救いのカギは「のび太の発想力」!? ストレス耐性を高める秘訣

誰しも生きている限りストレスを避けることはできず、快適に過ごすには「ストレス耐性」を高める必要があると言えます。著名な精神科医である和田秀樹先生によると、これからの時代には、「のび太のような発想力」が大切になってくるようです。どういうことなのでしょうか。

「ストレス」はなぜ生まれるのか?

まず、ストレスがなぜ生まれるのか、について考えてみましょう。

たとえば、こんな悩み、多くの人が抱えているのではないでしょうか?「あのパワハラ上司、そばにいるだけでストレスで…」しかし、この言い方は、ストレスというものに対する誤解がひそんでいます。

ここでストレスと呼ばれているのは本来、「ストレッサー」と言われるものです。ストレッサーとは、「人にストレスを与える刺激」のこと。たとえばパワハラ上司、失恋や失業など、ストレスの原因にあたる物事や人物が、ストレッサーです。

一方、「ストレス」は、ストレッサーによって生じた、心や身体の反応のことをいいます。ここで大切なのは、「同じストレッサーでも、強いストレスを感じる人もいれば、まるで感じない人もいる」ということです。ストレスは、その人の感じ方、すなわちストレッサーの解釈の仕方によって大きく左右されます。

これは、ストレスを考える上で非常に重要なポイントです。たとえば、「最近仕事ができるようになったね」と上司に声をかけられて、素直に喜ぶ人と、「じゃあ以前は仕事ができなかったのか…」と落ち込む人がいます。

「女性の話は長い」と言われて傷つく女性もいれば、「女性のほうがものをよく考えるんだから、話が長くなるのは当然でしょ」と余裕しゃくしゃくの人もいます。

ストレスの発生の9割は、その人がどんなスキーマ(刷り込み、思い込み)を持っているかで決まります。他人の目にはほんの小さなストレッサーでも、当人の解釈しだいで、うつ病を引き起こすほどのストレスが生じることもあるのですから。

もちろん、個人それぞれの「解釈の仕方」とは無関係に、どんな人にも大きなストレスを与えるストレッサーもあります。例えば、「トラウマ」と呼ばれるものは、耐え難いストレスを与える強烈なストレッサーが原因で生じます。

戦争体験や虐待はその最たる例ですが、職場で長時間労働を強いられ、睡眠時間もロクにとれない、といった身近なものもあります。

こうしたストレッサーは、脳に直接的なダメージを与えてしまいます。さらには、配偶者や親族や友人の死、失業やリストラ、離婚、自分自身や家族の病気などは、耐えがたいストレッサーとなるでしょう。

しかし、「上司に仕事のミスを注意された」とか「奥さんと口論になった」とか、誰もが経験するようなことでも強いストレスを感じているのだとしたら、それは自分のスキーマに、原因の一つがあると考えるべきでしょう。

ストレス耐性=「ストレスを我慢する力」ではない

本来、ストレス反応というシステムは、人類が野生動物に襲われそうな危機が迫ったときに、交感神経の興奮を促し、「敵と戦うか」あるいは「敵から逃げるか」の非常事態モードになるために作動すると言われています。

つまり、ストレスは私たちに危険を知らせてくれる警告の意味があるのです。

現代の日本では野生動物に突然襲われるようなことはほぼありませんが、そのかわりに「パワハラ上司」や「わがままな取引先」や「クレーム客」という“敵”が現れました。

あるいは、「仕事が納期に間に合わない」とか「満員電車ですし詰め状態」とか「社内での出世競争」とか、非常事態モードにならざるを得ない状況があちこちにあります。危険を知らせてくれる警告が、鳴りっぱなしなのです。

本来は、「危険から身を守るため」のシステムであるストレス反応も、適量を超えて交感神経が働きすぎると、胃潰瘍になったり、血圧が高くなったり、うつ病になったりと、その人にダメージを与えます。

わたしが精神科医として、大前提としてお伝えしたいのは、「ストレスは我慢しない」ということ。ストレス耐性という言葉がありますが、これは文字通りに「ストレスを我慢する力」ととらえてはいけません。

