たった一つの駅弁で巡る伊達家の足跡【旅する日本史・番外編】

「JR東日本クロスステーション」の弁当情報サイトより
今回は「旅する日本史」の番外編として、“一つの駅弁から日本史に思いを馳せる”というテーマでお届けします。ある駅弁と地図を片手に、伊達家の歴史をたどりながら伊達政宗ゆかりの地を廻ってみましょう。実際に辿るルートもご紹介していきますので、自由に旅ができるようになりましたら、ぜひとも訪れてみてはいかがでしょうか。

すべての食材が伊達家の歴史を物語る

今回紹介いたしますのは、2017年に伊達政宗公生誕450周年を記念して作られた「政宗公御膳」。こちらの政宗公御膳、仙台駅はもちろん、東京駅構内にありながら全国各地の駅弁を購入できる「祭」という販売店にも置かれています。

駅弁の掛け紙に描かれた文様は、伊達家が政宗公の頃から用いていた九曜紋。九曜とは、日・月・火・水・木・金・土の七曜星に、羅睺らご計都けいとを加えたもので、陰陽道ではこの九曜を人の生まれた年に当てはめ、運命や吉凶を判断していました。

この九曜の九にあやかって、政宗公に関わる地域ゆかりの食材が9種がちりばめられているのです(駅弁の容器も九曜紋を模しています)。

それでは、伊達家の歴史に沿ってこの駅弁を食していくことにいたしましょう。

一、いか人参

まずは、一見仙台と縁のない料理に見える「いか人参」から。

こちらは福島県北部の郷土料理です。福島県北部には伊達郡という地名があり、実はここが伊達家発祥の地なのです。その縁から、当地の郷土料理を入れているわけです。

偉人にちなんだ駅弁というと、地元の名産ばかりが並べられる傾向があるのですが、このようにあえて福島の名産を入れてくるところにこの駅弁のこだわりを感じます。

歴史
伊達氏の始まりは、鎌倉幕府が成立して間もないころのこと。源頼朝が奥州藤原氏を倒すべく進軍した際、従軍したのが常陸入道念西。この常陸入道念西、石那坂の戦いで奥州藤原氏の軍勢を討ち取った功績で頼朝から伊達郡の地を与えられ、伊達朝宗と名乗ったのが伊達氏の始まりとされています。


石那坂の戦いが行われた場所には諸説あり、今となっては正確にはわかりません。しかしこの辺りには「石那坂古戦場跡」と書かれた石碑があります。

これは明治時代に建てられた石碑で、この近辺から甲冑などが発見されたことからここが古戦場跡ではないかと建てられたのですが、その後の調査でこれらの甲冑は古墳時代のもので、古墳から出てきた副葬品であることがわかりました。

だからといってこの辺りに見所がないわけではありません。東北新幹線の福島駅から阿武隈急行で14分ほど行ったところに高子駅があります。高子駅を降りて8分ほど歩くとあるのが「高子岡城」。前述した伊達朝宗の居城で、伊達氏発祥の地です。

また周辺には伊達市ゆかりの場所も多く、地元の自治体では「政宗ダテニクル」というアニメも制作しておりますので、楽しく見て回るところはたくさんございます。

二、ずんだ白玉団子

ニ番目に甘味というのは少し抵抗があるかもしれませんが、もちろん駅弁を食すときにはデザートとして最後に食べていただいてかまいません。

みなさんもご存じの通り、ずんだ餅は仙台藩の郷土料理。でも、実は「ずんだ=枝豆」ではありません。つぶした枝豆のことを「ずんだ」と言うのです。政宗公は、出陣の際、枝豆を陣太刀でつぶして食していたというエピソードがあります。

歴史
伊達政宗は、1567(永禄10)年9月5日、 出羽国米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗てるむねの嫡男として生まれた。1567年というと、織田信長が稲葉山城の戦いで斎藤龍興を破った年。その翌年には織田信長は将軍足利義輝を立てて京都に入ります。

すでに信長・秀吉・家康は天下取りへのスタートを切っていたわけですから、伊達政宗がもう少し早く生まれていればと思いを馳せてしまうのは仕方のないところ。

伊達政宗はこのあと25歳までこの米沢の地ですごすことになります。


ずんだ餅というと仙台のイメージが強いかもしれませんが、ずんだそのものは東北南部を中心とした伝統料理です。

伊達政宗公の生まれた米沢の地では「じんだん餅」と呼ばれることも多いです。 ここでオススメしたいのは「峠の力餅」のじんだん餅。「峠の力餅」は明治時代から奥羽本線峠駅で発売されている昔ながらのあんころ餅です。

