86歳でも現役! 生涯働き続けるには「3つの定年」を意識する

かつて60歳だった定年は65歳へと延長され、2021年4月の「改正高年齢者雇用安定法」では、70歳までの継続雇用が努力義務とされました。ということは、実質的に定年が消滅した生涯現役社会が到来したとも言えます。しかし、長くしっかり稼ぎ続けられる人と、満足のいかない形で働き続けなければならない人の“格差”が大きくなる時代だとも言えます。定年までソニーで働いた後は人材紹介会社を興し、86歳の現在も生き生きと働き続けている郡山史郎先生。提唱する、「3つの定年」について教えてもらいました。

第1の定年「形式定年」

ひと口に「定年」と言っても、3つの種類があると私は考えている。

1つが「形式定年」だ。これは国が定めて企業が従う一般的な定年退職制度のことだ。昨今「70 歳まで定年が延長される」と世間を騒がせているのもこの範疇に入る。

もともと日本の民間企業で定年制度が生まれたのは、明治時代に遡る。民間企業では1902年に日本郵船が実施した社員休職規則が最初だという。その定年は55歳だった。

もっとも、今に続く定年とは様相が異なる。なにせ当時の平均寿命は43歳。55歳はむしろ長い雇用を保証するようにも見える。ほかの企業にまで定年制度が広まるほどではなかった。

裏を返せば、当時の労働市場はまだ流動的だったということだ。明治時代の労働者は、今のようなビジネスパーソンというより、自らの技能を活かせる場所を求めて渡り歩く職人のようなスタイルが一般的だったからだ。

その後、日本の好況のエンジンとなっていた第一次世界大戦(1914~18年)が終わると、工場内で組織立って動く仕事が増えた。企業へのロイヤルティ(忠誠心)の高い労働者を育てるために労務管理を近代化させ、整備していった。

賃金制度、社内教育制度、福利厚生などを充実させた、体系化された組織へと徐々に形を変えていったわけだ。こうした流れが一気に加速したのが、第二次世界大戦後。1950年代半ばから70年代にかけての、高度経済成長期である。「形式定年」はこのときに根付いた。

ところがこの仕掛けはバブル崩壊以降、土台から崩れ去り、右肩上がりの成長は見る影もなくなった。ほとんどの企業は売り上げ・利益を倍々ゲームで増やすようなことはなくなり、年功序列型賃金も終身雇用制も企業経営の足を引っ張るようになった。

若い労働人口が次から次へと地方から排出されるような人口動態は夢のまた夢にまで落ちた。団塊ジュニア世代を最後に、日本は長らく少子高齢化への道をたどってきた。そうなれば、現役世代がシニアを支える日本の年金制度は、構造的に維持できない。

幸せな定年を下支えしていた、特異な経済成長がなくなり、定年の意味は変わった。「いよいよ悠々自適だ」などという笑顔は消え去った。

企業は早くから「早期退職」を迫るようになった。政府は「定年後2000万円は貯蓄が必要だ。大丈夫か」とあおるようになった。

第2の定年「自然定年」

2つ目の定年を「自然定年」と名付けたい。こちらは企業や国や法律が、外から便宜上押し付けた定年制度ではない。

動物である私たち人間が否応なしにも受け入れるしかない、生物学上の定年だ。結論から言うと、それは45歳前後である。

人は生まれたときから、体力も知力も右肩上がりで成長する。幼年期から少年期、少年期から青年期と、筋力も持久力も毎年のようにアップしていくのが常だ。若い頃は記憶力も高く、経験も浅いから、スポンジが水を吸い取るように知識も増やしていく。

しかし、力強く投げたボールも、徐々に弧を描いて落ちていくものだ。人間の成長曲線もやがて、弧を描いて落ちていく「下降曲線」に変わる。この気力、体力のピークが大体25~30歳といわれる。

そこから下降曲線に入って、体力のみならず知識労働者としての力も大体45歳で下降曲線に入るといわれている。現在86歳の私は、身にしみてそれを感じてきた。

まず、45歳前後から、筋力も持久力も明らかに衰えを感じるようになる。筋肉の代わりに体脂肪がつきやすくなる。持久力もなくなってくるので、徹夜で作業など当然できなくなる。酒の席でも同様で、深夜まで飲み歩くなどしたくもなくなる。いわゆる老眼にもなる。

知力、集中力、向上心にいたるまで下降すれば、それは能力の下降と直結するのは当然
だ。45歳で体力、知力ともに下降曲線に入った人間は、それ以前の人間に比べて明らかに仕事で劣ってくる。

