくくり、降りてしまえば、「さあ次だ」という気持ちになります。降りる勇気さえあれば、案外、うまく転がっていきます。

資産と負債を「見える化」しよう

しかし、際限がない欲求の呪縛から降りたとして、失いかねないものが主に3つあります。

ひとつが「権限・権力」。そして「自己肯定感」。さらにもうひとつが「これまでの年収」です。

このうち、「権限・権力」は、指揮や指導する立場ではなくなり、「あの人はもう部長ではなくなった」「チームのリーダーではなくなった」と、少なからず人心の離反を招く恐れがあるということです。

たとえば、部長という職位は、「営業部」や「企画推進部」といった部署の大統領です。相応の予算と部下をどう配置するかといった人事権を掌握する絶対権力者です。

私も降りる前は、報道ワイド番組や全国ネット番組を率いる大統領として、コメンテーターなどを含めれば、延べ50人の人事権と相応の予算執行権を握っていました。

この地位を手放せば、当然、何の権限も権力もなくなりますが、そこは覚悟のうえで降りたのなら大きな問題はありません。権限や権力と引き換えに自由な時間など得るものもたくさんあります。

2つ目の「自己肯定感」は、会社での職位や職場での立場=自分の価値、と考えてきた人にとっては、一定期間、気が抜けた感覚に陥るかもしれません。

ただ、これも、

「自分には、部長とかチーフといった肩書では測れない価値がある」

と気づくことができれば、再び意欲が湧いてくるはずです。

問題は、3つ目の「これまでの年収」です。

管理職を降りると、多くの場合、収入はダウンします。

50代を中心に40代後半から60代前半と言えば、子どもはまだ大学生、住宅ローンも残っているというケースが多く、セカンドライフや定年後の生活を考えれば、どのくらい資産があるのか、ざっとでも「見える化」しておくことをおすすめします。

次の田中家の場合は、(資産─負債)で1500万円が総資産ということになります。

講演に呼ばれて驚かされるのが、預貯金の総額すら正確に知らない人が意外に多いという点です。特に男性にその傾向が顕著です。

私たちが使えるお金は、主に労働収入、資産、社会保障です。

このうち、年金に代表される社会保障は、先々どうなるか心もとなく、降りたことに伴い労働収入も目減りするとなれば、資産を把握しておくことは大事です。

現金、預貯金、不動産、株式や投資信託、生命保険などの保険、あるいは個人年金、貴金属、ゴルフ会員権、美術品や骨董品、趣味の収集品など、どれくらいあるのか、そして通帳などはどこに置いてあるかなど夫婦間で共有しておきましょう。

これは、今後の生活への備えというだけでなく、地震や豪雨など自然災害に備えるという面でも役に立ちます。

 

PROFILE
清水克彦

政治・教育ジャーナリスト/大妻女子大学非常勤講師。1962年愛媛県生まれ。京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。
文化放送入社後、政治・外信記者を経て米国留学。帰国後、ニュースキャスター、大学講師、南海放送コメンテーター、報道ワイド番組チーフプロデューサーなどを歴任。現在は、文化放送報道デスク、京都大学現代政治研究会研究員、学びの未来研究所研究員。政治、生き方、子育てをテーマに執筆や講演活動も続けている。
著書は、ベストセラー『人生、勝負は40歳から!』(SB新書)、『40代あなたが今やるべきこと』(中経の文庫)、『頭のいい子が育つパパの習慣』(PHP文庫)のほか、『ラジオ記者、走る』(新潮新書)、『安倍政権の罠』(平凡社新書)、『すごい! 家計の自衛策』(小学館)ほか多数。
公式ホームページ http://k-shimizu.org/

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