鉄道マニアに人気の逸品ですが、私たちは史跡巡りがメインなのでこちらの「峠の力餅」の米沢支店で、「じんだん餅」を頂くといたしましょう。

高子岡城からは、高子駅から福島駅に戻ってもらって山県新幹線で一駅の米沢駅を下りそこから3分ほど歩くと「峠の力餅」の米沢支店があります。

三、岩出山凍み豆腐の煮物

次に登場するのは凍豆腐。こちらは岩出山の郷土料理。岩出山は、政宗が仙台城に入るまでの12年間、政宗の拠点となった場所です。

現在の凍豆腐は江戸時代後期にアレンジされたものなので、伊達政宗が当時食べたものとは異なるかもしれませんが、この地域は古くから豆腐の生産地としても有名です。

歴史
豊臣秀吉が天下統一を果たしたころ、陸奥では大規模な一揆が起こっていました。 これを「葛西大崎一揆」といいます。

伊達政宗はこの一揆を平定したのですが、秀吉の耳には伊達政宗がこの一揆の首謀者であるという情報が耳に入ります。

伊達政宗は早速上洛して疑いを晴らそうとするのですが、結果として伊達政宗は、1591(天正19)年、米沢城72万石の大名からこの岩出山城 58万石の大名に減封されてしまうわけです。

この後、1601(慶長6)年に仙台城に入るまでの12年間この岩出山城で伊達政宗は過ごします。


岩出山城跡には、米沢駅から福島駅に戻っていただいて福島駅から東北新幹線に乗り2駅目の古川駅へ。古川駅からは陸羽東線に乗って6駅目が有備館駅。そこから13分ほど歩くと岩出山城跡に到着いたします。

ここは仙台とは異なり非常に静かな場所。風情があり旅をするには良いところですが、大きな志を持った伊達政宗としては、この状況を何とか切り開きたいと思っていたであろうことが想像できます。

四、鮭の仙台味噌焼き

仙台味噌で焼いて食べる鮭は仙台の郷土料理として昔から親しまれております。実はこれ、将軍家にも献上されていました。仙台藩から献上されていたのは、塩引きにした鮭の腹の中に塩漬けにした卵を籠めた、子籠鮭こごもりざけというもの。これを仙台味噌で焼いていたのです。

駅弁の中身は残念ながら子籠鮭ではありませんが、仙台味噌で鮭を食べる美味しさに舌鼓を打ってもらえればと思います。

歴史
1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いが終わると伊達政宗は徳川家康の許しを得て居城を仙台城に移し、仙台藩62万石の初代藩主なりました。

加賀前田氏、薩摩島津氏に続く大大名となったわけです。 仙台城は青葉山に囲まれた自然の要塞となっていますが、江戸時代になると防御の側面だけではなく城下町としての要素もなければいけません。

ここから伊達政宗は大規模な城下町建設に入っていくのですが、この城下町建設で多額の資金が必要となった伊達政宗は、スペインとの貿易を計画し始めます。


それでは、伊達政宗とともに岩出山城から仙台城に向かうといたしましょう。 有備館駅から古川駅まで戻っていただいて、古川駅からは東北新幹線で一駅で仙台駅へ。仙台駅前のバス停から青葉山方面のバスに乗って20分ほど揺られると仙台城跡に到着いたします。

五、スパニッシュオムレツ、チョコレート菓子

「仙台なのに、なぜスパニッシュオムレツとチョコレート菓子なの?」と疑問に思われると思います。

スパニッシュオムレツに関しまして、先ほども少し紹介いたしましたが、伊達政宗はスペインとの貿易を計画していました。1613(慶長18)年、米沢出身の家臣支倉常長をスペインに派遣します。

実はこの支倉常長、日本で最初にチョコレートを口にした人物と言われているのです。当時のチョコレートは固形のものではなく液体でしたので、現在でいうチョコレートドリンクのようなものだったわけです。


ここは支倉常長が公開に使ったサン・ファン・バウティスタ号の復元船を見に行きましょう。宮城県慶長使節船ミュージアムが併設されていますので見所も多く、また非常に景色も綺麗な場所です。仙台駅から向かうなら東北本線で11駅の小牛田駅へ。小牛田駅から石巻線で渡波駅へは9駅。駅からはおよそ2Kmの道のりになります。

六、牛肉の野菜巻

牛肉というと明治時代になってから食べられはじめたというイメージがありますが、日本で初めて料理書に牛肉料理が登場したのは仙台藩のもの。

伊達政宗も朝トイレの中で献立を考えることが日課であったといわれるほどの食通でありましたから、こうしたエピソードも頷けます。このようなうんちくが学べるのも、武将にちなんだ駅弁ならではの楽しみといえます。

