コロナ報道におびえる日本人には「メディアを疑う力」が必要だ

テレビ

いつ収束するともしれない新型コロナウイルスの脅威。人との接触を極力避けることはもはや当たり前になってきていますが、それによる経済的損失、メンタルヘルスへの悪影響は過去にないレベルになってきています。どうすれば私たちはこの状況に折り合いをつけられるのでしょうか。精神科医の和田秀樹先生が、新型コロナを“正しく恐れる”ための心の持ち方を解説してくれました。

滅多に起きないことを報道し、怖がらせるテレビ

日本人は欧米の人に比べて、テレビからの情報をすぐに信じ込んでしまう傾向があります。

日本の主要テレビ局(キー局)は5局しかありません。その上ワイドショーなどは、「同じ時間帯に」「同じ内容のニュース」を、まるで足並みをそろえたかのように、延々と流します。「よその局がこの主張で放送するなら、うちは反対の主張でいこう」といったような、報道姿勢の棲み分けもありません。

これがアメリカでは、保守的なFOXのような放送局もあれば、政権批判が当たり前になっているCNNのような放送局もあります。共産党による1党独裁で「言論の自由がない」と日本人が批判する中国でさえ、30局くらいからチャンネルを選べます。視聴者は、ニュースに関するいろんな意見を、自分の嗜好で選ぶことができ、いくつかの局の言説を比較することもできます。

それに比べると、日本のテレビ局はあきらかに画一的な報道スタンスです。つまり視聴者は、どのチャンネルを回したって、同じようなニュースや論調を「刷り込み」されるわけです。疑おうにも、対極の主張をするチャンネルがないので、批判もしにくい。こうして、日本の視聴者は、思考停止していきます。

たとえば、「高齢ドライバーの運転はあぶない」とテレビ局が報じれば、それを鵜呑みにしてしまいます。たしかに、「高齢ドライバーが高速道路を逆走」「エンジンとブレーキを踏み間違えて暴走し、死者○名の事故を起こした」といったニュースが、しばしば世間を騒がせました。

ところがデータを調べてみると、それも単なる「印象」であることがわかるのです。

内閣府による「令和2年交通安全白書」のなかの「運転者が第1当事者となる交通死亡事故発生件数(令和元年)」を年齢層別に見てみると、免許保有者10万人当たりの死亡事故は、20〜29歳が3.8件、40〜49歳が2.8件に対し、80歳以上は9.8件となっています。この数字だけを見ると、高齢者の運転は危ないように見えます。

しかし法務省の「令和2年犯罪白書」のなかの「交通事故発生件数(令和元年)」を、第1当事者の年齢層別に見てみると、20〜29歳が6万3749件、40〜49歳が6万5838件に対し、75歳以上は3万459件程度。ほかの世代と比べて決して多くないことがわかります。また、高齢者が運転者の場合、若い世代に比べて第1当事者自身が事故で亡くなることが多いため、交通安全白書では数字が高くなっているとも考えられます。

テレビ報道の「暴走高齢ドライバー」のようなイメージとは違って、私たちが普段、車を運転しているとき、高齢者マークをつけている車を見かけると、スピードの出しすぎどころか、「慎重すぎるほど、ゆっくり安全運転」のドライバーが多いのが実感ではないでしょうか。つまり暴走高齢ドライバーは「とても珍しい事件」だからこそ、ニュースで報じられるし人々の注目を集めるのです。大切なのは、けっして「高齢ドライバーの事故が多いから」報じられるわけではないこと。

それなのに「高齢ドライバーの運転は危ない」と、国民が簡単に刷り込まれてしまうのが、日本という国なのです。

また日本では、ニュースによって世論が作られ、それによって政策が変わることさえ珍しくありません。

ほかの国なら、政策を変えるのは、客観的な「統計情報」に基づいた議論によってなされます。日本を含めて、ほとんどの先進国で統計調査を行うのはそのためです。

ところが日本では、「確率的にはとても珍しいことが起きた」からニュースになっているのに、なぜか、その確率的に低いことへの「世間の注目度」によって、政策が変わってしまうのです。

テレビを観るときに覚えていてほしいのは、「犬が人間を噛んだ」ではニュースになりませんが、「人間が犬を噛んだ」ときにニュースになるということです。

コロナ報道も「怖がらせて」視聴率を上げる

コロナについても、我々は「正しく怖れる」ことが大切であって、やたらと不安を煽るニュースには、「疑いの目」を持つ必要があります。

私自身も、コロナ禍は早く収束してほしいし、国や行政は感染対策をきちんとやるべきと思うし、ワクチン接種も急ぐべきだと思っています。しかし、いたずらに「怖い、怖い」と煽り続けるテレビなどのマスメディアには、正直、辟易することがあります。メディアはいったい、どんなエビデンスを持って「怖い」と煽っているのか。視聴率を上げたいがために少々盛っているのではないか、と。

