活気がない新宿の超高層ビル街を復活させる「たった一つの方法」

「新宿」と聞いて、あなたはどんな景色を思い浮かべるだろうか。紀伊國屋書店、ビックロ、伊勢丹新宿本店と続く、新宿通りのショッピング街、新宿歌舞伎町の毒々しいネオン――。だが、何より「超高層ビルが屹立する西新宿副都心」をまっさきにイメージする人も多いだろう。この新宿高層ビル街は、多くが竣工から50年を経過して、他都市の最先端オフィスビルからは大きく見劣りするようになってしまった。どうすれば新宿高層ビル街を復活させることができるのだろうか? 都市政策の大家である市川宏雄氏が解説する。

淀橋浄水場跡地に誕生した西新宿超高層ビル群

1970年代まで、新宿駅西口はなかなか栄えなかった。その理由は、駅から歩いてほんの5分ほどのところに、淀橋浄水場という巨大な施設が長年居座っていたからだ。

東京都民にきれいな水道水を供給するために淀橋浄水場が建設されたのは1898年(明治31年)のこと。以来、この浄水場は1日24万立方メートルの上水を都民に供給し続けてきたのだ。

1961年ころの新宿駅近辺。西側に淀橋浄水場、東側に新宿御苑が見える。

だが、新宿駅のターミナル駅としての重要性が急速に高まるにつれて、駅前の大規模な開発が必要だと考えられるようになっていた。そこで、淀橋浄水場を移転し跡地を市街地として整備する「新宿副都心計画」が策定された。

この計画を受けて、新宿副都心建設公社が発足。新宿副都心建設の起工式が行われたのは1964年(昭和39年)2月10日だ。この時点から、その後の西新宿超高層ビル群の建設が実質的にスタートする。

超高層ビルが続々と出現した1970年代から80年代にかけて、西新宿一帯の外観はさながら未来都市のようだった。超高層ビルがこれほど高密度に建っている地区は日本中どこにもなく、当時は新宿こそが東京で(あるいは日本で)最も先進的な地域だと誰もが考えたはずだ。

しかし、今日の街づくりの観点から見ると、この西新宿超高層ビル街のつくり方は明らかに失敗だった。ひと言でいえば、自動車社会(モータリゼーション)を意識しすぎた構造だったために、人々が自由に行き来できる動線をつくれなかったのだ。

まず第一の失敗は、人々の憩いの場になるはずの新宿中央公園を駅から最も離れた場所に配置したこと。この配置では、駅から歩いていくには遠すぎる。また、超高層ビル街で暮らし働く人々も、休憩時間にわざわざ駅から遠い方向に歩いていくとは考えにくい。

西新宿超高層ビル群

結果的に、人々の集まりにくい公園になってしまった。公園をエリアの中央に置き、周囲のビル群がこの公園を囲むように配置されていたら、状況はかなり変わっていたはずである。

第二の失敗は車道を優先しすぎたことだ。計画段階の1960年代初頭においては、日本もアメリカのようなクルマ社会になることが想定されたようだが、実際にはそうならなかった。土地が狭く、地価が高く、公共交通機関が充実している東京においては、移動手段として「徒歩+電車やバス」を利用する人が圧倒的に多い。

こうした実情から見れば、超高層ビル街の車道は明らかに道幅が広すぎる。実際にはあまり自動車が走っていないので、無駄に広すぎるといってもいい。歩行者にとっては、単に道路を横断する負担が大きくなっただけだともいえる。

また、この地区の道路は、もともとあった7mの高低差(浄水場貯水池の底は周辺地面から7m低い)を利用し、かつ混雑を事前に緩和するため、立体交差が多用されている。だが、立体交差が有効に機能するほど、自動車の交通量は多くなかった、結果として、この地区を移動する歩行者は、階段を上ったり下りたり無駄に動くことを強いられている。

逆襲のシナリオ―西新宿の超高層ビル街を再々開発

だからといって、超高層ビルを完全に解体して新たに建て直すのは現実的ではない。膨大な時間と費用がかかるし、各方面への影響が大きい。

だが、新宿の超高層ビル街にとって、いい先例がある。

日本初の超高層ビルである霞が関ビルディングだ。1968年(昭和43年)に地上36階建て、高さ147mで建設された。建築基準法が1963年(昭和38年)に一部改正されるまで、わが国の建築物は高さ31m(百尺規制)までのものしか認められていなかったから、霞が関ビルはそれまでの高さ記録を一気に116mも更新したわけだ。

その霞が関ビルが、三次のリニューアル工事を経て大改修された。1989年(平成元年)〜1994年(平成6年)の第一次改修では、オフィスへのコンピューター導入に合わせてOA(オフィス・オートメーション)環境を整えるため、電源・空調・給水システムのすべてを一新。

1999年(平成11年)〜2000年(平成12年)の第二次改修では、オフィス内の労働環境を改善するため、トイレなど共用部の改修や光ファイバーの敷設などが行われた。

竣工から50年を経た今も先端オフィスビルとして稼働し続ける霞が関ビルディングは、西新宿の超高層ビル群にとってのよい先例となる。

そして2006年(平成18年)〜2009年(平成21年)の第三次改修では、正面入り口付近に1万3000㎡の都市広場を整備するなど、オフィスで働く人にとってのくつろぎや賑わいの場が新設された。

この霞が関ビルのように、ビルとしての営業を続けながら順次改修をしていけば、かなりのところまでのアップデートが可能だ。そうやって超高層ビル群を1棟ずつリニューアル&リノベーションしていけば、全体として5〜10年くらいかかるにしても、西新宿の超高層ビル群が新たに生まれ変われるのではないだろうか。

現状では幅員が広すぎて歩行者を寄せ付けないように見える西新宿界隈の道路にしても、法律や条令を改正して沿道に仮設テントで屋台村をずらりと出店できるようにしたり、クレープ、カレー、エスニック料理などの移動販売車の駐車スペースに活用したりすれば、今まで単に移動経路でしかなかった道路も歩行者で賑わうようになる。

また、すでに実証実験を開始している5Gで動く無人タクシーが実用化されれば、西新宿での人の動きはもっと活発になるはずだ。

視点を変え、発想を切り替えれば、西新宿をもっともっと楽しい街につくり替えていくことは可能だと思う。多くの人たちが「新宿を何とかしよう!」と立ち上がるときこそ、本物の新宿の逆襲が始まるのだ。

 

PROFILE
市川宏雄

明治大学名誉教授。東京の本郷に1947年に生まれ育つ。早稲田大学理工学部建築学科、同大学院修士課程、博士課程(都市計画)を経て、カナダ政府留学生として、カナダ都市計画の権威であるウォータールー大学大学院博士課程(都市地域計画)を修了(Ph.D.)。一級建築士でもある。ODAのシンクタンク(財)国際開発センターなどを経て、富士総合研究所(現、みずほ情報総研)主席研究員の後、現職。日本と東京のこれからについて語るために国内、海外で幅広く活動する他、東京の研究をライフワークとして30年以上にわたり継続している。『東京一極集中が日本を救う』(ディスカヴァー携書)、『東京2025ポスト五輪の都市戦略』(東洋経済新報社)、『山手線に新駅ができる本当の理由』(KADOKAWAメディアファクトリー新書)など著書多数。NHK「特報・首都圏」、日本テレビ系「スッキリ」、TBSテレビ系「ひるおび」、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」などテレビ出演多数。