ストレス耐性は、「ストレスから上手に逃げる力」だと、わたしは考えています。

根性論が好きな国民性というべきなのか、日本人はストレスが大きいときに「逃げる」という選択肢を取りたがりません。

ブラック企業で働き続けるのも、いじめられっ子がそれでも学校に通い続けるのも、「逃げ場なんてない」「逃げるのは恥ずかしい」と思い込んでいるためです。

しかし、そんなときは休んでいい、会社や学校をやめていい、精神科にかかってもいい、カウンセラーに相談するのもいいと、「こうあるべき」から逃げる先が用意されていれば、かなりの部分、ストレスは回避できます。

「我慢すべき」という不合理なスキーマを捨てて、「つらいときは逃げてもいい」という新たなスキーマに置き換えてみる。行動しなくとも、そんな風にスキーマを書き換えるだけで、だいぶ、気持ちもラクになるでしょう。

これからの時代に必要なのは、「のび太」のような発想力

スキーマは、時代によってコロコロ変わるものでもあります。また1つのスキーマにとらわれて前例から抜け出せないでいたら、個人も社会も発展は望めません。

時代の変化とともに、移り変わるスキーマの例を挙げ始めると、いくらでもでてきます。

例えば、江戸時代までの日本は、性的に奔放な国だったことで知られています。性を恥ずかしいものとして扱い始めたのは明治以降のこと。それ以降は、処女性をありがたがるような文化に変わっていきます。

すべてのスキーマが悪だとは言いませんが、本来もっと自由にストレスなく生きられる私たちが、わざわざスキーマに縛られるのはもったいないと思うのです。

また、旧態依然としたスキーマにいつまでも縛られていると、「時代遅れ」との批判にもさらされてしまいます。

「男尊女卑」のようなスキーマを持っている人がいまだにいますが、女性の社会進出が進む現代には、明らかにふさわしくないスキーマです。「女性の話は長い」と発言した森喜朗元首相のように、即刻、社会的地位を失いかねません。

スキーマはいわば、情報処理の「型」です。型があるから、あれこれと迷わず、すばやく答えが出せるというのがスキーマの利点ですが、その「型」が硬直化し、ほかの答えが出せなくなると、時代の変化にもついていけないのです。

では私たちはスキーマとどう付き合っていけばいいのでしょう。そこで思い出されるのが「ファジーコンピュータ」です。0か1かしか扱えなかったそれまでのコンピュータとは違い、0か1かでは割り切れない、数値化しにくい曖昧な表現を扱うことのできるコンピュータとして、登場したころは大きな話題となりました。

人間もファジーコンピュータのように、答えを白か黒か決めつけず、あれもある、これもあるというふうに「ファジーな答えも出せる」というのが理想です。

ITの時代からAIの時代に移り変わり、それはますます必要になってくる考え方だと私は思います。

ITの時代は、人間がITに合わせる必要がありました。つまり人間がITの使い方を学ばないといけない。

AIの時代はその逆です。AIのほうが人間に合わせてくれるのです。人間がうまくオペレーティングできなくても、AIが人間のニーズをくみ取り、レコメンドしてくれます。

そんな時代の、人間の役割は「AIにさまざまな命令ができること」ではないでしょうか。さまざまな命令をするには、発想が柔軟で、いろんな可能性を想像できる力が必要です。つまり、ひとつのスキーマにとらわれない、ファジーな考え方です。

AIロボットのドラえもんではなく、スキーマに縛られない要求ばかりしてドラえもんを困らせる、のび太くんのような発想力が大事になってくる、ということです。

 

PROFILE
和田秀樹

1960年大阪府生まれ。精神科医。東京大学医学部卒業後、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学)、川崎幸病院精神科顧問、和田秀樹こころと体のクリニック院長。著書に『六十代と七十代 心と体の整え方』(バジリコ)、『感情的にならない本』(新講社)、『「脳が老化」する前に知っておきたいこと』(小社刊)など多数。