自然の摂理にそった「自然定年」がそこにあるわけだ。これは「形式定年」と違って、誰しもが抗えない老化による定年である。

体力、知力が落ちて新しい挑戦ができなくなったビジネスパーソンは第一線に居続けることが難しくなるわけだ。

「いや。年をとるほどに“経験”が増えるではないか。その経験こそが武器になるのでは
ないか」

そう考える方もいるかもしれない。しかし自分自身も含め、45歳を超えた人間の経験は、もうほとんど使い物にならない、というのが私の実感だ。

第3の定年「実質定年」

これらに対して、私は第3の定年を提案したい。それが「実質定年」だ。自分で自分の定年を新たに再設定する、自律的な生き方である。

会社や国に自分のキャリアプランを任せてしまうのは、やめにしよう。彼らは労働者1人ひとりのことまでを真剣に考えてはいない。それは致し方ないことだ。全体最適を考えるのが国の基本で、売り上げ・利益を上げ続けるのが企業の正しい姿勢だ。

しかしあなたの人生には、国や企業とは別の時間が流れている。65歳だろうが、70歳だろうが、あるいは別の形で会社から追い出されたところで、人生100年時代の今は、それから数十年もの間、生活していかなければならない。

私自身は90歳まで現役で働くと決めている。90年を半分にするとちょうど45年ずつになる。サッカーでいう前半戦と後半戦のようなものだ。

サッカーと違うのは、前半と後半で戦い方を変えざるを得なくなることだ。前半戦は、同年代のライバルや同業の企業と重なり合って競う競争社会で切磋琢磨してきた。それなりの成果を上げて、役職も上げて、給料とプライドを高めてきた。国や勤め先が求めるキャリアパスに従っていて問題なかった。

しかし、「自然定年」を迎えると、同じ戦い方ができなくなる。体力、知力が衰えて、これまでと同じモチベーションで高給や出世や成長を求めて働くのは分が悪くなる。どう考えても、自分より下の世代のほうが優れているし、彼らのほうが勝ち目があるからだ。

マインドセットの切り替えどきだ。

後半戦に追い求めるのは、前半のような「高給」でも「出世」でもない。ガムシャラに働いて会社の業績を上げて、自分と会社を成長させていくには、もう心身が衰えている。

こうした前半戦のモチベーションやマインドを捨て去るのが「実質定年」だ。仕事人生を終えるのではなく、違う戦い方をする後半戦へとシフトする。新たなマインドセット、価値観のもとで仕事人生をリスタートさせるのだ。

何をエンジンにするのかといえば、高給でも出世でもなく、「好きなこと」「楽しいこと」「幸せ」である。好きなことや楽しいこと、幸せの感じ方は人によって異なる。前半戦のように自分と会社の成長を重ね合わせて仕事に邁進したり、いくつかの役職のイスを取り合うような、通り一遍のモチベーションでは動けないからだ。

誰かにとっての好きなことは、あなたにとって嫌いなことかもしれない。あなたが感じる幸せは、別の誰かには不幸せかもしれない。ましてや国や会社がいいように言うキャリアパスには当てはまらない。

「いや。自分が好きなこと、楽しいことなんて、今の職場にあるとも思えない。ましてや自分の好きなこと、楽しいことが何かすら、薄ぼんやりとしている」そう思われる人も少なくないだろう。

ほとんどの人はそうかもしれない。だからこそ、45歳で頭を切り替えはじめなければならないのだ。70歳まで定年制度が延びたとしても、企業はそれより前に、体力、知力が衰えたのに、給料やプライドが高まったシニア人材を追い出しはじめる。

会社のために捧げてきたキャリアは強制終了になる。そのときになって「さて、どうするか?」では遅い。「形式定年」が来る前に、次のステージの準備をしなければならない。そのために、これまでの出世と高給とプライドを積み上げるための働き方から卒業する必要がある。

「実質定年」とは、人生を最後まで幸せに送る、準備のための定年なのだ。この定年を自ら設定し、マインドセットを変えられることが、幸せの切符を手にすることにつながるのだ。

 

PROFILE
郡山史郎

1935年生まれ。株式会社CEAFOM代表取締役社長。一橋大学経済学部卒業後、伊藤忠商事を経て、1959年ソニー入社。73年米国のシンガー社に転職後、81年ソニーに再入社、85年取締役、90年常務取締役、95年ソニーPCL社長、2000年同社会長、02年ソニー顧問を歴任。04年、プロ経営幹部の紹介をおこなう株式会社CEAFOMを設立し、代表取締役に就任。人材紹介のプロとして、これまでに3000人以上の転職・再就職をサポート。