七、はらこ飯

ここからは、駅弁の真ん中にあるご飯を題材に、伊達政宗の分家についてお話しいたしましょう。こちらは地元宮城のお米を使っています。

半分が梅干しの乗った白米で半分がはらこ飯。一般的なはらこ飯は白米を用いているのですが、こちらのはらこ飯は白米ではなく鮭の煮汁で炊いています。これは宮城県亘理町の郷土料理です。亘理町は、伊達家の分家である亘理伊達家ゆかりの地ということになります。

歴史
伊達政宗が初代仙台藩主となったころ、亘理わたり伊達家も亘理城主となります。亘理伊達家は、伊達宗家第14代当主で伊達稙宗たねむね(伊達氏の分国法である『塵芥集じんかいしゅう』を制定)の子、伊達実元さねもとを祖とした家で、実元の子の成実しげざねが1602(慶長7)年に亘理郡亘理城主となります。
この亘理伊達家には、幕末から明治にかけての意外なエピソードがございますので、そちらの回もお楽しみに。


亘理城跡に訪れるとしましたら、仙台駅に戻ってそこから常磐線で8駅の亘理駅へ。亘理駅からは車で10分ほどで亘理城跡に到着いたします。

八、豆腐田楽

こちらの豆腐にはシロメダイズが用いられています。シロメダイズは伊達家の分派であった水澤伊達家の水沢藩の名産です。

歴史
水沢伊達家はもともと留守氏と呼ばれていました。留守氏の留守政景は、1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原攻めに参陣しなかったことを理由に領土を没収され、その後はおいの伊達政宗に仕えることとなります。

間もなく、政景は伊達の名字を名乗ることになり一門に昇格。1629年(寛永6)年、政景の子である伊達宗利が胆沢郡水沢城主となり、水沢伊達家と呼ばれるようになったのです。


水沢城跡は岩手県となるため、今回の旅からは少し遠くなりますが、旅程を紹介しておきましょう。仙台駅から東北新幹線で一ノ関駅へ。一ノ関駅からは東北本線に乗り換えて盛岡方面に5駅ほど行くと水沢駅。水沢駅からは歩いて10分ほどで水沢城跡に到着します。

九、宇和島じゃこ天

この駅弁のなんともスケールの大きさが表れているのがこのじゃこ天。伊予宇和島藩といえば現在の愛媛県ですが、実は伊達政宗の長男の伊達秀宗は、伊予宇和島の初代藩主となります。

そこから、この駅弁には伊予宇和島の名産であるじゃこ天が入っているというわけなのです。一説にはじゃこ天の創始者がこの初代伊予宇和島藩主伊達秀宗だとか。戦国大名を代表するグルメであった伊達政宗の息子らしいエピソードとも言えます。

おまけ 帆立のかぴたん漬け

「伊達家とホタテ?」とピンとこない方が多いと思います。実は北海道には伊達市という地名があります。こちらは先ほどの亘理伊達家の14代当主が開拓した場所なのです。そして伊達市はホタテ貝の養殖が盛んな地域。

歴史
亘理伊達家第14代当主である伊達邦成は、戊辰戦争の敗北により所領をなんと数百分の一に削減されてしまいました。数百名の家臣を養うため、邦成は自ら家臣たちを率いて北海道に移住し、現在の伊達市を開拓するのです。

邦茂は地域の開発に精を出し、伊達市は大いに発展していきました。1892(明治25)年、邦茂はその功績を政府から認められ、男爵の位が授けられて華族に列することになったのです。

いかがでしたか? 今回はたったひとつの駅弁で、鎌倉時代から明治時代までの伊達氏に思いを馳せ、その歴史を巡る旅をお届けいたしました。

このように、歴史への入り口というのは本当にいたるところにあります。現在は旅行もままならない状況ですが、このように駅弁などを買ってそこから歴史と旅に思いを馳せてみるのも楽しいものです。

 
今回のルート

高子岡城跡 → 松峠の力餅(米沢支店) → 岩出山城跡 → 仙台城跡 → サン・ファン・バウティスタ号 → 亘理城下地図碑 → 水沢城(要害)跡

PROFILE
金谷俊一郎

歴史コメンテーター、歴史作家。日本史講師として、30年間東進ハイスクールで数々の衛星放送講座を担当。テレビ・ラジオ番組や各地講演会でも、歴史を楽しくわかりやすく伝える活動を行っている。「試験に出るコント」(NHK)では、放送界の最高栄誉「ギャラクシー賞」選奨を受賞。ハーブセラピスト、駅弁王子の肩書きも持ち、著書は60冊以上。累計300万部を突破。歌舞伎の脚本なども手がけ、自らも舞台に立つ側面も。