こういうときこそ、さきほどのように「統計情報」に基づき、考えてみましょう。

たとえば、インフルエンザの年間の平均推定感染者数は約1000万人となっています。厚生労働省によれば、2019年のインフルエンザ死者数は3575人でした。ただしこれらの数は、「ワクチンや抗インフルエンザ薬の利用が可能」な上での数字ですから、もし、ワクチンや薬がない環境と仮定すれば、死者数はもっと多くなるでしょう。

さらに、「インフルエンザに関連する死亡者数」は、年間で約1万人と推計されています。「関連する死亡者数」というのは、インフルエンザが直接的に引き起こす脳症や肺炎のほか、2次的に起こる細菌性の肺炎、また、呼吸器疾患や心疾患といった持病の悪化など、インフルエンザの間接的な影響によって死亡した人の数も含んだ数字です。

さらには、コロナが発症すると肺炎が悪化して亡くなることが知られていますが、「通常の肺炎」でも、我が国では毎年10万人の命が奪われています。

こうした客観的なデータをふまえて考えると、コロナに対して、少し違った見え方がしてきませんか? ほかの病気と大きな違いがないではないか、と。

私が言いたいのは「コロナなど怖れるな」ということではありません。言いたいのは、マスメディアの刷り込みに対して「疑い」を持ち、誰かの受け売りではなく、自分の頭で考え、思考する習慣をもってもらいたいということです。

また、ほかの国の状況や、過去の日本の状況と比較してみることも、「客観的な視点」を持つ上では、大切なことと言えます。

たとえばインドは、「感染症の宝庫」と言われるくらい、国内にはさまざまな感染症があります。結核、デング熱、マラリア、日本脳炎など、コロナ以外にも怖れるべき病気が、ほかにもたくさんあるのです。

かつての日本も似たようなものでした。戦前の日本の平均寿命は50歳未満と、主要国でもっとも平均寿命が短い国でした。昭和25年の死因の第1位は結核で、当時は「結核になったら死ぬのが当たり前」だったと言います。そのような恐ろしい病気がまん延していた頃に比べ、今では日本は平均寿命が世界一の長寿国になるほど健康な国となりました。

そうやって比較してみると、今、置かれている状況がけっして最悪なのではない、と冷静になることができます。

恐怖をあたえる報道による「現実にそぐわない刷り込み」が、日本人にもたらすメンタルヘルスの問題のほうを、むしろ精神科医の私は心配しています。

「こうあるべき」を取り去る

私が強く言いたいのは、日本人は「こうあるべき」という定説を疑うトレーニングをしましょう、ということです。多くの人は、このようなトレーニングを受けていないからです。

私たちを取り囲む情報社会は、新しい思考フレームを次々に刷り込もうとしてきます。たとえば、コロナ以前のことを、思い出してみてください。

夏場にマスクをつけたら、「オタクみたい」だとか「芸能人ぶっている」だとか、変人扱いをされかねませんでしたか? 上司への報告でマスクをしていたら「失礼だ」と叱られませんでしたか? お店でレジを打つ店員がマスクをしていたら、それにキレたお客さんのことがニュースになっていましたよね?

それが今では、マスクなしで人前に出ようものなら〝マスク警察〟の人たちに「どういうつもりだ」と詰め寄られてしまいます。

かように、時代の価値観、思考フレームなどは、すぐに移り変わるものなのです。「こうあるべき」も、時代によって移り変わるもの。だから1つの「こうあるべき」を絶対視なんてできません。

だからやはり、何事もまず、疑ったほうがいいのです。疑い続けることは、世界を前進させる力そのもの。人類が進化する力そのものだといっていい。たとえば、ノーベル賞もその多くが、「これまでの定説を疑った人」に与えられる賞なのです。

1つのやり方がダメだったら、「じゃあ、別のやり方を試してみよう」と頭を切り替える。逆に「あの人が言っていることは絶対に正しい。だから疑ってはいけない」とするのは、科学ではなく、もはや宗教ではないでしょうか。

 

PROFILE
和田秀樹

1960年大阪府生まれ。精神科医。東京大学医学部卒業後、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学)、川崎幸病院精神科顧問、和田秀樹こころと体のクリニック院長。著書に『六十代と七十代 心と体の整え方』(バジリコ)、『感情的にならない本』(新講社)、『「脳が老化」する前に知っておきたいこと』(小社刊)など多数。